失われるもの20
村での葬儀の翌日、私は湖の前にいた。
養母譲りの白いハイネックシャツにいつもの黒ズボン、今はその上に上着を羽織っている。
髪は高い位置に一つまとめに結い上げ、更に三つ編みにしていた。
「……なんていうか、そういうところ師匠そっくりだな、お前は」
「何とでも言って」
このイノシシ女、なんて言うのはもちろんセシルで。
他は苦笑顔で見守っている。
集まっているのは、クリスと、三人の聖騎士たち、それに現村長のデュアン、この村の司祭であるシエルだ。
男性ばかりのメンバーの中、私は羽織っていた上着を脱ぎ、ぽいっとセシルに放る。
そうすることを分かっていた様子のセシルは、やれやれという様子でそれを受け取った。
「年齢的に俺が行った方がいいのでは……」
少し困ったような顔をしているのは四の聖騎士ヴィンスだ。
ここに居る中では一番若い。数年前に叙任されたばかりでまだ二十代半ばだ。
その横に、ずんと佇む三の聖騎士ガルドは申し訳なさそうに尻尾が垂れている。狼系獣人のウルガの甥である彼は歴代でもかなり珍しい部類に入る狼系獣人の聖騎士だ。泳ぐには向かない種族なのを気にしているのだろう。
「私が行きたいの。というか、譲らないよっ!」
「僕が水を退けるって手もあるんですけどねぇ……」
「それだと大事になるでしょ」
あれこれ言う面々に、すぱすぱ応えながら私は軽く体をストレッチする。幾分暖かくなってきたとはいえ、泳ぐにはまだ少し早い。子どもたちが川遊びなどをし始めるのはもうちょっと先だ。もし間違って足など攣っても誰かしらが助けてくれるだろうが、そんなみっともない目に遭うのはごめんである。
「それに言ったでしょ。もしまだ聖杯がまだあって、おばちゃん……聖女グレンダの封印が残っていた場合、私以外じゃ近づけないって」
だから、私が行くのが一番合理的なのだ。
養母、聖女グレンダは亡くなる前に、娘でありながら聖騎士になった私に自分の錫杖と共に聖女の祝福をおいていった。それが養父、零の聖騎士リドルフィが受けたものと同じ祝福ではないだろうことは、なんとなく分かっている。
養父は聖女が神樹が宿している状態で祝福を貰ったのだ。彼の受けた祝福は聖女を通して神樹からもたらされた奇跡を含むもの。対して、私が受けた祝福は神樹を宿していない状態の聖女から、聖女自身の力を分け与えてもらったものだ。同じ聖女から受けた祝福とはいえ、その力には歴然とした差がある。
それでも、聖女の施した結界を素通り出来たりなど、他の聖騎士たちが持たぬ力を私は持っていた。
「なんとなく、まだ気配を感じますからねぇ」
司祭のシエルの言葉に私は頷く。養父が亡くなった時点で聖杯も消えてしまっていた場合も、それまでに聖杯が浄化した水が残るだろうが、そのほとんどはごく自然な流れにのって川へと流出し、ここの水の清らかさも変わるはずだ。しかし、現時点では今までと変わっているようには思えない。
昨日クリスと話をした時点で、養父の式に参列していた司祭たち数人を内密に集め、その全員に確認してもらったが、全員一致で以前と変わっていないだろうという結論に至っている。
ぐいーっと腕回りを伸ばした後、そろそろ良いだろうと判断する。神聖魔法の呪文をいくつか唱え、自分への身体強化を施した。ブーツを脱ぎ、靴下も脱いでその中に押し込めば、肩越しに振り返る。
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
言うと、私はさっさと湖に向かって歩き出した。
砂の部分を踏んで縁まで行き、そうっと足先を水につける。
「冷たっ」
やっぱり泳ぐにはまだ早い。思わず一度足を引っ込めてから、一度深呼吸をして、更に自己強化の呪文を一つ重ね掛けする。これで多少はマシなはずだ。
再び片足を湖の水へとつければ、今度は引っ込めたくなるほどの冷たさは感じないで済んだ。
そのまま湖へと入っていく。胸元まで水面がくれば、ゆっくりと足を水底から離した。体を倒し、顔を水につける。聖杯のある祭壇は湖の真ん中だ。静かに泳ぎ始める。
モーゲンの村を作る時、魔導師の大魔法をもって大地を穿ち、その中央に祭壇を作ってから川から水を流すことによって人為的に作られた湖は、綺麗なすり鉢状だ。中心に向かうほど深くなる。
ある程度泳ぐと視界の半分以上が水面になった。
泳ぎながら、養母の葬式後に水底の祭壇に確認に行った養父もこんな光景を見たのかな、なんて思う。
そう言えば、あの時は私が養父を止めていた。今度は私が止められているのだから、確かにセシルの言う通り私と養父は似ているのかもしれない。
透明度の高い湖は、春の日差し下ということもあり、中央近くまで来ても水面近くから水底まで明るく照らされ、そこにあるものを確認できた。
目指す先に小さな祭壇を見つければ、私はそこに向かって泳いでいく。
真上までやってきたところで一度立ち泳ぎに変えると、岸の方を振り返った。
「見てくるねー!」
それなりに距離があるから、どこまで声が届いているものか。
行ってくる、と、大きく手を振り、上に伸ばした手で下を指差す。
こちらの意図が通じたようで、分かった、という風にあちらからも手を振られた。それを確認して、私は大きく息を吸い込むと、顔を水につける。ぴっちりと体に這う衣服を感じながら、両手で水を掻き、足を緩やかに動かして潜っていく。
水底に、小さな一部屋分ほどの広さ、平らにならされた石造りの床があり、その中央が一段高くなっており、丸い円柱のような台があった。
近づけば、ほんの一瞬、膜のような抵抗を感じた後すんなりとその中に入れた。肌の感覚から自分の周りに水がないことを感じた私は少しだけ息を吐いてみる。泡が出ないのを確認し、恐る恐る息を吸ってみる。
「……息が、できる」
見上げれば、水面がきらきらと揺らめきながら光っている。ひどく幻想的な光景だ。周りは水があるのに、湖中央の水底であるここだけ、どういうわけか息ができる。先ほど感じた膜の中は水がないのかとも思ったが、どうやら違うらしい。ここ、祭壇の結界の中にも水は満ちているのに、その中に入った私の周りだけ、まるでここに居ても良いと許されているかのように水から切り離され、滞在できるようになっているのだ。
石造りの床をペタペタと歩き、中央の台へと歩いていく。近づけば自然と見えたその上には、両手で包めるほどの大きさの聖杯が静かに安置されていた。
「あった……」
どこか春の日の木漏れ日を思わせるような、そんな柔らかさを感じる乳白色。
その外側には植物を思わせる繊細なレリーフが刻まれており、内側はつるりと滑らかだ。
ゴブレットのような脚のある形の、聖杯。
触れて良いものなのか、ほんの一瞬躊躇ったが、私は手を伸ばす。多分、現時点でこれに直に触れることが出来る者がいるとしたら、私だけだから。
「……」
指先がその縁に触れれば、応じるように聖杯が淡く煌めいた。
その柔らかな光が、なんだかひどく懐かしいように感じてしまった私は、なんだか泣きたくなる。
指先から仄かな温もりのように感じる気配に、一度目を閉じた。ふわりと聖杯からこぼれた淡い光が私を包み込む。
「うん。わかった」
声のない言葉を受け取った私は頷くと、聖杯から手を離し、水面へと向かった。
リチェは、グレンダの聖衣なども受け継いでいます。
今回着ている白いハイネックはグレンダの聖衣を仕立て直したもの。
ちなみにグレンダとリチェでは20㎝程身長差があります。




