心の底にあるもの
思い出すのは、花混じりの草原。
駆け回れば、草の葉でひっかき傷もできるけれど自由で広くて、だけど、寒くて暑くて。
姉と二人、毎朝のように行っては花を探した。
孤児院の先生に借りた小さなナイフで良さげな花を収穫し、いくつか束ねて細長い草で結ぶ。
それを街で優しそうな人に見せると、上手くすると買ってもらえる。
買ってもらえると、その日のごはんがちょっとだけ多くなるのだ。
幼い頃。私と姉はフォーストンに住んでいた。
住んでいたと言っても断片的な映像でしか覚えていない。いたのは五歳まで。
生まれて間もない頃に父がいなくなり、やがて母も流行り病で死んだ。私が覚えているのは、姉と一緒に世話になった孤児院の、子どもばかりのテーブルと、花を摘みにいった草原だ。
孤児院の先生は良心的でとても優しかったけれど、何もかもが足らなかった。子どもたちはいつもおなかを減らしていたし、洗いざらしの服は擦り切れて当て布だらけだった。
先生が無理をしてでも自分たちを養おうとしてくれているのを知っていた子どもたちは、あの手この手でお小遣いを稼ごうと、毎日街や街の外に出掛けた。小さな手伝いや、届け物、露店のカップ返し。どっかのお店で芋むきしてる子もいたし、私たちみたいに何か採って来て売る子もいた。中には良くない大人に利用されて帰ってこなくなった子もいた。
七つ上の姉は、いつも私を気にかけてくれていた。自分だってお腹が空いているだろうに、私にお食べと自分の食べ物もくれたことが何度もあった。今思えば、母が死に際に何か言い残していったのだろう。真面目な姉はまだ小さかった私を必死に守ってくれた。
運命の出逢いは、そんな生活が当たり前になった頃。
「おねえちゃんのおはな、かってください!」
広場に面したカフェにいた白い服を着たおばさんに、姉と一緒に声をかけた。
若い人よりも、ちょっと歳とった人の方がお花は買ってもらえることが多い。優しそうな人なら、大抵買ってくれる。上手くしたらオマケまで貰えることがある。
もしかしたら何かお菓子とかくれるかもしれない。そう期待して話しかけた女性が私たちにくれたのは、もっと違うものだった。
「……これは薬草、喉が痛い時にお茶にして飲むと少し楽になる。こっちは傷の手当に使われる薬草だ。花も綺麗だけど薬草を扱っているお店に持って行ってごらん。買い取ってくれるよ」
私たちの摘んだ花を見て、一つずつ名を教えてくれた。びっくりした姉が、一個ずつ何度も確認するのを横で聞いて、私も一緒に覚えた。街の外にたくさん咲いている紫色の花は可愛くて買ってくれる人も多かったけれど、薬草だったのだとその時初めて知った。すべての花には名前があり、花束にして売る以外にも使い方があるのだと知った。
知らない世界が、ぱぁっと目の前に突然広がるような、そんな錯覚。まだ数すらまともに数えられなかった幼い頃の私ですらそう感じたのだ。きっと将来に悩んでいた姉はもっと衝撃を受けたのだろう。数日後、そのおばさんの前で、姉が泣きだした時はとても驚いた。母が亡くなった時以来泣いた姿を見たことなどなかったのだ。
……そうして、私たち姉妹は、聖女の養い子になった。
今でも、ふとした瞬間に思う。あの時、養母と出逢わなかったら自分はどんな人生を歩んでいただろうかと。肩越しに振り返るように考えるその思考の先にあるのは、割と簡単に思い描ける薄暗さで。
だからこそ、私はフォーストンという地が苦手だった。
時折仕事で立ち寄る際には生みの親の墓に挨拶に行ったり、知った顔を訪ねたりもするけれど、なんだか後ろめたく感じてしまうのだ。幼い頃の自分のような子どもたちを見るたびに、そこから抜け出せた幸運と、あの時の養父母のようには目の前の子どもたちを掬い上げられない己を突きつけられる。歯がゆくて、悔しくて、そして疎ましい。
「思うようにいきなさい。自分を信じて、前に進みなさい」
別のある日、養母がくれた言葉を思う。
私は未だにその『前』がどこを指しているのか分からなくなる時がある。齢四十を越えた、今ですら、だ。
気が付けば今年で私も、あの時の養母と同じ歳になるというのに、あの背中に追いつけない。
ただ、必死にもがく。
あの人なら、きっと救おうとしたのではないか、あの人なら助けようとしたのではないか。
そんな風に、ふとした時に養母のことを想う。まるでそうしなければならないと思ってるようで、自分で嫌になる。『思うようにいきなさい』と言ってもらったのに、全然思うようになどできていない。雁字搦めだ。
「……」
バーレアでの夜盗たちには、まだ少年と青年の間のような歳の者も混ざっていた。
痩せて、どう明日を生き繋ぐかに喘ぎ、愚かなことも選べてしまう様子に、どきりとした。
あの日聖女に救われなかったなら、自分もこうなっていたのではと恐ろしかった。
この国において、特に地方において、ほとんどの罪人は牢に入れられるのではなく即処刑される。
古い土地ではわざと人目に晒す。被害者たちに石を投げさせたりもする。手癖が悪ければ手や足を斬り落とす。二度と出来ないように。斬首も珍しくない。良くて流刑。それも死刑に近いような酷い地に放逐される。
少しでも多く食べたい、生きたい、家族を守りたい。その結果に待つものが死なのだとしたら、なんと救いのないことだろう。
どうやったら、救える……?
そう考える私は騎士には向いていない。
せめてもの救いは、私は騎士ではなく『聖騎士』だということ。
でも、どうやれば救えるのか。
そもそもこの手に救えるものがあるのか。
私はまだ自分で答えを見つけられていない――……。
前作「食堂の聖女」のep.95と比較して読むと少し楽しいかもしれません。
https://ncode.syosetu.com/n5681jd/95
第二章でリチェがあんな態度だった理由の説明になればいいな。




