憧れるもの8
念には念を入れ、原っぱ全体やその周りを四人でもう一度歩いて、もう『欠片』や残っているごく小規模の魔素溜まりがないことを確認した。
村へと戻る道中は、自然、行きのような軽口は少なくなる。
それぞれに『欠片』が出現していたことについて考えているのだろう。
デュアンはモーゲンの村長として、ギルバートは養成校の教官として。そして、師匠は古き時代を知る聖騎士として。
私は、現世代の一の聖騎士として、この先について考えていた。
今のこの世界には聖騎士はいるが、聖女はいない。
養成校にも、聖女候補の子どもは在籍していない。
そして、『欠片』を処理できる者も、私を除けば後二人しかいない。
魔素溜まりの処理を実地で行ったことがある司祭がそもそも少ないのだ。
平和な時代に育った私たちは、戦乱期を生き抜いた師匠たちの世代に比べて圧倒的に経験値が足りていない。
聖女の不在も懸念材料だし、それを抜きにしても今いる人材で『神樹』が現れた時に対処できるかと言われたら、非常に心許ない。正直どうにかできる気がしない。
しかも、今は魔物と言う外敵が少なかった分、暇を持て余した人同士がぶつかり合い、つまらないいざこざが多い。いざという時、前に神樹が現れた時と同じように人類皆で協力してことに挑めるかと言われると、とても悩ましい。あちこち、問題だらけだ。
「リチェ、こぼれるよ!」
横から声を掛けられ、私は我に返る。
食堂のカウンターで、食後のお茶を飲みながら、そのまま意識が飛んでいたらしい。
「あ、ごめん。……エマ姉、今夜の夕飯は何?」
「今お昼食べたばかりなのに、もう夕飯の話なのね。今日は塩漬け肉と野菜のポトフ。昨日、チーズだとか肉だとか食べ過ぎて胃がもたれた人多そうだからね」
デュアンとか、と、姉は夫の名を付け加える。
その笑顔を見て私も笑う。
「デュアンは、山登りして少しはお腹がこなれたんじゃない? 結構奥の方まで行ったし。なんなら私がいる間、稽古の相手してもらっておく?」
「ん-、ここ数年は運動量減ってるからねぇ。いきなりあれこれやらせると腰とか傷めそう」
「あはは。確かに! ……そう考えると、師匠は本当おそろしいよね。今日も当たり前のように私と同じ速度で登ってたよ」
カップに残っていたお茶を飲み干せば、もう一杯いる? と訊かれた。ありがたく頷いておく。
空になったカップを差し出せば、姉はポットから温かいお茶をカップに注いでくれた。
「そうねぇ。今でもしっかり食事もとるし。朝稽古も欠かさないし。……でも、眠っている時間はずいぶん増えたわ。何も言ってくれないから、痛みとかがあるかは分からないけれども」
「……そっかぁ」
私はおかわりをもらったカップを両手で持って、ふーっと水面を吹く。息に合わせて波紋が広がり、お茶の優しい香りが辺りに漂った。ほっとする香りに、思わず、肩から力が抜ける。上体を後ろに倒し、背もたれに身を預ければ、隣に立っている姉を見上げる。
「もう、九十だもんねぇ…… 全然そうは見えないけれども」
「リドさんと同じ年代の方はもう皆、亡くなっているしねぇ」
モーゲンの村にいるのはほとんど人間だけれど、村全体が豊かで穏やかだからか、割と長生きする者が多かった。
それでも普通は八十ぐらいには、老衰やそれに似た病死などで空へと昇る。
皆、六十過ぎぐらいにはゆっくり衰え始め、それまで体を鍛えていた者も剣を置いている。
しかし、今年九十になる師匠、リドルフィは今も現役聖騎士として剣を手にしたままだ。
元々の強靭な肉体のおかげもあるだろうが、それ以上に本人の意思の力が大きいのだろう。実際にその剣を振るうことはもうないが、それでも戦える体を維持しているという事実は、我が師ながらすごいと思う。
人々も、武勲詩に歌われる英雄、最後の聖騎士がまだ存命で、しかもこんな老年マッチョになっているなんて思いもしていないだろう。
「王都の人たちにも言っておいて。元気そうに見えるけれど本当にもういい年なんだから、お仕事持ってこないで、って。リドさん、持ってこられると、そうか、って働いちゃうから」
お茶のポットを置いた姉が、困るのよねぇ、と頬に手を当てて言う。
「えっ!? 持ってくるやつ、まだいるの!? ちょっとそれ、詳しく教えて! 誰っ? 蹴り飛ばしてくるから」
「えぇっとねぇ……って、リチェ、本当に蹴り飛ばしちゃダメよ!? あなたがやったら本当に飛んでっちゃうっ!」
思わず立ち上がったら、椅子がガタンと大きな音を立てた。
その勢いに、返事をしようとした姉が慌てる。いや、私だって本当に蹴り飛ばしてくるわけじゃなく、文句を言ってくるぐらいのつもりではいたのだけども。
暴力はダメ! なんて怖い顔をしてみせる姉の中では、私はまだ十代の小娘なのかもしれない。過去にたくさん身に覚えがある私は、言葉の綾だと信じてもらえるまで、しばらく姉に言い訳を続けるはめになった。




