4.運命の女神は糸を絡ませる
サートゥルヌスに送ってもらい、家へと戻ってきた。
「おかえりなさい、モルタ」
サートゥルヌス様が帰った直後、玄関ホールに姿を現したのは長姉ノーナだった。化粧サルビア色の青い髪をふわふわと踊らせ、明るい黄色の瞳を輝かせ、うきうきといった顔で私のもとへと小走りでやってくる。
「モルタとサートゥルヌスちゃん、今日も仲良しで姉さま嬉しくなっちゃった」
ころころと笑う、どう見ても私よりも年下に見える美少女。そんな一見無邪気な美少女のノーナ姉様だが、彼女は我がパルカエ男爵家の正当な跡取り娘であり、既婚者という見た目詐欺な人だったりする。
「ありがとう? あ、そうだ。ねえ、ノーナ姉様。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
どうして思いつかなかったんだろう。ご令嬢のお茶会より、同じ家に住んでいて男爵家当主として社交界に出ている姉様に聞いた方が早かったのに。
「なあに? 夫婦円満の秘訣かしら」
「それも気になるには気になるけど。……聞きたいのは、アブンダンティア様のこと」
にこにこ笑顔だったノーナ姉様の顔が瞬時に曇った。
「サートゥルヌスちゃんのことね。でも大丈夫よ。いくら王家から横やりが入ったところで、当のサートゥルヌスちゃんが絶対にうなずかないもの」
「王家から横やり……って、やっぱり王家からトゥルスに縁談の打診がいってるの?」
「あら、知らなかったの? もう、だから噂話にも少しくらい興味を持ちなさいって言ってるでしょう」
それはすでに痛感しました、姉様。
それにしてもサートゥルヌス、嘘ついたわね。何が特に何もないよ。大ありじゃない。
「ねえ、姉様。アブンダンティア様に何が起きているの? 以前のアブンダンティア様だったら、婚約者がいる人をどうこうしようだなんて恥知らずなこと、絶対になさらなかったわよね?」
私の言葉に姉様は悲し気に目を伏せた。
「こんなところではなんだから、私の部屋に行きましょう」
確かに玄関ホールでする話ではない。姉様の部屋に場所を移し、人払いをしてから話を始める。
「私も側近というわけではないから詳しくはわからないのだけど……アブンダンティア様がおかしくなられたのは、モルタとサートゥルヌスちゃんの婚約が締結された日らしいわ。旦那様から聞いたのだけど、その数日前からアブンダンティア様は高熱を出されていて、ちょうど婚約締結の日の朝に快復されたのですって。でも……」
姉様の眉間に不機嫌そうなしわが表れた。
「目覚めたアブンダンティア様はまるで別人。乱暴な言葉遣い、理不尽な要求、品性のかけらもない振る舞い。陛下たちもかわいい末娘のあまりの変貌に参ってしまっているわ」
「珍しく、噂はほぼ真実だったのね」
姉様は大きなため息を吐くと、「残念ながらね」と私の言葉を肯定した。
「王宮魔術師たちの見立てでは、精神的な操作、もしくは干渉を受けているんじゃないかって」
「すでに王宮魔術師の調査が始まっているのね。じゃあもしかして、サートゥルヌスも?」
「当然捜査には参加しているでしょう。陛下たちは必死だもの。国で一番の魔術師を放っておくわけないわ」
なるほど。サートゥルヌスがアブンダンティア様のことを隠していたのは、もしかして守秘義務からかしら。そして私を関わらせたがらなかったのも、本当に調査の邪魔になるから……かも。
でも、それでも引けない。私には、あの最期の記憶があるから。アブンダンティア様に精神的な操作、もしくは干渉が疑われるというのなら、私よりも近いところにいるサートゥルヌスにだってそれが及ぶ可能性はあるんじゃない? 私を殺したサートゥルヌスは、もしかしたら操られてたんじゃ……
「気を付けて、モルタ。あのアブンダンティア様なら、あなたに直接危害を加えてきてもおかしくないわ」
「ありがとう、姉様。外出するときは必ず護衛をつけるようにする」
「ええ、ぜひそうしてちょうだい。でもできれば、あまり出かけて欲しくないというのが本心なのだけど」
それはそうよね。家にこもっている方が安全性は格段に高いもの。動かなければ、もしかしたら私の命だけは助かるかもしれない。でも、それだけじゃダメなの。それじゃ、サートゥルヌスを失ってしまうかもしれないから。
姉様の部屋をあとにし、自分の部屋へと戻ってきた。
さあ、これからどうしよう。ひとまず状況と考えを整理してみようかしら。
机に向かい、ノートを取り出す。
「まずは、私が死んだ日の行動を書き起こしてみようかしら」
ユーノーの月 2日
・朝トゥルスが迎えに来て薔薇園へ行った。そこで結婚式の話をした。
・昼ごろ、トゥルスに王宮から緊急の呼び出しがきて別れた。
・夕方、仕事が終わったトゥルスが家に迎えに来た。観劇の約束をしていたので一緒に出かけた。
・馬車に乗り込んだところで記憶が途切れる。気がつくと廃墟のような場所に転がされていた。
・サートゥルヌスとアブンダンティア様が現れ、サートゥルヌスに短剣で腹を刺された。
この日、昼まではいつものサートゥルヌスだったと思う。怪しいのは、夕方からのサートゥルヌス。なんかいつもと違うなって違和感はあった。あったのだけど、馬車に乗り込んだら確かめる暇もなく意識がなくなってしまったんだった。
次は、今わかっていること。
・アブンダンティア様は高熱を出して臥せっておられた。快復したのは私たちの婚約締結の日。
・その日から人が変わってしまわれた。
・アブンダンティア様は見目麗しい男性を周囲に配置しようとしている。
・候補の男性たちの婚約者を排除しようとしている。私もその中の一人。しかも最も敵視されている。
・サートゥルヌスにご執心。
・「ひどいん」「ちーと」などの意味の分からない言葉を度々使う。雰囲気からして罵倒の一種?
・現在王宮でも魔術師団と騎士団が原因を捜査中。
「アブンダンティア様を中心にして何かが起こってるということはわかるんだけど……」
今はヤーヌスの月三十日。私が殺されるユーノーの月まで予定ではあと四ヶ月ほど。でも前のときとは違う動きをしてしまっている今、前と同じ日まで私が殺されない保証はない。
「とりあえずは様子見、かしらね」
それから一ヶ月――フェブルウスの月二十八日。私はいまだ無事だけど、アブンダンティア様の周囲は確実に変わっていた。
「ティア、ここの椅子は硬い。よかったら俺の膝に」
「ティア、すごくきれいな場所をみつけたんだ。今度一緒に行かないか」
「ティア、このお菓子おいしいよ。ほら、あーん」
王宮の一般開放されている庭園の一角、しゃれた作りの四阿でその茶番は行われていた。
アブンダンティア様の周りを取り囲むのは見目麗しい男性たち。みな一ヶ月前までは婚約者がいた、前途有望だった貴公子たち。
「サートゥルヌスぅ、こっち来てぇ」
四阿の外、そこには死んだ魚のような目をしたサートゥルヌスがいた。彼はアブンダンティア様の変貌の原因を突き止めるため、あえて彼女の取り巻きに入り込んでいる。
だから、今日ここへ私を連れてきたのはサートゥルヌス。彼は「必ず一緒に」と言った言葉の通り、何かあるときは必ず私に知らせてくれた。そして私でも近づけそうな場合は、目立たない場所から一行の茶番劇を観察させてもらっていた。
「サートゥルヌスぅ、抱っこしてぇ」
「お許しください。私は元平民。王女に触れるなど恐れ多く」
「もう! またそういうこと言う。大丈夫よぉ、サートゥルヌスはあたしのお婿さんになるんだからぁ」
気持ち悪い。
虚ろな目をした貴公子たちを侍らせ、彼らの囁く空っぽの愛に溺れ、サートゥルヌスに手を伸ばす。その浅ましい振る舞いに怖気立つ。
周囲から向けられる冷ややかな視線などまったく気にも留めず、アブンダンティア様はサートゥルヌスにしなだれかかった。
サートゥルヌスは仕事だ。わかってる。わかってはいるけど、ものすごく嫌だ。
「アブンダンティア様、そろそろお戻りになる時間です」
「いや! 勉強なんてしたくない」
「アブンダンティア様が戻られないのであれば、お諫めできなかった私が責任をとることになりますね。国外追放か、処刑か……」
「嘘⁉ え、この世界ってそんなに厳しいの?」
「はい。ですので、戻っていただけると私としてはとても助かるのですが」
サートゥルヌスの大嘘で、渋々だったがアブンダンティア様は帰ることを了承した。
でも、あんなありえない嘘信じる? 以前のアブンダンティア様だったら、この国の法律くらい理解していたはず。あのアブンダンティア様の中にいるのは、いったい何?