囮の共鳴点
二番街区。
夜の街に仕掛けられた、偽の"声"が指定した集合地点。
レオンはそれを囮だと断じた。
本命は、調律器が運ばれる搬送経路。
だが囮には囮の役割がある。
誰かが、その場所に何かを"置いて"いるとしたら——。
静かな夜に、不協和の予感が滲み始める。
二番街区の入り口は、古びたアーチ型の街灯が並ぶ路地だった。
レオンはビルの陰から、その先を見渡した。
広場のような空き地に、黒いコートの人影がいくつか集まっている。皆、同じ方角を向いて立っていた。まるで、見えない指揮者を待つ奏者のように。
――偽の"声"に従って、ここへ来た者たちだ。
哀れだとは思わない。自分も、かつて旋律に従って動いていた。
ただ今は、その旋律が偽物だと知っている。
視線を路地の奥へ移す。
共鳴点から東へ伸びる細い道。街灯の間隔が広く、影が濃い。
アスファルトに、わずかな擦れ跡があった。重いものを引きずった痕跡。それも、一方向に向かって。
「……やはり、ここを通った。」
声には出さず、唇だけが動く。
調律器は重い。運ぶには人手が要る。そして痕跡を消す余裕がなかった——それはつまり、急いでいたということだ。
路地を進む。足音を殺し、影に沿って歩く。
その時だった。
空気の質が、変わった。
周波攪乱ではない。もっと静かな、しかし確かな異質さ。まるで、よく調律された楽器の中に、一本だけ狂った弦が混じっているような——。
レオンは立ち止まった。
路地の突き当たり、古い倉庫の壁際。そこに、人影があった。
組織員ではない。立ち方が違う。息の潜め方が、訓練されていない者のそれではなかった。
人影はこちらに気づいていない。いや——
気づいていて、気づかぬふりをしている。
レオンは動かなかった。視線だけを細め、輪郭を読む。
年若い。コートの色は灰。左手に、何かを持っている。
「——来てくれると思ってた。」
背後から、小さな声がした。
振り返るまでもなく、わかる。
「……ロンド。」
「奏導。少し遅かったわね。」
隣に並んだ少女は、いつもの静かな目で路地の奥を見ていた。消耗の色が、わずかに面に滲んでいる。シンフォニーの言っていた通りだ。
「無理をしていると聞いた。」
「してないわよ。必要なことをしてるだけ。」
短い沈黙。
二人の視線は、倉庫前の人影へ向いていた。
「あれが、」とロンドが囁く。「搬送に関わった者よ。尾けてきた。……ただ、少し、変なの。」
「変?」
「音が、ない。」
レオンは眉をわずかに動かした。
異能を持つ者は、必ず何らかの"音"を持つ。それが基準音Aからどれだけ離れているかで、敵味方も、力の質も、ある程度は読める。
だがロンドは言った。音が、ない、と。
人影がゆっくりと振り返った。
街灯の光が、その顔の輪郭をわずかに照らす。
表情は、読めなかった。
音のない者、というのは、どういう意味か。
調律されていないのか。
それとも、調律を——意図的に、消しているのか。
倉庫の壁際で、その人影と視線が交わった瞬間、
レオンはひとつだけ確信した。
これは、ただの運び屋ではない。
次の小節は、静かには始まらない。




