9.運命の女神は糸を撚り合わせる
どこを見ているのかわからない虚ろな眼差しのサートゥルヌスは、かけらも楽しそうでない笑みを浮かべていた。
「ひさしぶりだね。ずっと会いたくて会いたくて会いたくなくて会いたくて」
どこからどう見てもサートゥルヌスの様子は異常だった。元からおかしな言動はあったけれど、これは違う。
「奇遇ね。私も会いたくて会いたくなかった」
「あは、モルタだ! 俺、やっぱりきみのこと大好きだよ」
「あら、ありがとう。私もトゥルスのこと好きよ」
苦しそうに笑いながら私に好意を示すサートゥルヌス。
ねえ、本当のあなたは今どこ? そこにいて苦しんでいるの? それとも、アブンダンティア様みたいに別人に乗っ取られてしまっているの?
「俺、モルタのこと好きで好きで好きで、大好きなんだ。好きすぎて苦しくて、だから……」
ああ、これはサートゥルヌスだわ。この息苦しいほどの好意、懐かしい。
「モルタのこと殺したい。殺して、永遠にしたい」
殺したら絶対に後悔するでしょうに。本当にバカね、あなたは。
「私は永遠になんてなりたくないし、トゥルスを永遠にもしたくない。私は限られた時間の中で、あなたと一緒に生きていきたい」
私の答えにサートゥルヌスの顔が嬉しそうに、そして泣きだしそうに歪んだ。
「モルタ……モルタモルタモルタモルタ‼ 俺はモルタを殺し……ちがっ、俺は……モルタと」
私の首に手をかけたサートゥルヌスは、何かに抗うように苦しんでいた。けれどそんな彼の葛藤と抵抗を嘲笑うように、私の首に回された手にはどんどん力が込められてきて。
意識が遠のきそうになった瞬間、首にかかっていたサートゥルヌスの手が外れた。というか、手どころか彼本体が弾き飛ばされていた。
「な、に?」
仰向けの体勢のまま頭だけを上げて熱を感じる胸元を見下ろすと、サートゥルヌスからもらったお守りのネックレスがぼんやりと光っていた。
私を助けてくれたのは、もしかしなくても、これ?
「無事だったかい、モルタ」
いきなりかけられた聞き馴染みのない声に慌てて振り向くと、そこにはアブンダンティア様のところで見た男――アイアース――が立っていた。
「……あなたは」
「どうしたんだい、モルタ。父親の顔を忘れてしまったのかい?」
意味がわからなかった。どう見てもアイアースにしか見えない男は、自分を私の父だと言いきった。
「父を騙るのはやめて。アイアース、だったかしら。こんなところになんの用?」
直後、アイアースの顔から笑みが消えた。彼は私のネックレスを見て不快そうな顔をしたあと、昏い目で私の後ろ――倒れているサートゥルヌスを睨みつけた。
「その忌々しい魔力の込められたネックレス……どうやら私程度の幻術では、貴女の耳目をくらますことはできないようだ」
姿と声を偽る幻術。そんなものが使えるとなると、ここは完全に結界の外よね。町からどのくらい離れた場所に連れてこられたのかしら。確か一番近い廃墟で、馬で三十分くらいだったはず。
「わざわざ姿を偽ってまでここへ来た理由は何かしら。ようやく再会できた恋人たちの逢瀬を邪魔しにでも来たの?」
「おや、慧眼ですね」
「それは無粋ではなくて? お帰り願えないかしら」
「申し訳ありませんが、私も目的があってここへ参りましたので」
後ろ手に縛られ転がされている私の目の前を、アイアースは悠々とした足取りで通り過ぎる。
「あなたの目的って何」
「さて、なんでしょうね。貴女には関係ないことですので、お気になさらず」
まずい。アイアースの標的はてっきり私だと思っていた。だって前回私を刺したのは、おそらくこの幻術を使ったアイアースだもの。今ならわかる。あのとき私を刺して笑っていたのは、この男だ。
「待ちなさい! 待って‼」
手首の縄をほどこうとめちゃくちゃに動かしていたら、不意に縄がするりとほどけ落ちた。
「なにこれ。まるで……」
まるで、決まった結末へ向かわせるために、何かの力が働いているみたい。
お父様の急な外出、万全の警備をしいていたはずの屋敷からの誘拐、そして今……こんな不自然な偶然、頻発する?
ともあれ、今はそんなのどうでもいい。アイアースのはっきりした目的はわからないけど、わかってることがひとつ。あいつは、サートゥルヌスに危害を加える。
跳ね起き、全速力でアイアースへと突撃した。
「アイアース!」
「なっ⁉」
そして振り向いたアイアースのあごに、頭突きを思いっ切り叩きこんでやった。
「また……生意気ブス……が……」
崩れ落ちるアイアース。
なにか聞き捨てならないつぶやきが聞こえた気もするけれど、まあいいわ。あとはさっき私が縛られていた縄でこいつを縛り上げれば――
「モルタ、走れ‼」
「トゥル――」
サートゥルヌスの警告の声、私はそれにただ素直に従うべきだった。
でも突然「走れ」なんて言われても、大抵の人は戸惑って声の主の方を見てしまうと思うの。私もね、そんな大抵の側の人間だった。
「サートゥル、ヌス……」
痛い。熱い。寒い。
刺されたお腹からどんどん血が抜けていって、立っていられなくて膝から崩れ落ちた。
残った力を振り絞って顔を上げれば、暗く陰り始めた視界には返り血を浴びて微笑む王女――アブンダンティア様――がいた。そして彼女の足下、私のすぐ目の前には、今にも泣き出しそうな顔をしたサートゥルヌスが倒れていた。
「な、んで……」
油断した。そうだ、前のときもアブンダンティア様はいたのに。アイアースが先に出てきていたから、忘れてしまっていた。
「トゥルス……」
もうほとんど力が入らなくなってきた手を伸ばす。
「モルタ! ごめん、俺……なんで」
サートゥルヌスの声が聞こえる。
ごめんなさい。私がラウェルナの術をたくさん使わせてしまったから、あなたに辛い思いをさせてしまうことになってしまって。
「じゃあね、ヒドインちゃん。サートゥルヌスはあたしがもらっといてあげるから、安心して消えちゃって」
「やだ! だめだ、逝かないで‼ 俺は、なんで……こんな結末、違――」
アブンダンティア様の意味の分からない言葉とサートゥルヌスの絶叫を最後に、私の意識は暗い穴の底へと吸い込まれていった。




