5.運命の女神は糸を投げる
サートゥルヌスと二人で一ヶ月の間アブンダンティア様を観察してわかったのは、あきらかに別人格が彼女の体を支配しているということだった。
「魔術師団でも過去に同じような例がないか調べてたんだ」
「見つかったの?」
「……あった。もう百年以上昔のことだけど、一度だけ」
サートゥルヌスたち魔術師団が見つけたのは、百二十年前に起きた痴情のもつれによる刃傷沙汰の記録。その記録は騎士団の方で保管されていたため、見つけ出すのに時間がかかってしまったらしい。
「よく持ち出せたわね」
「秘密ね。バレたら怒られちゃうんで」
「怒られるで済むわけないと思うわよ」
魔術師団が調査のために騎士団から借り受けた資料、そんなものをサートゥルヌスは何食わぬ顔で我が家へと持ってきていた。この人の遵法精神はいったいどこに家出してるのかしら。でも今の状況では、そんな少々欠けているサートゥルヌスの倫理感が大いに役立った。
拝借した過去の捜査資料を開くと、そこにはつい最近見聞きしたようなことが羅列されていた。
百二十年前、一人の少女をめぐって数人の男たちによる争いが起きた。それは平民の通う学校で起きたもので、当事者たちは全員成人前の子どもだった。
事の発端は十三歳になった少女が入学してきたこと。彼女はよほど魅力的だったのか、すぐに男子生徒の取り巻きができた。取り巻きの顔触れは学校の中ではいずれも人気の生徒で、将来を有望視されている見目麗しい者ばかりだった。
残されていた当時の証言によると、入学前の少女はおとなしい性格で、どちらかというと人と接することが苦手だったらしい。それがある日突然、性格ががらりと変わってしまった。転んで頭を打ち寝込んだその翌日――少女は変貌した。
引っ込み思案だった少女は、一夜にして男を絡めとる毒花へと姿を変えた。
「これ……」
「うん。今のアブンダンティア様と同じだよね」
さらにページをめくる。そこに書かれていたのは、事件の結末だった。
「この子は……生涯幽閉⁉ 刃傷沙汰を引き起こしたとはいえ、いくらなんでも罰が重すぎない? だって、死人までは出てないのに」
「それは俺も気になってるんだ。何か、閉じ込めておかなきゃいけない理由があったのかな」
「そうだ。ねえ、結局この事件の原因ってなんだったの?」
「……わからない」
せっかく見つけた手がかりだったけど、なぜ少女の人格が変わってしまったのか、どういう手段で取り巻きを作り上げたのか、そういったものの原因は書かれていなかった。
「ただ気になるのは、この少女もよく意味のわからない言葉を使っていたらしいんだ。その中に『ちーと』って言葉があったらしい」
「いったいなんなのかしら、『ちーと』とか『ひどいん』とか」
「わっかんね。あとは幽閉されてるとき、『助けてよ、ラウェルナ』って何度も叫んでたらしい」
「ラウェルナ? ラウェルナって、もしかして盗人の女神ラウェルナ?」
「ラウェルナっていったら、やっぱりそれだよな。この少女、ラウェルナの巫女とかだったのかな?」
女神ラウェルナ――盗人や詐欺師たちの守護神とされる、不法な利益を司る女神。普通に生きている人々には無縁の、無法者たちが崇める暗黒の女神。
「ラウェルナについても少し調べてみるよ」
「わかった。何かわかったら私にも教えてね」
「りょーかい」
サートゥルヌスは軽く承諾すると、いつも通りの笑顔で我が家を後にした。
「百二十年前の少女の事件、女神ラウェルナ、ちーと……全然わからないわね」
私が殺されたユーノーの月まであと三ヶ月半。前回とは私たちの動きが違うから、あと三ヶ月半も猶予があるのか、それとも殺される道をすでに逸れているのかもわからないけれど。
「女神ラウェルナについて、私も少し調べてみようかしら」
我がパルカエ男爵家は歴史だけは立派なのよね。建国当時からあった家だっていうし、だったらもしかして書庫に古文書とかあったりしないかしら。
なんて期待を胸に書庫を探してみたけれど、そう簡単に事は運ばなかった。
「いったい何冊あるのよ、うちの書庫……」
普段立ち入らない場所だったからそこまで気にしていなかったけれど、改めて見ると我が家の書庫は立派なものだった。立派過ぎて、少し涙が出てきた。こんな本の海の中からどうやって目的の本を探せば……
「あら、モルタがここへ来るだなんて珍しい」
「デキマ姉様! 姉様こそ、どうしてここに?」
本棚の間から出てきたのは、去年の夏に嫁いで家を出たはずの次姉のデキマ姉様だった。
風信子みたいな青の豊かな巻髪に淡い黄色の瞳の妖艶な美女は、からかうような笑みを浮かべて私を見ていた。
「たまたま近くに来たから寄ったのよ。ちょっと借りたい本もあったし」
「デキマ姉様は本当に本が好きね。さすがこの書庫の主」
「この書庫の主はお父様よ。さすがお父様、また面白い本を仕入れていらしたわ」
うきうきとまた本の海へと飛び込もうとしたデキマ姉様を慌てて呼び止める。
「待って、デキマ姉様。私も本を探しているんだけど、どうやって探せばいいのか教えて欲しいの」
私は乗馬とか外で体を動かす方は得意だけど、残念ながら書庫のことはさっぱりわからなかった。読みたい本があるときはメイドに頼んで持ってきてもらっていたし、自分でここに探しにきたことなど数えるほど。そういえばそのときも圧倒されて毎度逃げ帰っていたわね。
「なんの本? 確かモルタが読むのって、色気なんて皆無な技術書とか図鑑とかそういうのよね?」
「色気皆無……いいでしょ、好きなんだから! 今回探してるのは、女神ラウェルナに関する本」
「女神ラウェルナ? って、盗人の女神の?」
怪訝そうな顔をした姉様に力強くうなずく。
「なんでまたそんなものを。あの女神に関するものだと、おそらく表には出てないわね。出ていたとしてもそれは子供向けのおとぎ話の絵本とかだから、モルタが欲しいものではないわよね?」
聡いデキマ姉様は、私が説明をする前に色々と察してくれた。うなずくだけで楽だけど、ちょっと怖い。
「それだと、残念ながら私では力になれないわ。今夜、書庫の主であるお父様がお帰りになられたらお願いしなさい。明日の夜ではだめよ。ノーナと旦那様、そしてお母さまがいない今夜でないと」
※ ※ ※ ※
夜、お帰りになられたお父様が夕食を済ませた頃合いを見計らい声をかけた。
「ラウェルナ様に関する本が見たい? 技術書と図鑑くらいしか興味のないモルタが?」
「少し気になることがありまして」
みんな、私をなんだと思っているのかしら。私だって技術書と図鑑以外のものだって読むわ。……「厳選廃墟50選」とか、「月刊名馬の友」とか。
「ラウェルナ様とはまた穏やかでないね。理由を聞いても?」
やっぱり聞かれるわよね。よりによってラウェルナだし。娘が暗黒の女神に傾倒するなんてことになったら親としては困るなんてものじゃないものね。
「お父様もアブンダンティア様の件はご存じですよね」
「今や王宮に関わる者で知らぬ者はいないだろうね」
「そのアブンダンティア様の変貌の原因……それに、女神ラウェルナが関係しているのではないかと思いまして」
「……サートゥルヌスか。あのクソガ……んん、あの男、今回の件にモルタも巻き込んでいるのか?」
「巻き込んだというか、私が突撃しました」
お父様は苦虫を噛み潰したような顔をすると、大きなため気を吐き出しがっくりとうなだれてしまった。
「モルタ。おまえは昔から、なぜそう危険に首を突っ込みたがるんだ?」
「なぜ、と言われましても。そうですね……成り行きと勢いでしょうか」
「成り行きと勢いだけで行動するのは止めなさい。本当に何度言ったらおまえは」
これはまずいわ。今はお父様の長いお説教なんて聞いてる暇はない。というか、暇でもお断り。
「お父様。今回は成り行きと勢いだけではないのでご安心を」
「どこに安心できる要素があるのか教えておくれ、我が娘よ」
「いざとなったらサートゥルヌスを盾にいたします」
「わかった。いいだろう」
サートゥルヌスの名前をこういう形で出すと、お父様はかなりの確率でお願いを聞いてくれる。
おかげで難なく書庫への道が開けた。そして、お父様に連れられ昼間以来の書庫へ。
「ラウェルナ様関係は禁書なんだ。いいかい、誰にも言っちゃダメだからね」
「お父様。さては闇市で集めましたね?」
「しー! しー! だから他言無用だってば。もし奥さんやノーナに知られたら、全部捨てられちゃう……」
書庫の最奥、お父様が本棚の本をいくつか動かすと、棚が横にずれて扉が現れた。扉の向こうは地下へと続く階段になっていて、その先にはまた鍵のかかった扉があった。
「ようこそ、我が秘密の蒐集物部屋へ!」