憧れるもの18
「何を持っている?」
冷静に問われて、自分のポケットや腰のポーチにあるものを思い出す。
「各種ポーション、短剣、紙と鉛筆、コイン、干し肉、結界石、それにハンカチってところかしらね」
銀狼が相槌をうつように唸った。
私も考える。
さっきはつい短絡的に魔法をぶち込むなんて物騒な案を出してしまったが、それは却下だ。あれが攻撃を跳ね返してくるものだった場合、まずいことになりかねない。また、あれが古き文献にあったような転移の性質を持つモノで、本当に人々がいなくなった原因だとしたら、あの歪みの向こうに被害者がいるかもしれない。その場合、攻撃も吸い込まれてしまったなら、あちら側にいる者を傷つけてしまう。ならば魔法と同じ理由で短剣もダメだ。
横にいる暁の風は、黙ったまま、あれを見つめている。
私も同じようにあれを見たままさらに思案する。早く決めなければ。あれがいつまでもあそこにあるとは限らない。
「……暁、ありがとうね」
やがて、考えがまとまった。私は横にいる暁の横腹をぽんぽんと軽く叩く。
「決まったか?」
「うん」
私は腰のポーチから覚書用にと持っていた紙片と小さな鉛筆を引っ張り出す。
その場でしゃがみ、自分の太ももを机代わりにして紙にいくつか書き込む。
最後にそれを細く折りたたみ、鉛筆に結び付けた。
私を庇う位置にいたまま、その様子を見守っていた銀狼が、ぐ、と小さな声をこぼす。なんとなく、「よし!」と褒められた気がした。
「さて、これでどうなるやら。跳ね返ってくるか、それとも……」
立ち上がり、地面についていた膝を軽く払う。
のそりとした動きで暁の風が立ち位置を変えた。
私は、体を起こすと、まだそこにあるらしい、何かを見つめる。
相変わらず、無理矢理視線をずらされるような、変な歪みのようなものを感じる。認識しようとするほど、鳥肌が立つような感覚に襲われて、落ち着かない。
「暁、一応私の後ろにいて。守護盾を使うわ」
「承知」
振り返り、立ち位置を少し調整する。これで大きめに守護盾を展開すれば馬小屋の馬たちもカバーできるはずだ。念のため、探査の魔法をもう一度使い、新しい気配がないことを確認する。
私は左手に紙片を結び付けた鉛筆を持ったまま、右手で剣の柄に触れる。
意識して深呼吸し、一度止める。そうして、ゆっくりと旋律をなぞる。候補生時代に何度も練習した魔法を囁くように唱える。
「……光よ、我らを守れ、守護盾っ!」
力ある言葉を受けて、私の前に淡く光る透明な壁が具現化した。
これで、あれから何か攻撃がきたとしても多少は防げるはずだ。
「じゃぁ、やるね」
剣に触れていた右手に鉛筆を持ち替えて、両足を肩幅に開く。
距離は約五メルテ。短剣を投げるのと同じ要領でやれば当てるのは難しくない距離だ。
だが、あまり速度を出して投げると身構える時間が無くなる。
ならば下投げか。多少投げづらい形状をしているが、なんとかなるだろう。
左足を少し前に出し、ゆっくりと右肩を引くようにして大きく腕を使い、手に持ったものを慎重に放つ。
鉛筆が手を離れれば、私は即座にその手を剣へとやり、抜く。剣を構えるまでは、一瞬。
「……っ」
投げた鉛筆が何かに到達した瞬間。目の前の何かが、光った。
いーーーっと他の物音すべてを打ち消すほどの高い耳鳴りのような音がきた。
耳は痛いが剣を構えているので、塞げない。
その音に思わず顎が痛くなるぐらいに奥歯を噛みしめる。
光の方は閃光を放ったとか、きらきらが増したとかそういう感じではなく、淡く緑色がかったような色合いに薄ぼんやりと、だ。
ゆらゆらと陽炎のように、その淡い光は揺れる。魔法の明かりにより照らされた、その光の向こうの景色が歪んでいる。先ほどの焦点を合わせようとすると気持ち悪くなるような感覚がさらに悪化している。
魔素溜まりに踏み込む時のような、本能的な拒絶。ぞわぞわと落ち着かない。
何も見えないはずなのに、あの光の向こうから視線のようなものを感じる。
やがて。
唐突に。
音も、光も、消えた。
「……っ」
私は、思わず、深く息を吐き出していた。
どうやらうまく呼吸できていなかったらしい。はぁ、はぁ、と何度も肩で息を繰り返す。
肩から腕先、太もも、背中など、ほぼ全身にびっちりと鳥肌が立っていた。
額や剣を握った手のひらが、汗でじっとり濡れている。
そのまま座り込みたくなるのを耐えて、私は、ぶん、と、顔を上げる。右手で剣を構えたまま、左手で髪をかき上げる。
「暁っ まだ感じるっ?!」
「いや、もうない」
その言葉に、もう一度大きく息をつく。
「調べる。近づくよ」
「承知した」
汗で濡れた革手袋を乱雑に脱ぎ捨て、ついでに手を振るって汗を飛ばす。剣を構えたまま、ゆっくりと先ほどまで何かがあったところへと歩いていく。
もう、先ほどのような気配は全く感じない。きらきらと明かりを跳ね返していた何かも、ない。
……そして、そこに落ちているはずの、投げた手紙付き鉛筆も、どこにも落ちていなかった。




