失われるもの9
「お先に~!」
ざぱーん、と、遠慮も何もない豪快さで湯船に勢いよく入りながら、イリアスが言う。
先に体などを洗っているのは見ていたので、私は湯船から溢れた湯の量は見なかったことにした。
大きな湯船の中で、泳ぐようにゆらゆらと足を動かしている。昔、養母と大浴場を使った時に、こういうのはやってはダメだと言われたなぁと思い出す。思い出したところで、私がイリアス相手に注意できるわけがない。
「良かったね。お風呂使える状態で。やっぱ、ここに来たら温泉は入らないと」
「イリーは何回ぐらいポロに来たことがあるの?」
ようやく洗い終わった私も湯に足を付ける。イリアスと違い、そーっと、静かに、だ。
折角だからと念入りに髪の手入れをしてしまったおかげで少し時間がかかった。自覚が薄かったが随分と伸びていたらしい。濡らして真直ぐの状態にしてみたら腰まであった。通りで最近肩が凝るわけだ。
「そうだねぇ。ここが宿場町になる前からだから……」
何回だろう、と言いながら、仰向けにぷかりと浮く。髪が彼女の頭を中心に、ふわぁっと水面に広がった。色も相まって綺麗だけどマナー的にはどうなんだろう。いや、考えるのはやめよう。
「あぁ、そうだ、リチェ、ちょっと背中見せて」
「え?」
数えるのをやめたらしい。唐突にその場で起き上がる。また、ざばー、っと、やや派手な水音がたった。こいこい、と、手招きされた私はお湯の中を歩いて移動する。
「……なんで、背中?」
言いつつ彼女に背を向けて、髪を退ける。イリアスは私の背中をしばらく眺めてから、ぺち、と肩甲骨のあたりを軽く叩いた。
「良かった。ないね」
「え、何が?」
「神樹」
思いもしなかった言葉が出てきて、びくっと体が揺れた。振り返れば苦笑顔のエルフがいた。ほら、お湯に浸かりな、と、促されて胸元まで湯に浸かり直す。私の横で同じように水底の床に座った彼女は、懐かしそうに浴室の高い天井を見上げる。
「グレンダの神樹は、背中にあったからねぇ。でも、背中って自分じゃ見えないから私が時々確認してたの。最後の方、ここで確認した時には腰から背中全体、天辺は首の付け根まで大きく育っていてね。それを見た時は流石に私でもちょっとぎょっとしたなぁ」
「……え、でも、私、おばちゃんと家のお風呂とか入っていたけど見た覚えない」
こんなところで養母……今は亡き聖女の話を聞くことになるとは思っていなかった。
びっくりした顔のまま記憶をたどる。そんな印象的なものを見ていたなら、幼い頃だったとしても多少なりとも覚えていてもおかしくない。きっと姉との会話にも出てくる。なのに全く記憶にない。
「あなたたちはまだ小さかったからね。見せまい、心配させまいって頑張ってたんだと思うよ」
言われて腑に落ちる。確かに養母はそういう人だった。軽口を叩いたり、時には愚痴も言ってみたりするのに、肝心なところではしっかり大人だった。一番重たい荷物は言わずに背負って、それこそ師匠などが口に出してくれなければ、完璧に隠しきってしまうことも多かった。
私も神樹を養母が引き受けていたことは流石に知っていたが、それが養母の背中にあったなんて話はここに来て初めて知った。
「見た目は綺麗だったんだけどね。木漏れ日が背中に映ったみたいで。ただ、あれは宿した人の魔力を吸い上げるから」
「あ……」
そこまで説明されて、自分の背中を確認された理由が分かった。魔力切れで倒れていた私を見て、イリアスは私まで神樹を宿しているのではないかと心配したのだ。
「……イリー、私は聖女じゃないよ」
聖騎士、戦う方、と笑ってみせる。背負う思想は似ているけれど、私は聖女ではない。なりたくても聖女のように全てを守り救おうなんて、できない。
「似てるけどね。……そういえば、リチェはシルバーに会ったことってあったっけ?」
「子どもの頃に一度だけ。聖騎士になってからはないわ」
お湯をぱちゃぱちゃやってまた遊び始めるイリアスに、なんで? と、問う。
名が出てきたシルバーは、魔族の王の一人だ。養父母とも縁があったらしく、何度か話に聞いているし、大昔、魔族の国との境目にある自由街に連れて行ってもらった際、養父に紹介された。いや、どちらかと言えば、あれは紹介されたというより、養父が大人げなくシルバーに家族を自慢していた、が、正しいかもしれない。
「シルバーには魂の色が見えるらしいからね。案外、リチェとグレンダ、似てるかもしれないよ」
「……私、おばちゃんみたいに耐え強くもないし、お人好しでもないよ」
「それはどうだろうねぇ」
魂の色なんて言われてもピンとこない。色ということは赤とか青とか黄色とかあるのだろうか。なら、自分は何色だろう、なんて考えていたら、イリアスが立ち上がった。お湯で遊ぶのに飽きたらしい。
「よし、温泉堪能した! お腹減ったからなんか食べよう」
マイペース極まりないエルフの言葉に、私は、はいはい、と相槌を打つ。
確かにこれ以上入っているとそろそろのぼせそうだし、お腹も減った。
「……イリー、ありがとね」
「どういたしまして」
気が付けば彼女のペースに巻き込まれてしっかり温泉を堪能していた自分に、私は苦笑した。




