失われるもの15
「リチェ、こっちよ!」
華やかな声に、絢爛たるドレス。繊細なレースの手袋を纏った華奢な手に腕を取られ、碌に挨拶もせぬうちにテーブルへと引っ張って行かれる。
その様子にお付きの侍女たちが柔らかな笑みを浮かべながら、お茶の用意のために動いている。
私を問答無用の勢いで引っ張っていく相手も、とても楽しそうだ。
現グラーシア王国女王エレノア。御年三十二歳。若々しく華のある美女である。そして、その見かけに多くの者は騙されるが、歴史を紐解いても屈指のレベルで賢く聡明な王である。
「陛下、お待ちください……!」
「陛下じゃないでしょ、エレノア。名前で呼んでっていつも言ってるじゃない」
先王エイドリアンは後継者を選ぶ時、何よりもその思慮深さと判断力に重きを置いたという。
戦乱期前後の泥沼のような権力争いで、親や兄弟、親族の多くを失い、その後の混乱を治め切ったエイドリアンは、その際の民の被害を重く思い、二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう慎重に候補者たちを見定めた。
自分の子、そして孫、残った僅かの王族たち。その中から誰よりも若く、しかし、しなやかな強さを秘めたエレノアを見つけた。第三子の二人目の娘。エイドリアンにとっては孫であり、当時のエレノアはまだ十八歳。明るく機転の利く王女は王族の誰からも可愛がられ、彼女の即位が決まった後も反対者は出なかった。
「……一応、立場というものが」
「リチェに言われたくないわよ」
笑いながら言い、私を隣の椅子に押し込んでから、優雅な仕草で自分の席に腰を下ろす。
「あんまり言うと、リチェおば様って呼ぶわよ?」
「それはなんか嫌だからやめて」
そう、養父が王族である関係で、私も彼女の親族なのだ。
先王エイドリアンと、私の師匠であり養父であるリドルフィは腹違いの兄弟。つまりエレノアの母は立場的に私の従姉妹なのだ。私はリドルフィの養子なのでエレノアとの血のつながりは一切ないが、聖騎士候補として養父につれられて何度も王城にも出入りしていた関係で、エレノアがおしめをしていた頃からの付き合いがある。
「なら、諦めて」と屈託なく笑う彼女に、私は軽く肩を竦める。私の方も気が付けば言葉が砕けていた。こうなってはもう彼女が言うように諦めるしかない。
いつの間にか侍女たちは扉近くの一人を残して姿を消していた。残った一人はエレノアが幼少期から傍に置いている年配の侍女だ。そっと主を守るように静かに控えている。
「エレノア、元気そうで何より」
「リチェはちょっと疲れていそうね。バーレアの件も報告を受け取ってるわ」
そう言うと、彼女はほんの少し声を潜め、私にだけ聞こえる音量で「ごめん」と謝った。
やや上目遣いにこちらを見る様子に、小さく首を横に振る。
本来、その立場から彼女が謝ることは基本ない。しかし、身内であり即位するまでの長い付き合いもあって、エレノアは時折こうして私相手にはこっそり謝罪や感謝の言葉をくれる。
聖女のいない世であり、先の宗教改革のせいで所属があいまいになってしまった聖騎士を、自らの直属としてくれたのは先王エイドリアンだ。その状況を引継ぎ、エレノアも聖騎士を国王である自分の配下に置くことで、私たちを守ってくれている。おそらく、そうできるだけの関係を築くために、養父は若かった頃の私を王城に連れてきて多くの王族たちと交流を持たせたのだろう。その目論見はきちんと実を結んでいた。
「あなたが捕まえた者たちについては、私が引き取ったわ。だから安心して。あなたはあなたの仕事をしてちょうだい」
柔らかく微笑むその瞳に、私は一つ瞬くようにして頷く。
十歳以上年下である彼女だが、その施政者としての能力は確かだ。彼女がそう言ってくれるのであれば、私は本当に心配しなくていい。賢く冷静で、それでいて慈悲深く民を尊ぶ女王だ。冷徹な選択肢はとらない。きっと何か、私が思いつかないような手を見つけて、良かったと思えるような未来を作り出してくれるだろう。
「それにしても、そろそろ本格的に動かねばならなそうね。……リチェ、変えられた詩を聞いたそうね?」
「えぇ」
用意されたカップを持ちあげ、そうっと目を伏せると思案する顔のまま彼女は一口紅茶を飲んだ。
私もそれにならってカップをとる。顔の近くまでもって来れば、花に似た華やかな香りがふわりと鼻孔を擽った。お菓子もどうぞと勧められ、焼き菓子を一つ手に取る。贅沢にバターを練り込んだ小さなお菓子は口に含むとほろほろと口の中でほどけていく。あ、美味しい、と、つい二つ目に手が伸びた。
「あれは、あなたが聞く少し前から南部を中心に広がり始めていてね。本当はあなたには聞かせたくはなかったのだけども」
声に微かに憂いが混ざった。その様子に昨日の件も報告が上がっているのだと察した。
「ううん」
「近いうちに何とかするわ。私もグレンダおば様やリドおじ様のことが好きだから、あんな風に捻じ曲げられるのは嫌だもの」
だから、任せてちょうだい、と、微笑む女王に、はい、と私は頷いた。




