憧れるもの3
二階にある自分の部屋に荷物を置き、その足で奥の部屋へ向かう。
近づけば聞こえてくる二つの声は、どちらもよく知ったものだ。
親しき中にも……と、一応、扉をノックする。
「はーい。ウィノナ?」
「ううん、私。姉さん、師匠、ただいま」
「あら、リチェ。いつ帰ってきたの?」
「たった今」
中からの声に返事をしながら扉を開ける。
部屋には精霊が話していた通りに、姉と養父がいた。
驚いたのは風邪一つ引いたことのない養父が、こんな昼間にベッドにいたことだ。
「よぉ、リチェ。元気そうだな」
「……師匠がこんな時間に寝てるなんて珍しい。風邪でも引いたの?」
「いや、もう年だから少しは昼寝もしろとルカに叱られてな」
全く眠くないんだが、と苦笑する。
それを見て姉がちょっと怒った顔をしてみせた。
「だからってベッドから出てこっそり筋トレしてたらダメでしょ! ルカさんに言い付けますよ。あとグレンダさんにも」
「そいつは困るな。ほら、もうベッドに戻ったから許してくれ」
叱られるのすらも、ちょっと嬉しいのかもしれない。定期的に診察に来る司祭と、今は亡き最愛の人の名を出された養父はベッドで笑っている。
「あれ、シエルさんは? 主治司祭変わったの?」
「ううん、そのままよ。先日ルカさんが遊びに来たついでに診察を見ていてね。シエルさんはリドさんに甘過ぎるって、ルカさんから二人まとめてお説教されていたわ」
確かにルカ司祭の言う通り、養父リドルフィは今年で九十歳。かなりの高齢だ。
老いてた今も腰は曲がっておらずその背中は大きいが、昔は丸太のようだった腕も痩せ、目尻の皺も深くなった。
史上最強と謡われた、最後の聖騎士、リドルフィ。
今は、古き世代の知識を、次……すなわち、私たち今の聖騎士へ繋いだ者として、零の聖騎士と呼ばれるようになった彼は、養父で、私の師匠だ。
「姉さん、この後、墓参りに行くから、その時におばちゃんに私が言い付けとくよ」
「おいおい、夢の中で叱られるから勘弁してくれ」
「そう言って、夢にでも出てきたら嬉しいんでしょ」
「まぁなぁ」
惚気を隠しもしない。そんなところも全く変わらぬ様子に、私は少し安心する。
養父は、養母が生きていた頃もその溺愛っぷりに養母自身からよく蹴飛ばされていて、それすらも嬉しそうに受け止めていた。
その様子があまりにも幸せそうだっただから、私は婚期を逃したのではないかと思っている。
どうせなら自分もあれぐらい甘ったるく愛されてみたい。そんなしょうもない夢を見てしまったおかげで、この歳になっても独り者だ。どうしてくれるの、と養父に言ったら、そこまでは知らんと大笑いされた。しかも笑い終わった後には、グレンダぐらいにいい女になれ、と、きたもんだ。
「姉さん、今回は三日ぐらいこっちにいたいんだけど、良い? いる間に周辺の見回りとか、結界石の魔力込めとかやるよ」
「あら、実家に居る間ぐらいゆっくりしたらいいのに」
「何もしないと落ち着かないもの」
「働かざる者食うべからずって教えたしなぁ」
「そうそう」
「リドさんはこれ以上働かなくて大丈夫ですからね!」
もう十分過ぎるほど働いた後よ、なんて姉に言われてれば、養父が笑っている。
ここでは今も穏やかな時間が流れているらしい。
日頃、しょうもない小競り合いの仲裁やら、お貴族様の虚栄心に振り回されていた私は、家族の柔らかなやり取りに少し癒される。
なにより、空気が柔らかいのだ。無駄にぴりぴりしていた会議室と雲泥の差だ。
「あら、リチェ、もしかしてかなり疲れてる?」
「ん-、ちょっとね」
「そう」
姉が手招きするから近づけば、姉はその小さな体で私を抱きしめてくれた。
子どもをあやすみたいに、ぽんぽんと背中を撫で叩く。
「よく頑張ってるね。本当にゆっくりしていって。ここはあなたの家だからね」
「ありがと、姉さん」
姉のその仕草に、遠い記憶が蘇る。あの人もこんな風によく抱きしめてくれた。
色々できるのにちょっと不器用で、初めは私たちに触れるのがぎこちなかった養母。
ゆっくりともてる時間の全てをかけて受け入れてくれた後の養母に、姉はよく似ている。
早々に家を出た私と違い、養母からこの食堂を継いで同じ空気の中で生きてきたからかもしれない。
「……いっそ、国中モーゲンになってしまえばいいのに」
ぽそっと呟いた私の言葉は聞き取れなかったようで、私を離した姉が首を傾げた。
「なに?」
「なんでもない」
そんな私たちを、養父が静かに見守っていた。
ep.5は本日23:10にアップします!




