2.運命の女神は糸を梳く
記憶通り、私とサートゥルヌスの婚約は何事もなく結ばれた。
「モルタ、疲れてない?」
目の前のサートゥルヌスは記憶とたがわず、相変わらず私に優しかった。今のところ彼から私に対する憎しみとかそういったものは感じられない。
この優しい彼が、本当に私を殺す? 彼と接する時間が増えるごとに、私の中では疑念が高まっていった。
けれど、見極めなければならない。でないと、せっかく戻れたのに全てが無駄になってしまう。だから今回の私は、サートゥルヌスと少しだけ距離をとることにした。
溺れて、大切なものが見えなくならないように。
「あーーー早くモルタと結婚して、四六時中一緒にいてイチャイチャしたいーーー」
「それは無理よ、トゥルス。だってあなた、王宮魔術士っていう大切な仕事があるじゃない」
「モルタより大切なものなんてないですー。あーあ、仕事なんてやめて、どっか人が来ないとこでモルタと二人っきりで一生引きこもってたい」
巻き戻り前も今も、サートゥルヌスは変わらず私バカのようだった。
こんな人が本当に私を殺したの? これが全部演技だったのなら、私はもう誰も信じられなくなる。
「私は嫌よ。一生引きこもりなんて退屈だもの」
「えー! 俺はモルタがいてくれさえすれば退屈なんてしないよ」
「私はするの。そんな刺激のない人生、お断りよ」
「うぅ……モルタがひどい」
どこがよ。前々から愛が重い人だとは思ってたけど、なんだか今回は闇とか病みを感じるわ。
「ねえ、トゥルス。アブンダンティア様とは、最近どう?」
「アブンダンティア様? どうって言われても、特にどうもないけど。一代貴族の俺に王女との接点があるわけないじゃん」
今のところ本人から聞く限り、サートゥルヌスとアブンダンティア様には特に何かあるわけではないらしい。とはいえ、サートゥルヌスが私に隠しているなら話は違ってくるけど。
「でもトゥルスは、アルバ・ロンガの英雄じゃない。アブンダンティア様と絶対に関わらないだなんて、そんなのわからないわ」
サートゥルヌスはこの国の英雄。だから第四王女であるアブンダンティア様となら、たとえ一代貴族だとしても結婚できる可能性は十分にある。
もともとは平民だったサートゥルヌス。彼は三年前に隣国が仕掛けてきた侵略戦争に十三歳で義勇兵として志願し、大活躍の末に特例で爵位を賜った。突然現れた稀代の天才少年魔術師に、勝利の余韻もあって世間は大熱狂だったのを憶えている。
当時十四歳だった私は、世の中にはとんでもない人間がいるんだなぁ。なんて、他人事のように考えていた。けれどまさか、そのとんでもない人間が三年後、婚約を申し込んでくるなんて思いもしなかった。
「国の英雄とかどうでもいい。俺はモルタを手に入れるためにがんばっただけだし」
「私を?」
「そうだよ。だってさ、モルタは男爵令嬢じゃん。ただの平民の俺じゃ、貴族のモルタと結婚なんてできないだろ。だからさ、がんばったんだ。無事、爵位もらえてよかったよ。もしもらえてなかったら……」
「なかったら?」
サートゥルヌスはにこっと笑うと、
「モルタ攫って、誰も来ないような辺境に結界張って二人っきりの愛の巣を作って、そこで一生イチャイチャする予定だった」
待って。この人、すごくいい笑顔でなんか怖いこと言ってる。確かに前も愛は重かった。けど、ここまでだった?
「まず、私の意志を確認して。あとそれ、拉致監禁じゃない。だから嫌だって言ってるでしょ。それにしても、なんでそこまで私にこだわるのよ。私たちが出会ったのって、半年前にあなたが我が家に婚約を申し込んできたときでしょ」
「ちっちっ。言っとくけど俺は三年以上前から知ってるからね。でも、モルタが思い出してくれるまで教えてあげなーい」
なにそれ、初耳。もしサートゥルヌスと出会ったことがあるっていうなら、そうそう忘れられないはずなんだけど。
だって、サートゥルヌスは目立つ。目鼻立ちは神を模った彫像のように整っているし、髪色はこの国では珍しい漆黒。しかも瞳は赤で、黒い髪とあいまって夕焼け空のような美しい人。
王宮では女性にとても人気があるって噂だし、そんな人がどうして私みたいなたいして取り柄も旨味もない男爵家の娘に執着するのかしら。サートゥルヌスが望みさえすれば、アブンダンティア様の降嫁は簡単に現実になる。むしろ、王家はそれを望んでいるって噂もあるもの。
「とにかく! 俺はモルタ以外いらない。アブンダンティア様とのことを疑われてるみたいだけど、絶対ないから。そもそもアブンダンティア様って十三歳だよ。俺、子どもは対象外」
「でも、あと三年待てば十六よ」
「ないない。あ、でもモルタなら十でも十三でもイケるよ。ただ、その他の有象無象には興味ない」
サートゥルヌスから何かを引き出すのは無理そうね。これ以上深掘りをすると、聞かなくていいことばかり聞かされそうだし。
結局わかったのは、サートゥルヌスの愛が重いということ。そして、思っていたよりも闇が深そうなことだった。
翌日。ヤーヌスの月二十一日。
今度はアブンダンティア様の方を探ろうと思って王宮に来たのだけど……
「モルタ! 俺に会いに来てくれたんだね。嬉しい‼」
来て五分ほどでサートゥルヌスに捕まってしまった。
どうして? 仕事は? あなたの仕事場とここは、だいぶ離れているはずだけど。
それからはずっとサートゥルヌスに付きまとわれて、聞き込みどころではなかった。お願い、仕事して。
翌々日。ヤーヌスの月二十二日。
王宮はだめだとわかったので、ならばと同年代の令嬢たちの社交場、お茶会へと場所を変えた。こちらならサートゥルヌスも現れないだろうし。
そもそも噂話ならこちらの方が集めやすい。虚実入り混じってはいるけど、実が見つかれば儲けもの。
「アブンダンティア様? ああ、あなたもあの噂、お聞きになったの?」
「あの噂?」
胸を張ることではないけど、私は噂に疎い。他人のゴシップにあまり興味がないから、つい聞き流してしまう。貴族としてそれはどうかと思うけど、どうにもあまり得意ではない。
「あら、ご存じないの?」
目の前のご令嬢は目を輝かせると、気のせいか私を憐れむような顔で嬉々として語り始めてくれた。
「王女様、最近少しご様子がおかしいようなの」
ご令嬢の話によると、ここ最近のアブンダンティア様は以前とは別人のようだとのことだった。
常に見目の良い青年を侍らせ、周囲の目もはばからず淑女らしからぬ振る舞いをする。苦言を呈した臣下をあり得ないほど汚い言葉で罵る。御公務を放棄し、取り巻きを連れて遊び歩く。そして、サートゥルヌスにご執心とか。
どこまで本当のことかはわからないがこれが真実だとするのなら、以前のアブンダンティア様からは考えられないようなひどい変貌ぶりだった。
巻き戻りの件といい、アブンダンティア様を中心に何かおかしなことが起きている。でもまずは、アブンダンティア様が本当に変わってしまっているのか、それを確認してからだ。
そしてお茶会から一週間。ヤーヌスの月三十日。
「モールタ! また来てくれたんだね」
「トゥルス、あなたに会いに来たわけではないの。というわけだから、どうぞお仕事に戻って」
「冷たい! モルタが冷たい‼」
もしかしたら私は、王宮に足を踏み入れてはいけなのかもしれない。私が来るたびに英雄様が仕事を放りだすとなると、周囲には多大な迷惑がかかっているだろうから。
「ねえねえ。じゃあさ、モルタは何しに来たの?」
「王女様のご様子をうかがいに」
「王女様ってアブンダンティア様? この前からずいぶん気にしてるけど、何かあったの?」
はぐらかしても、どうせついてくるだろうし。
仕方ないので、アブンダンティア様の様子がおかしくなっているという噂を聞いたので、好奇心から確認しに来たと言った。
「好奇心? モルタが? 噂話とかあんまり興味ないのに?」
さすがサートゥルヌス、私のことよくわかってるわね。
「色々あるの! ちょっと確認するだけだから、アブンダンティア様が現れそうで、私が行けそうな場所教えて」
「うーん……いいけど、一つだけ条件がある」
「条件?」
「俺も一緒に行く。一人で行くのは絶対ダメ。あ、俺以外の男と一緒っていうのももちろんダメ」
「……わかった。じゃあ、同伴お願い」
本当は一人で行きたかったんだけど。
だって、サートゥルヌスは巻き戻り前、私を……。でも、あのときの彼に違和感をぬぐえない気持ちもある。あれは、本当にサートゥルヌスだった?
信じたくない、信じたい。目の前で笑っている、今このときのサートゥルヌスは信じてもいい? それとも、もうアブンダンティア様に取り込まれてしまっている?
「おいで。ここから先、絶対に俺から離れないで」
このサートゥルヌスが私に害を加えるなんて、やっぱり信じられない。私は、あなたを信じたい。