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失われるもの17


 広場でブライアから飛び降りた。

食堂の前には村のほとんどの人々が集まっていたが、私の姿を見ると道を開けてくれた。

馬から降りたその勢いのまま走る私の前で、食堂の扉が開かれる。そのまま食堂のあちこちにぶつかりながら裏の屋敷への扉もくぐり、前のめりになりながら階段を上る。

養父の部屋の前につけば、ベッドの周りに集まっていた人たちがこちらを向いた。


「……っ!」


 養父の手を握っていた姉が、涙のいっぱい溜まった目で私を見つめ、無理に微笑もうと顔を歪ませた。


「今、本当に今さっき……」


 その後を続けようとして、声に出来ず、途切れた。

室内にいたデュアンやタロンを抱いたウィノアなどの人たちが静かに動いて場所を空けてくれた。

私は、よろよろとベッドに近づく。横に並べば、姉が養父の手に触れるようにそっと促してくれた。私は頷き、その大きな手に触れる。まだ、完全には体温が失われていない。でも、もう何も通っておらず、冷えていくだけの手は、記憶の中のものよりずっと痩せて薄くなっていた。


「……」


 おそるおそる顔を上げる。ベッドに横たわる養父は、まるで眠っているように穏やかな顔をしていた。

九十歳。その年齢にしてはまだ逞しく雄々しい。だけど、その顔にはたくさんの皺が刻まれ、若かった頃は赤茶だった髪も真っ白に変わっていた。

愛する者を失ってから三十年近く。やっと、妻に会いにいけるからか、いっそ微笑んでいるようにすら見える、そんな安らかな死に顔だった。


「師匠……」


 ぐず、っと、誰が鼻をすする音が響く。目元を拭う音や、小さく啜り泣く呼吸音が部屋を満たしている。


「……おばちゃんが、迎えに来てたものね。師匠、やっと、また一緒になれたね」


 さっき見た光の一つは、養母……聖女グレンダが残した聖杯の場所へと降りていたように見えた。

何故そんなことが起きたのかは、きっとここに居る誰も説明は出来ない。それでも、あれはきっと武勲詩にまで謳われた聖女と聖騎士が、最後に起こした奇跡なのだろう。

つっかえながら、言い、静かに冷えていく大きな手を握る。何度も私を導いてくれたその手が、握り返してくれることは、もう、ない。


「……でも、後ちょっとだけ、待っていて欲しかったな」


 それは私の我儘だと分かっていても。

仕事だ何だと言って帰ってこない娘の私に言う資格があるのかすら、分からないけれど。

それでも、最期に一目、会いたかった。

最期にもう一度だけ、その声を聞きたかった。

そう、自覚したのと同時に、ぱたた、と掛布の上に雫が落ちた。


「……」


 堪えようとしたけれど、無理だった。

喉から、くぐもった音が鳴った。う、と、詰まる。呼吸が乱れて、嗚咽がこぼれる。

姉が、その小さな体で横から私を抱きしめた。


「父さん……っ」


 私は、養父の手を両手で握ったまま、声をあげて、泣いた。




 どれぐらい、そうやって泣いていたのだろう。

途中からは姉と抱き合うようにして、ぼろぼろと涙を流し、他の家族たちにも抱かれて、声が枯れるまで泣いて、泣いて、泣いて。

気が付いた時には、養父の部屋と同じ階にある自分の部屋のベッドでぼんやりと座っていた。


「飲め」


 目の前に差し出されたカップを、半ば条件反射で受け取る。

言われるままにカップに口を付け、中にある液体を喉に流し込むが、味はよく分からなかった。

ただ、ひたすら泣いて枯れ果てた喉に静かに染み入るようなそれは、熱くも冷たくもなく、優しい温度だった。こく、こく、と、時間をかけて少しずつ口に含み、飲み下す。カップの半分ほどの量だったそれを全て飲み終えれば、それを見計らったタイミングで手が伸びてきて、カップを下げられた。


「……」


 私は、ゆっくりと顔を上げる。

悼むような眼差しでこちらを見る切れ長の目が、静かに頷く。

大丈夫か、とは、訊かなかった。訊いても意味がないと知っているからだろう。

悔みの言葉もなかった。そんなものを私が求めていないと知っているからだろう。

ただ、無言のままそこにいてくれた相方に、私は名を呼ぼうとする。


「……せし、る」


 ひどくしわがれて、掠れ、音になり切らない声が出た後、咳込んだ。

落ち着かせるように、横に腰を下ろした男の手が背をさする。そのまま包み込むようにして抱きしめられた。何も言わなくていい、と、言ってくれているかのような抱擁だった。

 触れた体温に、また、涙が出た。

先ほどの、冷えていく一方だと感じてしまった養父の手と違う、生きている肌から与えられる、熱。

その対比に、否応なしに再び事実を突きつけられて、涙腺が耐えきれなかった。


「……デュアンや、村の人たちが準備をしてくれている。お前はもう少しここにいて大丈夫だ。お前の姉も今は休んでいる」


 だから、今はこのままでいい、と教えられ、子どものように、こくんと頷く。

本当は家族の自分こそ、養父の葬儀の準備をしなければと思うけれど、今すぐには何も出来そうになかった。

それが分かっているからこそ、村の人たちが動いてくれているのだろうし、セシルもここにいてくれるのだろう。

そんな人々の静かな優しさに甘え、男の腕の中で、私は止まらない涙を流し続けた。




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