憧れるもの20
ぴく、と、銀狼の耳が動いた。
ほんの僅かな動きだったが、私にはそれで十分だった。
寄りかかっていた温かな毛皮から、がばりと体を起こす。
あれこれ思い出しているうちに、うとうととしてしまっていたらしい。
ぎゅっと、一度強く目を瞑り、それから開く。軽く頭を振って眠気を払う。
そうして立ち上がり、身構え切るまでは、一呼吸分もかからなかった。
「……大丈夫だ」
そんな私に、門の方に耳を向けたままの銀狼が囁いた。
「味方だ」
彼の言葉に、私は少しだけ力を抜く。
反射的に、剣の柄にかかっていた右手を離し、真直ぐに立つ。
門の方を向き、目を細め……。呪文を唱える。視界に重なる探査の魔法の光に、ほっと息をついた。
確認できた光は十一。大きさは人を示すものだった。
こちらに寄越すよう頼んだのは一個分隊だったのに、なぜか一人多いように思うが、おそらく間違いないだろう。
一度空を見上げれば、まだ薄暗い。
どうやら、あの後すぐに王都で編成してくれたらしい。どうしても集団行動になる分、単騎で走ってきた私に比べれば時間はかかってしまっているが、それでもかなり急いで駆けつけてくれたのだろう。
部下たちにも無理を強いてしまった。労いの言葉をかけるのを、忘れないようにしよう。
やがて、見つめる先に彼らが掲げる明かりがちらちらと見え始めると、私は大きく息を吐き出し、肩の辺りを緩めた。横にいる暁の風の背を、ぽんぽん、と労いを込めて叩く。「ありがと」と囁けば、苦笑した気配が返ってきた。
やってきたメンバーは、騎士をメインとした混合部隊だった。
魔導士と司祭が混ざっていたので、早速先ほどの場所に案内し彼らの視点で観察をして貰う。
騎士たちには集落内のまだ確認を終えていないところや、家屋内の確認をするよう指示を出した。彼らの馬たちの世話のついでに、ここにいた二頭とブライアのこともやってもらえるよう頼む。
暁の風も、そこで追加の餌を貰えることになってついていった。すました顔をしていたが尻尾がぶんぶん揺れていた。
「で、なんで、あなたまでいるの」
「どっかのイノシシ女を止められるのは俺しかいないって、周りが認識してるからだろうな」
しれっと言った相手に私は顔を顰める。
「誰がイノシシだって?」
私の言葉を無視して、二の聖騎士、セシルは辺りを見渡してからもう一度こちらを向いた。
無言のまま、一歩、詰めてくる。思わず私は一歩下がる。
若い頃の師匠ほどの厚みはないが、上背も肩幅もそれなりにある相手だ。つい間合いをとりたくなる。
「逃げるな。……顔が疲れ切ってる。少し休め」
もう一歩詰めてきたから、こちらも下がれば、肩を掴まれた。逃げられない状態にされて、じっと観察された後、不機嫌な顔で言われる。
「うるさいわね。言われなくてもそうするわよ」
「後で暁からも話を聞いておくが、どうせ、あいつがいなかったらまた無茶をしてたんだろう。イノシシで合ってるじゃないか」
「……」
私はぷい、と、そっぽを向く。
だから苦手なのだ。私の方が一の聖騎士で順番的に上のはずなのに、二の聖騎士のこいつには、なぜか敵わない。戦うのに適した男の体も羨ましいし、私が不得意とする貴族相手の腹芸やら事務的な会議やらも涼しい顔でこなす様子もなんだか腹が立つ。宣誓前の話し合いでは満場一致で私が一の聖騎士に決まったのに、皆、相談する時は私よりもセシルに行くし、彼自身もそれが当たり前という風だ。
何がむかつくって、そんな腹が立つ奴なのに、背中を預けるなら誰よりも頼りになる辺りが一番むかつく。
「とりあえず、目を開けたまま寝ていていいから、あそこで朝まで偉そうに座っててくれ。連中の報告は俺が受けておくから」
掴んだ肩を押されて、先ほどまでいた焚き火の方へと促される。問答無用で連れて行くスタイルだ。
きっと傍目にはセシルが私を労わって、エスコートしているように見えることだろう。
だが、実際には彼は労りの欠片も感じられないような仏頂面だし、肩を掴む手は、多分私が抗っても離れない。強制連行だ。
「確かにちょっと疲れたけど寝ないわよ。座ってろって言うなら座るけれども」
焚き火前に私が置いた丸太のところまで来ると、彼は両手で私の肩を上から押して座らせた。
私は更に高低差が開いた相手の顔を見上げる。今、間違いなく眉と眉の間に皺が寄っている気がする。
そんな私を見下ろすセシルも、似たような顔をしている。
睨み合うような一瞬の後、彼は身を屈めて私の耳元で囁いた。
「顔が白い。頼むから休んでくれ」
……だから、こいつは苦手なんだ。




