12.運命の女神は糸を巻き取る
机の上に置かれた招待状を見て確信した。また、巻き戻った。
マイエスタの月十八日。
私とサートゥルヌスの元に、アブンダンティア様から舞踏会の招待状が送られてきた日。
運命の日――ユーノーの月二日――まで、あと二週間。目覚めた時期から、おそらくこれが最後の巻き戻り。
「モルタ、大事な話がある」
夜、お帰りになったお父様から告げられたのは、サートゥルヌスが私に関する記憶を全て失ったということだった。
「どういうこと、ですか」
「私にもさっぱりだ。昨日まではいつも通りだったんだが、今朝になって急におかしくなった」
――目覚めるたび短く……そうか、要求される代償が段々大きくなっていくんだな。
巻き戻りの代償。よぎったのは前回のサートゥルヌスのつぶやき。
この巻き戻りの術は、使うたびに求められる代償が大きくなっていく。だから同じ代償を捧げても、二度目は一度目よりも戻れる時間が短くなってしまう。
サートゥルヌスはすでに二度、巻き戻りの術を使っていた。前回、三度目の術を使うのに同じ代償ではもう足りなくて、この二週間の巻き戻りのために私に関する記憶を手放した……たぶん、そう。
「お父様。明日、サートゥルヌスと会うことは可能でしょうか?」
「わかった。なんとかしよう」
翌日、お父様と一緒に王宮へ。魔術師団の応接室に通されしばらくすると、サートゥルヌスがやってきた。
「初めまして。あなたが私の婚約者で、団長の娘さんのモルタ様、ですか?」
「はい。初めまして……ではないけれど、あなたにとっては『初めまして』なのよね」
「……申し訳ありません」
サートゥルヌスは、きれいさっぱり私のことを忘れてしまっていた。よそ行きの言葉遣いも、適切な距離感も、完全に他人とのそれだった。今の彼から感じられるのは、私に対する戸惑いと苛立ちだけ。
「わかりました。では、婚約解消しましょう」
「……え?」
これは好機かもしれない。だって、巻き戻りの術は代償が大きすぎる。もうこれ以上、サートゥルヌスに巻き戻りの術を使わせるわけにいかない。
今ここで距離を置けば、サートゥルヌスにはあの術を使う理由がなくなる。
「モルタはそれでいいのか?」
「はい。エトルリア様、手続きの書類などは後日お送りいたします。お父様、よろしくお願いします」
「わかった。で、サートゥルヌスもそれでいいんだな?」
「え、いや…………はい」
これで私が死んでも、サートゥルヌスはもうあの術を使うことはないはず。これ以上あの術を使わせたら、次は命と記憶の他に魂までも差し出してしまいそうだもの。
さあ、あとはうまくできるかわからないけれど、私が女神の興味を失わせるか、満足させなければ。
「それでは、お元気で」
さようなら、サートゥルヌス。
挨拶をして踵を返したそのとき、突然手首を掴まれた。振り返ればそこには、センターテーブルに乗り上げ泣きそうな顔で私の手首を掴んでいるサートゥルヌスがいた。
「も、申し訳ありません! 俺、なにやってんだろ」
慌てて私の手首から手を離すと、サートゥルヌスは困ったような顔で自分の手と私の顔を交互に見ていた。
「お気になさらないで。では」
もし、私があの日を乗り越えることができたなら。そのときは、もう一度あなたに会いに行くから。
※ ※ ※ ※
ユーノーの月二日。
四度目にして、最後の運命の日。私は今日、ここで決着をつけなければならない。
「本当に行くのか?」
「はい。お父様には申し訳ありませんが、同伴お願いしますね」
サートゥルヌスとは婚約解消の手続き中なので、今夜の舞踏会にはお父様に連れて行っていただくことになった。
前回はなんの用意も心構えもないまま、女神に無理やり舞台へと引きずり出されてしまった。逃げても無駄だということはわかったので、今回は素直に参加することにした。それにしても、女神はいったいどんな結末を御所望なのかしら。
物語が好きだという女神の嗜好を少しでも理解できればと、この二週間はひたすら読書をしていた。古典的な純愛もの、ドロドロとした愛憎もの、そして最近流行っているという異世界もの。
死んだ者の魂が別の世界の人間に入りこんで活躍する物語。ラウェルナが私たちで再現しようとしている物語って、どう考えてもこの系統の物語よね。
だとすると主人公はアブンダンティア様の方で、私は主人公を邪魔する悪者。でも、本当にそうなのかしら? だって、アブンダンティア様の行動は物語の主人公にふさわしいとは到底思えない。
「女神ラウェルナは、いったい何を考えているのかしら」
「それがわかったら苦労しないんだけどね。神の価値観と我ら人の価値観は似て非なるもの。神々はときに理解し難いような思考で人を振り回してくれるからな」
王宮に向かう馬車の中、私のつぶやきにお父様が疲れ顔で答えた。
「だがまあ、いくら神だからといって好き放題されてもな。私たち人だって、理不尽に振り回されるのは面白くない。せいぜいできる範囲で抗ってみせるさ」
「対抗策があるのですか?」
「どこまで通用するかわからないが……まあ、見ていなさい。神本人を相手にするのでなければ、人にだってやれることはあるからね」
お父様たちはお父様たちで色々動いている。なら、私も私にできることをやるまで。たった二週間の付け焼刃だし、これが本当に正解の行動なのかわからないけれど……ここまできたら、やるしかない。
馬車を降り、お父様と共に決戦の場へと一歩を踏み出した。
※ ※ ※ ※
「モルタ・パルカエ! あんたとサートゥルヌスの婚約、今ここで破棄よ、破棄。あと、たかが男爵令嬢の分際であたしに嫌がらせした罪で死刑にするから」
始まった。前回は何も言えなかった。何もできなかった。でも、今回は私も精一杯抗わせてもらう。
「殿下、私とサートゥルヌス・エトルリア様との婚約ですが、現在解消のための手続き中でございます」
「……え、マジで?」
王女に発言の許しも得ないで言い返すなんて、本当はあり得ないこと。でも、今のアブンダンティア様の発言もあり得ないことだし。それに女神のご意向なのだから、こうなったら物語のように振る舞わせてもらうわ。
「それと、嫌がらせした罪で死罪とはどういうことなのでしょうか。私にはそのようなことをした覚えはございませんし、裁判もなしに殿下の一存で私を罰するなどという理不尽には断固抗議させていただきます」
「え、ちょっ、え……」
「殿下、さすがに今の発言は看過できません。パルカエ男爵家としても、然るべきところにて訴えさせていただきます」
私が言い返すと思っていなかったのか、アブンダンティア様は言葉に詰まってしまった。そこへお父様からの援護で、いまや意味もなく口をぱくぱくさせることしかできなくなっていた。
「うるせぇんだよ! モブはモブらしく黙って背景やってろ! ヒドインもさっさと死ねよ‼」
言い返せなくなった途端、わけのわからない言葉で汚い罵りの言葉を吐き出したアブンダンティア様。いえ、アブンダンティア様から体を奪った盗人。
女神ラウェルナ、本当にどういう趣味をしているのかしら。こんな人を主人公にしてあなたが見たい物語の結末って、いったいどんなものなの?
「殿下、お待たせいたしました」
「サートゥルヌスぅ!」
地団太を踏むアブンダンティア様の後ろから出てきたのはサートゥルヌスだった。
「……トゥルス」
私は、また失敗してしまったの? あなたは、また心を盗まれてしまったの? 私は、またサートゥルヌスを解放することができなかったの?
絶望に心が折れそうになったそのとき、肩にお父様の力強い手が置かれた。
そうだ。まだ、あの終わりの言葉は出ていない。まだ、きっとまだ何かできるはず。こういうとき、物語の主人公たち、悪役たちはどんな行動を取った? 今の私は主人公、悪役、どちらを演じればいい?
「サートゥルヌスぅ、モルタがあたしのこといじめるのぉ」
サートゥルヌスに恥じらいもなく抱き着こうとする盗人。この構図だと、盗人は主人公を冤罪で排除しようとする悪役の側よね。ということは、私は主人公を演じればいいの?
「お辛かったですね、殿下」
「サートゥルヌスぅ。怖かったぁ」




