間違いを選択するということ
仲裁してくれた宝木さんのおかげで一旦は場が収まった。
来留さんは打ち合わせのためにノートパソコンを立ち上げ、隣に宝木さん斜め向かいに黒髪の少年が座る。
「ま、その前に自己紹介しといた方がええか。この場におる皆が知ってるけどディケのリーダー、来留礼奈。能力は瞬間移動を応用した粒子操作能力がメイン。それと精神感応能力」
まさかの新情報が追加された。精神感応能力なら俺の思考が筒抜けではないのか。半妖だと知った上で勧誘したのか。
「あ、周りの人間の思考を好き勝手感知まないようにしてるんで。任務中以外はご心配なく」
俺の動揺を見抜いたのか、彼女は付け足した。
ということは知られていない? いや知らないフリか? 安心と警戒が交互に行ったり来たりする。
「さっきも言ったけど、宝木七花でーす! 礼奈の一つ上で高校二年! ディケの副リーダーやってて、能力は細胞操作能力!」
フレッシュに自己紹介をする宝木さん。来留さんよりも年上なのに副リーダーという点に少々疑問を抱いた。が、それよりも気になるのは能力の方だ。
「えっと、具体的にどういう能力……なんですか?」
「主に治癒係をやってるんだよ。……それと! ディケは敬語禁止〜」
このチームでは年齢の垣根を超えて信頼を築いているらしい。来留さんが宝木さんに対してタメ口で接していることに関しては納得がいった。
「なるほど……ヒーラーがいるなら安心感が違うな」
「さすがに致命傷となると厳しいけどね。……ほら、彗も!」
「……黒瀬彗。同じく高校二年。能力は念動力」
宝木さんに促され嫌々ながらも自己紹介はしてくれるウルフの少年。俺に対して好意的ではないこの先輩にまでタメ口だなんて鬼畜ルールすぎる、と思い軽く会釈で済ませた。
「えっと、綿来綾人。来留さんのクラスメイトで……その……」
ここまで来てしまったら今しか本当のことを言うタイミングがない。
言え、言うんだ。
俺は超能力者ではなく、半妖だと。
けれど喉に突っ掛かって言葉が出ない。このままでは不審がられるだけだ。
「……飛行能力って、念動力と違うの?」
沈黙を破ったのは黒瀬さんだった。
「その、俺の場合は本当に飛ぶだけで……物を浮かせたりとかはできない……ので」
「二人が来る前に似たようなこと話してたんや。綿来くんはほんまに飛行限定ぽい」
「ふーん……」
「飛行能力ね〜! いいねいいね、できること多そうだね!」
結局俺は真実を言い出せなかった。
言えない。いや、言いたくないの方が正しいかもしれない。
人間といえど異能力を持っている人たち、それが目の前に三人もいる。
俺の能力を知って普通に接してくれる人なんて、きっと他にいないだろう。
嘘でも良い。間違っていても良い。今だけは超能力者としてここに居たいんだ。
「……自己紹介も一通り済んだし、今日の予知報告からいくで。十七時八分に二人組によるコンビニ強盗が発生。逃走する前に店内で制圧予定や」
「あと三十分くらいか。場所は?」
「なんとすぐそこ」
黒瀬さんの問いに来留さんは人差し指で自分の背後を刺した。この部屋からでも見える場所にあるのだろう。
「ちょっと時間あるし、綿来くんの飛行能力みてみたいな〜」
「そうか、二人は見てないもんな。ほんだら行こか」
「えっ」
またしても俺が返事をする前に来留さんは瞬間移動を発動。
四人全員で仲良く上空だ。真下にはさっきまで居たであろうマンションが見えた。
「ほ、宝木さんまで大丈夫なの?」
「七花は僕の念動力で空中にいるから。ちなみに念のために君も」
「あ、ありがとう……」
「解除するけど、いい?」
「……どうぞ」
厳しそうだけど優しい人なのかもしれない。
念動力を解除したからか、体を包んでいたなにかがフッと消えたような気がした。
「……飛んでるだけあって体勢保持は上手いね」
「さすがだね!」
宝木さんはもちろん、黒瀬さんからもお褒めの言葉を頂けるとは思わず照れくさくなる。
「そら私が勧誘したいって思たんやからな」
表面上は分からないがご機嫌斜めそうな声が横から小さく流れ出た。
「次は全速力で飛んでみてよ、上下と前後に」
「ぜ、全速力……!?」
今まで散歩のつもりでしか飛んでいなかった自分には無かった概念。全速力がどんなものなのか俺ですら知らないのに。
言われたまま全速力で上昇と下降、前進と後退を行った。
俺のフルスロットルは遊園地のウェーブスインガーくらいの速度しか出ず、特に上昇となると重力が加わるためか速度はやや落ちた。
「こ、こんなんだけど……」
どっと疲労の波が押し寄せる。肉体的な疲労というよりも長時間勉強したあとのような疲労感だ。
「なるほど。大体想像通りだね」
「物資運んだり……慣れてきたら囮になったりできそうだよね!」
「運搬は大体来留の瞬間移動でなんとかなるでしょ。囮はハードルが高すぎる」
俺の動きを見て活用を考えてくれる宝木さんと現実的な反論をする黒瀬さん。
オーディションに応募して批評されるときってこんな感じなんだろうな……とアイドルやモデル志望の子たちを思い浮かべる。
いや俺は見学なのであってオーディションを受けに来た覚えはないのだが。
「私としては制圧に手一杯やったり、物資の量が多かったりするときに運搬役がいてくれたら助かるけどな。……今日はあくまで見学やし、入るか入らんか、戦闘要員かサポート要員かは綿来くん次第やねんからアレコレ言うんは止めよ」
来留さんは左手首に付けている茶色の腕時計を見ると「そろそろ行こか」と言い、またワンルームに瞬間移動した。
「発生まで十三分。気ぃ引き締めてな」
来留さんがスクールバッグを肩に掛けると二人も準備をする。俺も慌ててバックパックを背負った。
今からコンビニ強盗と対峙するのかと思うと緊張か恐怖か、呼吸が浅くなるのを感じた。
マンションを出て横断歩道を渡ればこれから強盗が起こるコンビニだ。自動ドアが開くとともに軽快なメロディを奏でる。だがそれに反して心持ちは重い。
「お腹すいたー、パン買おっかな」
「新作スイーツチェックしたい」
「私はお菓子のとこ見とくわ」
三者三様、店内へ足を踏み入れた途端に己の欲望のままに散った。
コンビニ強盗は!? と思いお菓子コーナーで吟味している来留さんについて行く。
「ちょ……皆普通に買い物する気満々だけど……!?」
「あくまで私らは『寄り道しに来た高校生』でおるんや。商品見もせずにじっとしてたら怪しすぎるやろ」
「まあ……そうか」
あまりにも自然体すぎて演技と気づけなかった。任務の際には演技力も必須ということか。
「それに強盗する方は大体ド緊張してテンパりやすいから、こっちがリラックスしてるくらいがちょうどええねん。やから綿来くんも肩の力抜いとき」
普通の女子高生の口から到底出てくるはずのない言葉。それが普通ではない人生を歩んできたという証明だろう。
「おい、お前ら。向こう行け」
背後にいたのはキャップにサングラス、マスクを着けた男。そして右手に握られている銃はこちらを向いていた。
ちらと壁に掛けられている時計を目にすると十七時を少しすぎた頃。
なんで。まだ発生時刻じゃないのに。
〈予知には若干誤差があるんや。やから早まることもあれば遅れることもある〉
頭の中で来留さんの声が響いた。
一瞬驚いたが自己紹介のときに彼女が言っていた「任務中以外は」の言葉を思い出す。迂闊に話せない任務中はこうして司令塔を担っているということか。
俺と彼女は男の指示に従い奥側へ移動する。ちょうど商品棚に隠れ外からは見えない位置だ。そこには宝木さんと黒瀬さん、そして数名の客がいた。
いつの間にやらレジには同じ格好をした男が無言で銃を向け、店員はカバンにお金を詰めさせられている。
強盗ってもっとダイナミックに銃を乱射して襲うイメージだったが案外静かである。
バァン! と俺たちを見張っていた男が天井に向けて発砲した。
「おいババア。いまポケットに手突っ込もうとしたな?」
「し、してないです。すみませんすみません」
「変なことするな、次はねぇぞ」
天井にはガッツリと穴が空いている。本物——実弾じゃないか。
〈あまりにも銃声が小さすぎる、銃自体はモデルガンやな。これは多分念動力。銃口から力を一点に集中して放ってるんやと思う〉
冷静な観察と考察が精神感応を通じて脳へ流れてくる。
〈店員が金を詰め終えて二人が気を緩めたとき、私と黒瀬で制圧するで〉
「こ、これで全部です……」
店員がバッグを差し出し男が受け取ろうとしたときだった。
〈今!〉
「わっ! なん——」
来留さんが両腕を粒子化し男たちの目元を覆うようにコントロール。
動揺したところで黒瀬さんが手を向け念動力を発動。男たちは商品棚やレジカウンターに吸い込まれるように全身を強くぶつけた。呻き声を上げるだけで立てそうにもないらしい。
なんとも鮮やかな制圧だった。
「強盗の人たち、なんか急に|転んじゃったみたいですね《・・・・・・・・・・・・》。起きる前に一旦外に出ましょう」
気絶させた張本人がしれっとした顔で言い、他の一般客を外へと誘導させる。
一方、来留さんは片手をこめかみに当て立ち尽くしていた。
「来留さんはなにしてるの……?」
「精神感応で本部に任務遂行したって伝えてるんだよ。あとこの二人を引き取ってもらわないといけないしね」
「なるほど……」
そう伝えると宝木さんはレジカウンターへ駆け寄った。
「怪我はないですか? 大丈夫ですか?」
「は、はい、大丈夫です……」
俺も何かやらねば、とレジカウンターの上に置きっぱなしになっていたバッグを手に取る。
「これ、スタッフルームの中に置いておきましょうか?」
「あ、えっと……」
そのときだった。
「俺の……金……」
商品棚に倒れていた男がこちらに手のひらを見せる。
——ヤバい。
俺は考えるよりも先に動いていた。
飛行能力で男に向かって飛びかかり右腕を捻り上げる。
奴が放った念動力は天井を貫いた。
「くそ、甘かったか……!」
気づいた黒瀬さんが念動力を使って床にめり込む勢いで叩きつけると男は気絶したようだった。
「おい……!」
最大限に怒りを孕んだ剣幕で黒瀬さんが近づいてくる。
見学の分際で勝手なことをしたのだから怒られて当然だが、ただでさえ厳しい彼が鬼の表情なのは背筋が凍る。
「す、すみませ——」
「超能力者から手のひらを向けられるのは銃口やナイフを向けられてるのと同じなんだぞ!? 防御もできない君が真正面から向かって行くのは危なすぎる! 分かってんのか!?」
勝手な行動を咎めるというよりも俺の身を案じての叱咤だ。やはりこの人は優しい人なのだろう。
「ごめん、私の反応も遅れたのがアカンかったわ。さっきのはたしかに黒瀬の言う通り危なかったけど、綿来くんの早い判断も良かった」
「まあ……元はといえば僕の攻撃が甘かったせいだし。……それに関しては助かったよ。七花も店員も怪我せずに済んだから」
「本当にありがとう、綿来くんのおかげ!」
俺はこの飛行能力が人の役に立つという人生で初めての経験をした。
そうか、散歩代わりにしか使えないわけじゃなかったんだな。
「……で、見学してみてどやった?」
あの後、ワンルームに戻り来留さんに尋ねられた。
宝木さんは期待するような顔で、黒瀬さんはどうでも良さそうな顔をしている。
これが本当に最後の引き返すチャンス。
けれど、さっきの経験をしてしまったからにはもう無理だった。
「えっと……これからこのチームで、頑張りたいです」
「ま、その気になってくれると思っとったけどな」
「やった〜ディケに四人目だ!」
「実戦にはまだまだだけどね」
皆思うがままに感想を口にする。
来留さんはいつもの澄まし顔だし、宝木さんが一番分かりやすく喜んでくれている。黒瀬さんは「今日の一件で調子に乗らないでよ」と釘を刺すように付け足した。
次の日の放課後。
ゆるふわミルクティーヘアの彼女に「今日は部屋に行かんで」と言われ上空を飛行中。
といっても俺の飛行能力ではなく来留さんの瞬間移動に頼っている。
「こんな明るいのに空飛んで大丈夫?」
「案外空なんか見ぃひんもんよ。それに見られたかてなんかデカい鳥としか思わへんやろ」
たしかに上空千メートルにいれば人間とは分からないだろう。飛行機やその類のものに遭遇さえしなければ。
「で、今日はどこに行くの?」
「テミス。正式に入るなら本部行かなアカンから」
「そうなんだ。……待って、昨日勝手に見学したけど大丈夫だったの?」
「……黙っといたらええねん」
大丈夫ではなさそうだ。間違っても喋るヘマだけはしないように気をつけなければ。
「ま、今日は出動も無いし、ゆっくりできるわ」
「そんな日もあるんだね」
「基本的に事件はチームごとに分担してるからな。ほんまに無いか、どっかのチームが出動してるかやな」
「なるほどね」
そうして瞬間移動を続けること約十分。
街の喧騒が届くことのない山奥。そこにテミスと呼ばれる施設は存在した。
なんとも無機質な白い建物で、誰も利用しなくなった廃墟と思いそうだ。
「どこから入るの、これ……」
「ここや」
来留さんは壁に設置されている指紋認証に白くて細い人差し指を当てる。すると白い壁の一部が型抜きクッキーのように長方形に開いた。
「うおお!? 最新テクノロジー!?」
「めっちゃびっくりするやん」
ふっとわずかに口角を上げる来留さん。
なんだか幼い子どもを見るかのように微笑まれ恥をさらした気分になる。
彼女に続いて中に入ると、スーツや白衣を身につけた人たちが忙しなく動き回っていた。
「お疲れ様です」
「礼奈ちゃん、お疲れ様」
男女関係なく来留さんへの挨拶は飛んでくる。彼女は律儀に会釈と挨拶を返していた。
彼女は少し進んだところでエレベーターのボタンを押す。
四階まで昇ったエレベーターはなかなか一階まで降りてこない。
「来留さん、すごいね。いろんな人に知られてるし……」
「まあ長いからなぁ」
「そうなんだ……これからどうするの?」
「総監長に会う」
「……総監長って、どのくらい上の人……?」
「え、一番上よ」
「いっ……!?」
トップに顔を合わせるのならもう少し早めに言ってほしい。というか聞かなかったら言わなかったのかと問いたい。
そうして一階に到着したエレベーターへ乗り込み四階で降りる。一階とはまるで別世界のようにしんとしており、重厚そうな木目のドアがただ一つ。
来留さんは学校の職員室かのように躊躇うことなくノックし一声かける。中から「どうぞ」と声が聞こえた。
さっさと入る彼女とは裏腹におそるおそる俺は入る。
奥側は大きなガラス窓になっており、その手前には洗練されたデスクと黒革の椅子。
座っているのは還暦を迎えたであろうスーツを着た男性だった。顎に生えている髭のせいかワイルドさが増している。
「総監長、以前話をしていた例の人です」
「そうかその人が。……連れてきたということは、入職ということかな?」
「はい」
総監長は立ち上がりゆっくりと歩いてくる。
「君、名前は?」
「綿来……綾人です」
ふぅん、とじぃっと品定めするような目に息が止まりそうだ。
「君は……なんだか他とは違う感じがするね」
「そ、そうですか?」
もしかして、バレてしまったか?
やはりこの立場の人間ともなると超能力者かどうかすら、いとも簡単に見抜けるのだろうか。
背中から徐々に熱が消える感覚がする。
「総監長それ皆に言うてますよね。もうやめたらどうです」
表情は真顔を保っていたが俺の心の中ではズッコケている。漫画ならコマから足しか出ていない古典的なコケ方をしているところだ。
「え〜これくらい許してよ! ……で、綿来くんの超能力はなにかな?」
キリッとした目つきから打って変わって目尻に皺を作る総監長。一気に印象がやわらぎホッとする。
「飛行能力、です」
「飛行能力? いいねぇ〜、空飛ぶなんて人類誰もが夢見るものだよ! 私は夢の中でも良いから空を飛びたいと思ってね、昔は明晰夢の訓練を——」
「あの、話の長い上司って嫌われるらしいんで気ぃつけた方がええですよ」
「来留くん、もう少し手心というものをだね……」
「すいません手続きあるんで。お時間いただきましたありがとうございました」
もはや漫才コンビのやりとりである。
早口で言い終えると彼女は俺の裾を掴んでドアへ向かった。
「えっ、あっ、ありがとうございました!」
「もう行くの? 寂し——」
バタン。と重いドアの音によって総監長の声はかき消された。
「や、優しそうな人で良かった……」
「いや遊んどるだけの人や。じゃ、次行くで」
すたすたとエレベーターの方へ行く来留さん。
次は三階に到着。目の前には最初から開けっぱなしのドアがあった。
「すいませーん」
中は小さなオフィスルーム。彼女が声をかけると、奥から
『実働課 課長 萩本』とネームプレートをつけた初老の男性が現れた。
「はーい。お、礼奈ちゃんか。……そっちの彼は?」
「この人をディケに入れようと思ってるんよ。それを伝えたくて」
「そうかそうか、良いじゃないか。ちょっと待ってね」
そういうと実働課課長はまた中へ戻った。
「来留さんってもしかしてここのドン……?」
目をまんまるにしたかと思えば、彼女は口元を抑えて必死に声を殺して笑い始めた。
「ちゃ……ちゃうって……! 萩本さんとは付き合い古いから……それだけやって……!」
「だって総監長とも仲良さそうだし、あの人にだって……」
「ドンちゃうわ……! 昔からの仲やからこんな感じなだけやって……!」
俺はくすくすと笑うたびに揺れる小さな肩や涙で滲んだ白みがかったまつ毛に釘付けになる。
ハッとして「そんなに笑わなくても良いだろ!」と言ったところで課長がバインダーを持ってきた。
「はいこれ。とりあえず書いてくれるかな?」
「わ、分かりました」
書類には名前や住所、超能力の詳細などの項目があった。「こっちに座りなさい」と中に招かれ椅子に座った。
「んん……発動条件とか発動可能時間とかわっかんねぇ……」
「適当でええよそんなん。なんなら空欄でもええわ」
隣に座っている来留さんはローテーブルに置かれているバスケットへ手を伸ばし、チョコクランチをもしゃもしゃと食べる。しかも二個目だ。
学校ではあんなにミステリアスで品行方正っぽいのに、人は見た目では分からないものだ。
「ま、分かるところだけで良いからね。それにしても、もう高校生かぁ早いねぇ」
「私はそんな気ぃせんけどな〜」
「……来留さんっていつからここにいるの?」
「もう十年くらいになるかな」
「超能力が覚醒したのはそんくらいやな。現場出動するようになったんは八年前か」
「そ、そんな歳から……!?」
総監長や課長にフランクな態度をしている時点でなんとなく察してはいたが、途端に雲の上の人に思えてしまい身を引いてしまう。やはりドンではないか。
「宝木さんとか黒瀬さんがリーダーじゃないのって、そういう……」
「そやな。七花は小五、黒瀬は中二のときに入ったから自然とそうなったんよ」
小学生の頃には既に実働部隊員だったとは。修羅場を潜ってきた数も段違いだろう。
そんなベテラン超能力者の彼女は悠然とえび塩味の揚げ煎餅を齧っている。食い過ぎだろ。
書類を書けるところは書き、分からないところは不明と埋めて課長へ渡した。すると判子を押して「じゃ、これ持ってアネナの方に行って検査受けてきてね」と言われ俺と来留さんは実働課を出た。
「アテナってなに?」
「隣にある超能力研究機関や」
ヒュンと場面転換。瞬間移動した先は白衣を着た女性がいるカウンター前だった。
「あら礼奈ちゃん」
「お疲れ様です。すいません、検査お願いできます?」
来留さんは俺が手に持っていた紙を抜き取り女性に渡した。そのまま「ちょっと待っててね」と奥の方へ消えて行く。
「え、中に瞬間移動して入って良いの?」
「ええよ」
「じゃあ他の超能力者も入りたい放題じゃないのか?」
「ちゃんと部外者が入ってきたらアラート鳴る仕組みになってるで」
さすが超能力に関する施設だけありセキュリティ面はきちんとしている。
けれど、部外者ではない来留さんが超能力を使わなかったのはなぜなのか。
「さっき指紋認証してたのは?」
「たかが十分とはいえマッハ一で瞬間移動してるんやで? しかも二人分の質量、二つも県超えて——」
「それは本当にごめんなさい、心の底からありがとうございます」
やたらと速いなとは思っていたがマッハ一も出ていたのか、というか出せるのか。俺のウェーブスインガーだったら……と考えかけたがやめておいた方が良さげだ。
白衣の女性に名前を呼ばれ中に入ると病院でもよく見る器具や道具ばかりだった。
検査といっても大半は健康診断のようで身長や体重、視聴や聴力のテスト。それにプラスして脳波検査があり、額周辺にペタペタと電極をつけられる。
「じゃあ今の状態で超能力を使ってみてくれない?」
「はい」
天井やコードの長さを考えできる範囲で飛ぶ……というより浮いているという方が正しい。
「あ、あれ?」
「どうかしましたか?」
「超能力波がキャッチできないのよ……どうしてかしら」
しまった、まさかここでボロが出るとは。
超能力と妖力では原理が違うためか、こういうところで顕著になってしまうのだと痛感する。
女性と同じように困った顔をしながらも、内心は心臓バクバクだ。
「ちょっと他の先生呼んでくるわね」
ここで半妖だとバレたら——
『えっ!? 半妖!? 超能力者じゃなくて!?』
『面白い、解剖と実験のしがいがありそうだね』
——なんて可能性も大アリだ。
「なになに、超能力波をキャッチしないって?」
駆けつけたのはメガネをかけた三十代くらいの男性。『医療課 課長 雲切』のネームプレートが胸元で揺れている。
あぁ課長が来てしまった。これは終わりだ。と死を悟った。
医療課の課長はデスクトップと睨めっこをしながらキーボードを打ったりマウスをクリックしたりするが、当然一向に変わる気配はない。
「うーん、なんでだろ。機械はおかしくないはずなんだけど……電極の方がダメか、それとも別の原因か……ま、いいよ」
「いいんですか!?」
思わず驚いて声を上げてしまった。俺の声に二人も驚く。
「超能力なんて分からないことだらけの発展途上分野だしね。機械がキャッチできないこともあるんだろう。こんなケースは初めてだから貴重だよ」
「そ、そうなんですね……」
「それじゃあ検査の方は終わりね。いつか研究に協力してくれると嬉しいな」
朗らかな笑みで検査の終了を告げる雲切さん。俺は引きつった笑みで礼を伝えた。
「おつかれさん。途中でなんかあったん?」
待合室のソファでスマートフォンから顔を上げる来留さん。
俺はなだれ込むようにソファへ身を預けた。
「や……なんか機械の不調? で超能力波が取れなかったとかで……」
「へぇ〜そんなことあるんや。綿来くんの超能力ってなんか変わってるしな」
肥大化した不安に耐えきれず、小声で尋ねる。
「……こ、この研究所って、解剖……とか実験とか……された人いる?」
「そーいえば、だいぶ昔に……ってなわけないやん。さすがに人権は尊重されてるって」
古株の彼女が言うなら間違いないだろうとため息を長く吐いた。その様子を見て「アニメの見過ぎや」と鼻で笑われた。
「忘れ物ってそれ……?」
「ここじゃないと買われへんねん」
来留さんが「忘れ物したから」とテミスに戻り、受付横にある自販機でフルーツオレを購入した。
「ネットで買ったら?」
「まとめ買いって量多いからそれはそれで迷うんよな」
「あぁ、たしかに」
と話していたとき。
彼女の背中越しにスーツ姿の女性が見えた。
甘い色の波打った髪は顎のラインで切り揃えられ、細フレームの眼鏡をかけている。
来留さんは俺の視線に気がつき振り返ったと同時にその女性と目が合った。
「お母さん」
「礼奈、来てたん」
特徴的な髪色からそうではないかと思っていたが、想像通りであった。彼女よりも一層厳しい表情をしており背筋が伸びる。
「ちょっと手続きで」
「そうなん。そっちの人は?」
レンズの奥にある目は俺を捉え問うた。
「新しくチームに入る人やで」
「わ、綿来綾人といいます」
「礼奈のこと、頼んどきます。それじゃあ」
一礼すると来留さんのお母さんはあっさり仕事へと戻っていった。
帰り道も戦闘機の如く上空を移動。オレンジ色の日が差し、地上は白い光がぽつぽつと灯りだしていた。
「お母さん、仕事熱心そうな人だね」
「……そやな」
先ほどと変わらない平らな抑揚。だが、どこか吐き捨てるような言い方だ。
……俺はなにかまずいことを言ってしまったようである。
「えっと……その、ごめん」
「なにが?」
不思議そうな顔をしており、隠そうとしているのか本当にそう思っているのか見分けがつかない。
「さっき、ちょっと怒った感じだったから……違うの?」
「あー……なんもないよ、別のこと考えてただけや」
これは前者だ。直感がそう言っていた。
こういうとき、他人はどう声をかけるべきなのだろうか。
俺は踏み入れられる領域の人間ではない、けれど大体は察してしまった。
「ま、まあなんだかんだ子どものことは大事に思うよな、親って!」
「……」
焦った思考から生み出された言葉は出力後に後悔する。これはきっと今後も人生で何度も経験するのだろう。
余計なことを言ってしまったと分かるが、どんな発言が正解なのかは後悔してからも思いつきはしない。
「……綿来くんのとこは、どんな親御さんなん?」
「え! えーと……二人とも、いつもちゃらんぽらんっていうか、能天気というか……しっかりしてよって思うような人だよ!」
最後にあはは、と付け足した。
来留さんは微かに笑った。悲しげに。
「そぉか……仲、ええんやな」
「ん、ま、まぁフツーだよ、フツー!」
彼女から声が発された気がしたが、聞き返す勇気はなかった。