のぞむもの5
ドレスなんて最後に着たのはいつだっただろうか。
若い頃に養母が譲ってくれた物に袖を通したことが何度か。古いデザインでアンティークに片足つっこんでいるようなドレスだったが、触れた布の手触りから物が良いと分かるものだった。
確か十代後半から二十代。私もまだ娘盛りと言っていい歳で、今よりも好奇心旺盛だった頃だ。
「この歳になってまた着るなんてねぇ……」
自嘲気味に言うに至るのは、もちろん照れ隠しもあって。あぁ、と今更気付く。養母が結婚式の時にひたすらブツブツ言っていたのはこんな心境だったからか。ここのところ養母の日記のことやら聖杯の話などもあったせいか、なんだか少し笑いたくなる。届かない背中に見えていた聖女グレンダも、今の私と同じようにドレスに照れる普通の女性だった。
「お待たせ」
メイドが開いてくれた扉を通り、すたすたと歩いていけば、ソファに座っていたセシルが立ち上がった。
「……やり直し」
「は?」
「歩き方がダメだ」
唐突なダメ出しに片眉を上げると、即座に理由を言われた。
「姿勢は良い。だが歩幅が大き過ぎる。騎士服の時と同じ勢いで歩くな。せめて今の半分に落とせ」
「あー……はい」
確かにいつもと同じつもりで歩いてしまっていた。普段着ているものは違うし、履いている靴も華奢だから微妙に歩きづらいが、そこは武芸を嗜む者としてのバランス感覚と意地がある。セシルの指摘に納得し、素直に頷けば、そのやりとりを聞いていたメイドたちがくすくすと笑っていた。
場所に合わせて歩幅を変える習慣はついていたが、さすがにドレスは着慣れていない。さっきの歩き方では騎士服の時のテンポのままだった。言われたことを意識し、歩幅を半分にする。つい振りそうになる腕を左手で右腕を掴むことで止めて歩けば、微妙にぎこちなくなった。その様子をじっと観察してるセシルの前まで行けば、見よう見まねでカーテシーをしてみる。
「まぁ、よし。……後で簡単にレクチャーしてやってくれ」
姿勢を戻すところまで見てから、ぎりぎり及第点という風にセシルが言った。後半は私を見守っていた一番年かさのいったメイド宛だ。「かしこまりました」と柔らかな声が返ってきていた。
私は簡単なレクチャーぐらいで足りるのだろうかと不安になる。何せ貴族社会のことなんてこの歳まですべて人任せだったし、これまでは全ての行事に聖騎士の騎士服で参加していたのだ。貴婦人の真似なんて今更できるか自信がない。
「よく似合っている。綺麗だ」
そんな私の不安を知ってか知らずか、セシルは再びこちらを向くと、真正面から真顔で言った。いつもの仏頂面に近いのに、目には熱を帯びている。茶化して返すつもりだったのに、その目を見たらできなかった。
「……あ、ありがと」
「作った甲斐があったな。色合い的に少し地味かとも思ったが、……映えるな」
「リチェ様は背が高く、スタイルも良いから余計な飾りが要らないのですよ。色合いやシンプルさがかえって、リチェ様の凛々しさを引き立てています!」
「あぁ、そうだな。とてもいい出来だ」
返事に困っている私の代わりに、さっき返事をしたメイドがすらすらと語る。それに満足そうに返すセシルの声に、私はそっぽを向いた。なんだかむずかゆいような空間に頬のあたりが熱を持ってる気がする。小娘じゃないのに私はなんだってこんな目に遭わねばならないのだろう。
「少し話があるから座れ。……いつもみたいにではなく、浅く腰掛ければいい」
「はいはい」
私はおそるおそる用意された椅子に、言われた通り浅く腰を下ろす。いつもと違い、おしりの半分以下の面積だけ座面に接しての座り方に、意識せずにおへその辺りに力が入った。その様子に、それでいい、と、セシルが頷く。なんだかちょっとむかつく。
話を邪魔しないためにメイドたちがすっと引いていった。多分、声をかければすぐに飛んでくるだろう。少なくともこのドレスを脱ぐ時にはまた手伝ってもらわなければならない。
「さて、女王陛下から指示を預かっている」
「うん?」
私の隣の席に改めて腰を下ろしたセシルが、若干声を落とした。
「今朝の時点で少し状況が変わった。そのドレスの出番は前夜祭に変更だそうだ」
「そう」
言われた内容に、強制的に頭が仕事の方へと切り替わった。当初の予定では、このドレスのお披露目は生誕祭当日の夜、もっとも人の集まる夜会という話になっていた。セシルが聖騎士のドレスを作るという話を聞いて面白がった女王エレノア自身からの提案だった。ほぼ命令に近い形で言い渡されてしまっていたので、私に反論の余地はなく、そんな席で不慣れな格好をせねばならないのかと気が重かったのだが、どうやら免れることになったらしい。前夜祭ならもう少しは規模も小さいし、途中で辞しやすい。
「それは……私からはありがたいけれど、状況が変わったって……」
「あぁ」
セシルの切れ長の目が一つ瞬く。
「その時間帯は帯剣の許可が出ている。フル武装でいろとのお達しだ。まだ何がどうとまでは分からないが、動きがあるかもしれん」
「……そう」
エレノアは大丈夫なのだろうか。女王という立場である以上、誕生日をただ楽しく過ごすだけでは済まないだろうが、私たちに武装していろと言わねばならないことが起きるとなれば、それなりにショックもあるだろう。
心配が顔に出ていたのか、セシルがこちらを覗き込むようにして私の頬に手を置いた。
「さっさと片付けて、また着ればいい。……なんだったら他にも何着でも贈ってやる」
「要らないわよ。私が着るのはこれ一着で十分」
私は貴婦人じゃなく聖騎士だ、と、噛み付くように主張すると、彼は、ははっと声を出して笑った。
「イノシシ女もドレス姿なら大人しくさせておけるのにな」
「……着替えたらちょっと手合わせしてもらおうかしら。ちょうど暴れたい気分だったの、私」
じとりと睨めば、そんな私を面白そうに見つめた後、彼は私の鼻の頭にキスをした。




