眠る言ノ葉 1
小説でよくある設定、なんて言ったら分かりやすいかな。
異世界ファンタジーとかでよくある設定だよ。生まれながらチート能力を持った主人公が、その才能を活かして多くの命を助けるみたいな。だけど、周りは主人公のその才能だけに注目して、肝心な主人公自身の「想い」とか「努力」とかはあんまり汲み取らない。そして、主人公はそんな「才能」ばかりが称賛される世界に、少しずつ嫌気が差していくんだ。
実際、私がそうだった。
昔から器用にある程度色んなことができた私は、何かと周りから高いレベルで物事を期待されることが多かったんだ。学力テストでは常に校内トップレベルを求められたし、趣味でやってた運動にも私は好成績を期待された。絵を描けば両親は私の絵を必ず批評したし、ピアノを弾けば友達はみんな私のその才能だけを羨ましがった。
私が何をしても、みんなは私の才能と結果を直接的に結びつけて考えたんだ。つまりそれは、私の努力を、過程を、歴史を全否定するってことなのに。
私は別に、才能を認めて欲しかったわけじゃないんだよ。
それなのに、私の周りの人はみんな私の「生まれ持ったもの」だけで私を評価して、褒めて、羨んで、口先ばかりの尊敬を示した。
スティーヴン・ホーキングだとか、ウサイン・ボルトだとか、ヨハネス・フェルメールだとか、フランツ・リストだとか。そういう凡人の理解の範疇を超越した実力を持っている人物に対して、世間はよく「天才」っていう代名詞を使う。
でもさ、よくよく考えたらこれってすごく失礼なことだと思わない?
本人がどれだけ努力してても、どれだけ苦労してても、一生を捧げて命を懸けてても、血と涙を流していたって、世間はそんな過程は気にしない。結果だけを見て、端から理解しようともせずに、無知のまま、結果だけで判断する。天才、なんていうえらく単純なたった一語で、全てを片付けてしまう。
本人の歴史全てを否定するような、そんな暴力的な言葉を、みんなは知らず知らずのうちに褒め言葉として使っているんだ。
私がどれだけ本気でその期待と戦ってたか、血の滲むような経験をしてきたか、全てを諦めるつもりで命を懸けてたか、みんなは知らないんだよ。私がどれだけそんな「才能」なんて言葉だけで片付けられてしまう短絡的な世界を恨んでたか、知らないでしょ。
だからさ、私は本当に嬉しかったんだ。
いつもと同じように泣いて寝て起きたら、そこはもう現実世界じゃなかったんだから。いわゆる「勤勉」ってのが人類の理想になっているような、そんな勤勉至上主義の世界にいた。
「勤勉」が当たり前の世界ではさ、才能ってのはあんまり関係ないんだよ。みんながみんな自分のできる限りを尽くして努力するんだから、結局評価されるのは「努力」の部分だけなんだ。みんながみんなどれだけ「努力」できるかっていう平等な土俵で戦ってくれるから、実力不足イコール努力不足、なんて方程式が当たり前に成り立ってる。
どれだけ「努力」して、「勤勉」になりきれているか。この世界で大事なのは、ただそれだけだったんだ。
第一章 終




