見つけるもの29
そこは、薄青い世界だった。
いや、私がそう認識しているだけで実際にはもっと違う色なのかもしれない。
『何か』を見ようとした時と同じで、どこか歪んでいるような感覚がずっと付きまとっている。目を凝らしても焦点が合わない。森の中にいるようで、でも、水の中にいるようでもあって。神樹の森よりも、よく分からない場所だ。ここは人のいるべき場所ではないとだけは分かる。なのに、奇妙な安心感と懐かしさがあった。
そして。
無数の気配を感じる。私を見ている。でも、怖さは感じない。好奇心を持って、そして好意を持って観察されていると分かる気配だ。
「……」
歩いているつもりなのに、何かを踏んでいる感覚がない。少し不安になりながら、私は辺りを見渡す。ここがどんな場所なのか認識したくてそうしているのに、首を巡らせても見えるものは揺らめくような色彩の微妙な違いだけ。試しに瞬きしてみるが、見えるものは変わらない。これではどこに向かえば良いのかも分からないし、どうやれば帰れるのかすらも分からない。
ただ一つ、自分以外でしっかりと認識できるものはがある。それは、己の手に持った錫杖。気が付けば縋るように両手で持っていたそれを、私は軽く揺らす。
しゃらん。
常よりも静かにゆったりと鳴ったその音は、不思議な薄青い世界に響き渡った。
何かがひそひそと話す気配がした。窺い、遠巻きにしていた多くの気配が突然鳴った錫杖の音に驚いているようだった。
「……ねぇ」
思い切って呼びかける。すると即座に何かによって口をふさがれた。びっくりした私は錫杖を持たぬ左手でそれを引きはがそうとする。しかし、それを外せない。焦った私が錫杖を抱えるようにして右手も使おうとすれば、耳元で何かが囁いた。
「……愛し子の娘、声や音を出してはダメよ」
鈴を鳴らすような声に視線を巡らせるけれど、その姿は見えない。見えないのに、その言葉に賛同するように頷く気配がいくつも感じられる。確かに聞こえているのに、耳を使って聞いていないと分かる、奇妙な感覚。これに似たものを知っているな、と考えて腑に落ちる。暁の風だ。守護の狼たちと話をする時は音を介さずに会話をする。にもかかわらず、声を感じるのだ。それにとても似ていた。
「……わかった。これ、聞こえる? あなたたちとお話をしたいのだけども」
私は暁の風と話す時と同じやり方を試すことにする。頭の中で話しかけるのだ。守護の狼と話をする時は触れていなければならないけれど、今は相手に触れようにも知覚することができない。おそるおそる問いかければ、頷く気配が返ってきた。私はほっとする。どうやらこれで合っているようだ。
「聞こえる。愛し子の娘、何故ここに来たの?」
口をふさぐ何かが取り除かれた。思わず息をついて、気が付く。私は今、呼吸をしている? 揺らめく景色は水の中のようなのに、木々のさざめきのようなものも感じる。木漏れ日のようなものも感じる。なのにそのさざめきを作っているだろう葉を見ようとしても焦点が合わず、ぼやけてよく分からない。何もかもがあやふやで、認識できない。
「呼吸はここでは必要ないの。あなたたちの世界と時間の在り方が違うから」
「そう……」
どうやら私がつい思い浮かべた、呼吸をしている? なんて思考に答えてくれたらしい。私は慌てて集中する。もしここが神樹の森と同じならば、早く戻らないと元の世界ではとんでもない時間が経ってしまっていることになる。
「……ここに迷い込んだ人達を連れ戻しに来たの。最近二十人ぐらいずつ、何度もこちらに人が来ていると思う。彼らはどうしているの?」
つい、幼馴染のことを聞きたくなるのをぐっと堪えて、私は聖騎士としてここに来た理由を伝える。すると、周りでひそひそと何か話している気配が増えた。相談しているようなそんな気配に、辺りを見渡す。するとあちこちで、少し光が瞬いているようなものが見えた。
「眠っている。普通はこちらでお前のようには動けないから」
答えてくれたのは違う声だった。少し亡き養父に似た低くどっしりした声だ。私は聞こえた方を向く。そちら側にある揺らぎのようなものに、目を細める。やっぱり姿を見ることはできない。でも、誰かがそこにいるのは感じる。
「彼らを連れて帰ることはできる? たくさんの人が心配しているから連れて帰りたい」
言って、自分はこんなよく分からない場所から元の世界に戻れることを前提に話しているのだと、改めて自覚する。帰り方すら分からないのに、なぜかその不安を感じないのだ。そんな私に、それでいいと言っているような眼差しを感じた。
「できるが今すぐは無理だ。彼らは自分で動けぬから我らが準備してやる必要がある。それに……」
「っ!?」
唐突に横から殴られたような衝撃が来た。遅れて視界一面に光が広がる。反射的に目をぎゅっと瞑るが、そんなことをしても意味がないと言わんばかりに眩しさに圧倒された。こんなわけの分からない場所でも健気な私の体は受け身を取ろうとした。剣の代わりに錫杖を構えるようとしたそんな私を、誰かが抱きしめた。拘束するためというより守るためにされたと分かる強さに面食らう。何よりも、この気配は……。
「あれに気づかれた。リチェ。今はあっちに帰って。僕を信じていて。なんとかする」
聞こえた声に、私の中の何かが震えた。ぶわり、と、涙腺が緩むのを感じた。
知っている。
私はこの声を。この気配を……っ!
「……っ」
その名を呼ぼうとした時、次の衝撃が来た。
そして、私は意識を失った――……。




