空っぽの棚と最後の薬酒
リチェの姉、エマ視点
「本当に一瓶丸ごと残していくのね、リドさん」
私、エマは棚の端に一つ残った薬酒の瓶に、小さく笑う。
屋敷の方の一部屋に作られた大きな棚。そこいっぱいに収められていた瓶は、もうない。
すぐそばに、かつてのこの棚と同じように全部の棚に中身の入った瓶が収められた棚もあるが、あちらの薬酒は同じようで違う。こちらの棚は養母グレンダが漬けたもの。あちらの棚は養母が亡くなった後に真似て私が漬けたもの。養父は結局私が漬けた薬酒は一つも手を付けずに逝った。……ちょっと悔しいような気もするが、それ以上に養父らしいと思う。世界で一番愛していた妻を、本当に別格扱いしていた日々を知っているから、悔しさよりもその溺愛っぷりに笑ってしまうのだ。
「リチェたち聖騎士に、だったっけね。ちょうど揃っているから今夜出せばいいかな」
村での葬儀で一度は帰ってきていた妹や聖騎士たちは、国葬までの間に、と言ってあれこれ仕事を片付けに行ってしまっていた。
そんな彼らも、養父の墓標を立てるのに合わせて、今はこのモーゲンに帰ってきている。
普段から何かと忙しい彼らだ。今を逃してはきっと機会は中々訪れないだろう。
私は、一抱えある大きな瓶を、よいしょっと持ち上げる。皆に出すために食堂の方へと持っていかねばならない。
一番上までしっかり酒が入った瓶は重く、ちょっとよろけそうになる。この村で採れたハーブなどを漬け込んである瓶はまだ封がされていて、蓋をさらに上から包むのに使った蜜蝋引きの紙が、服にあたってかさかさと音を立てた。
重たいそれに、滑らぬよう腰を使って手の位置を変える。すると、瓶の横に何かあったらしい。はらりと軽いものが落ちた気配に、視線がそちらを向いた。
「……手紙?」
拾いたくても、瓶が大きく重くて手を伸ばせない。しばらく迷ってから、私は瓶を棚の真ん中に下ろした。重さから解放された手をふるふると振るえば、指先にじんわりと血が巡る感覚が広がった。
それから、板張りの床に膝をつき、落ちていた紙片を拾う。ぴったり角を揃えて折られた、古い便箋だ。その几帳面さも、そして、こんな風にして置いていく奥ゆかしさからも、間違いなく養母グレンダが残したものだろう。
一瞬、自分宛だろうかと悩み躊躇うも、ここにある辺り、少なくとも私が目を通しても良いものだろうと納得し、折られた紙をそうっと開く。
「……」
目に飛び込んできた懐かしい筆跡に、そしてその言葉に、私は一人、息をのんだ。
『エマ、ありがとうね。
どうせあの人のことだから、私が作ったのしか飲んでいかないでしょう?
もしかすると、いくつかリチェにとか言って残していくかもしれないね。
エマがリドのために漬けたお酒は、街に卸してお金に替えてごらん。結構な金額になるはず。
新しい服や美味しいものを買ったり、食堂のお皿などを新調するのに使いなさい。
頑張っているエマへの、最後のお小遣いだよ。
私たちの家族になってくれて、ありがとう。
あの人を一人にせず、一緒にいてくれてありがとうね』
もう二十年以上前に亡くなっているのに、まるで今まで見ていていたかのような言葉に、胸がいっぱいになって手紙を抱きしめる。ぱたぱたと音を立てて床に水滴が落ちた。
「……本当に、グレンダさんったら」
照れ屋で真面目、変なところで頑固で、でも、よく人を見ていた養母
私やリチェの産みのお母さんに申し訳ないから、と、最後まで自分を母とは呼ばせてくれなかったけれど、どんなお母さんにも負けないぐらい、目をかけ、愛情を注いで育ててくれた。
「エマ姉、ミリどこに行ったか知らない……? って、何、どうしたの?!」
ひょいと部屋の入り口から覗いてきた妹が、床に座り込んでいる私を見てびっくりしている。
慌てて駆け寄ってきて、すぐ横に膝をつく。今はいつもの騎士服ではないのに、その様子はやっぱり聖騎士っぽくて、なんだかそれで私はちょっと笑ってしまった。
「どっか傷めた? 大丈夫?」
「大丈夫。そういうんじゃなくてね。……リドさんのお酒、最後の一瓶、あなたにって言付かっていたから出そうとしたら、ね」
心配して覗き込む妹に、安心させようと微笑んで、手に持っていた手紙を見せる。
ほんの少し癖のある、でも、読みやすくて丁寧に書かれた文字に目を走らせて、リチェは、はぁぁ、と息を吐いた。
「おばちゃんらしい。実は家の中探したら他にも手紙とか仕込んであったりするんじゃあ」
「あるかもしれないね」
そう言って、私は真ん中に一瓶だけになった棚を見上げる。
下手するとこの棚の裏とかにも何か仕込んでありそうだ。グレンダさんもだけど、リドさんもやりかねない。
「えーっと、そしたらその瓶を食堂持っていけばいい?」
先にさっと立ち上がったリチェが手を差し伸べてくれる。ちょっとカッコいいと我が妹ながら思ってしまった。この方が慣れているからと言って、ラフな格好の今も男仕立てのパンツスタイルだ。すらりと高い背や、鍛えられ引き締まった体も相まって、ちょっとした仕草に華がある。
私もその手を借りて立ち上がれば、背の高い妹を見上げ、うん、と頷いた。
「リドさんがね、そのお酒、あなたや聖騎士たちで飲んでって。まるで初めからこれは残すって決めてたみたいに一本丸ごと置いていったのよ」
「うわぁぁ、そっちも師匠らしいね。もー。エマ姉もお疲れ様だよ。私が飛び回っちゃってた分、ずっと師匠のこと見ててくれたでしょう」
「何も。私は大好きなこの村で普通に暮らしていただけよ」
私がちゃんと立ち手が離れたのを確認したリチェは、棚の前に行って、ひょいと薬酒の瓶を持ち上げる。普段から剣を持ち、男性に混ざって戦ったりしているだけあって、私には重かった酒瓶も苦も無く持っている。その姿に頼もしさを感じながら、私はリチェと共に食堂へと戻った。
聖女グレンダの最後の薬酒が開封されるとあって、その日の夕食の時間帯は、食堂にいつもより多くの人が集まった。
リチェをはじめとした四人の聖騎士たちが囲むテーブルに、どん、と置かれた大きな瓶。
少しおちゃらけた調子で、リチェがその場を仕切り、みんなが見守る中蜜蝋引きの紙を外して、蓋を取る。
リドさんが使っていたのと同じサイズの小さなグラスを四つ用意し、それにほんの僅かずつ注いだものを、聖騎士たちが掲げ、献杯した。
「……ちょっ、これっ!?」
「あぁ」
「……なんつうものを飲んでたんだ、あの人」
「……」
四人同じタイミングでグラスを傾けた聖騎士たちが、慌ててグラスから唇を離す。
「え、どうしたの……? そんな強いお酒だったの?」
周りの心配を代表するように問えば、そうじゃない、と首を横に振られた。
「エマ姉もみんなも、これ、口外禁止で!! エマ姉、おばちゃんと同じレシピでエマ姉もお酒漬けたよね? 念のためそっちも確認していい?」
「え、えぇ。それはもちろん」
「セシル、こっちお願い」
妹はテキパキと場を仕切ってから、私の手を掴んで屋敷の方へと歩いていく。引っ張られるままについていきながら、私は小声で問うた。
「……リチェ、あの、いったい」
「……エマ姉には教えるけど、絶対他の人に言わないで。危ないから」
いつになく真剣な声音に、こくこくと頷きを返す。
「魔力回復ポーションって知ってるよね。体力回復の。冒険者や騎士がよく使うやつ」
「う、うん」
「普通はどっちかしか回復しないし、あれは翌日分のを前借するような薬なの。だけど、あれ、多分、どっちも回復してるし、前借じゃない気がする」
「え、えぇぇぇぇぇ……」
「師匠、長生きするわけだよ……。風邪引いたとかもなかったでしょ、あの人。あのお酒の所為だよ、きっと」
本当にとんでもないことだよ、と、呆れ顔でリチェは言った。
その後、リチェが確認してくれて、私が漬けた薬酒はそこまでのものではないが、普通のものよりも多めに回復を促す魔力ポーションの類だということが分かった。
グレンダさんが亡くなった翌年から毎年漬けていた分の中でも、古いものほど効力が強い。
こんなものは危なくて市場に出せないから、と、リチェが王宮魔導士団などに卸してくれることが決まった。
どうやら私はお皿を新調するどころか、食堂の改装工事まで出来てしまうぐらいのお小遣いを貰っちゃったみたい。
本当に困った人たちね、なんて小さくため息をつけば、二人の笑い声が聞こえたような気がした。
なんとなく、今やっと、前作食堂の聖女を卒業したような気分になっています。
書いていて浸り過ぎですよね(苦笑)
もう二話分、別視点のオマケの話が続きます。




