003 真夏の昼の夢
術具のことなら秋葉原。
電化製品、オタクグッズ、術具の専門店がひしめき合うのが秋葉原という街だ。予想最高気温三十五度は伊達じゃなく、正午前だというのに街はすでに灼熱の様相を見せていた。
「うーん。アキバって感じー!」
電気街に出たモモは、暑さに負けずご機嫌な調子で伸びをした。
夏休みの午前中。秋葉原駅前は祭りのような賑わいだった。圧倒的な男性率と、それに負けない存在感のメイド姿の女性たち。需要と供給のバランスが取れているのかは甚だ謎だが、今日も秋葉原は平常運転だ。
そんななかに降り立ったモモは、街の視線を独占していた。
白銀の髪は編み込みでまとめられ、覗くうなじは綺麗に整った襟足にほんのりと汗が光る。純白のティシャツに青いデニムのショートパンツというシンプルなコーデ。左手首の茅の輪に被せられた薄桃色のシュシュが、ほどよいアクセントになっていた。
素材良ければ全てよし。顔の良さもさることながら、小柄でスリムなボディラインと輝くような生足に、男女を問わずため息が漏れる。一方のオジーは甚兵衛に下駄という少数派の格好で、こちらには旅行者たちの視線がまばらに寄せられていた。そんな格差、当のオジーは慣れたもので、
「ほれ、日傘」
とトートバッグから日傘を出し、モモに軽く放って渡す。
「ありー」
モモは眩しい笑顔で、弾むように受け取ると、手元で一度くるりと回し、流れるような動きで開いてみせた。真夏の街にシュシュと同じ薄桃色の日傘が咲く。季節外れの桃の花だ。
出かけるのが好きなモモは、夏の暑さもなんのその。意気揚々と通りを歩く。荷物はオジーの鞄のなかだ。日傘片手に手ぶらのモモは、お供のオジーを引き連れて、お散歩気分で先を行く。
アキバのメインストリート、中央通りをまっすぐ北へ。電気街の外れのあたり、表通り沿いに小ぶりなビルが見えてくる。まだ新しい綺麗なビルで、入り口脇には『定礎2020年』の表記が確認できる。術具専門店『凪見堂』の看板を掲げる四階建のビルは、一階二階が店舗で、上が住居という作りだ。江戸から数え三〇〇年を越えてなお、この地に看板を出す長寿企業だった。
「なんか買うものあったっけ?」
店の前で日傘をオジーへ渡しながら、モモが思い出したように言う。言われてオジーは頭をかいた。
「最近道具を使うような仕事受けてなかったからなー。ごめん、わからん」
「オジー……まあいいけどさ」
モモは半眼でぼやき、店へと入る。
自動ドアをくぐると途端、冷房の恩恵が汗ばむ二人を出迎えた。店内は一見するとコンビニのような作りだが、漂ってくる香木やら薬草やらの匂いは術具店特有のものだ。
一階には売れ筋の消耗品が並ぶ。なかでも凪見堂プライベートブランドの呪符は有名だった。既製品よりも割高だが、霊力の通りがよく、初心者でも様々な術を行使できる。作り方は門外不出。売り切れ御免の人気商品だ。
店内に客の姿はない。多くの退魔師は夜型で、この時間の客足は極端に少なかった。
一階は店のエプロンをつけた女の子がレジに立っていた。大学生くらいだろうか。黒地のエプロンの胸元には白字で『凪』の字が三つ、三角形に配置されている。創業時の看板をそのままロゴにしているらしい。
モモが「ミヨちゃん、おはー!」と声をかけると、レジの子は軽く手を振って返した。モモとオジーはそのまま奥の階段から二階へ上がる。
二階は打って変わって骨董店のような雰囲気だ。巻物や人形、玉や鏡。一点物のさまざまな術具が、年季の入った木の棚に並ぶ。こちらはオーダーメイドから買取相談まで、コアな客向けのフロアだ。カウンターに立つのは現社長、凪見ユウミだった。
見た目からは三十代といわれても疑うものはいないだろう。艶やかな黒髪に切長の瞳。豊かなプロポーションを誇る長身はしなやかさを感じさせる。モモが花の可憐さならば、ユウミは刀の美しさといったところか。鋭さと妖艶さが際立つ美女だった。
「ユウさん。おはー!」
モモが元気よく声をかけると、ユウミは機嫌良さげに微笑んだ。オジーは後ろで軽く会釈する。
「いらっしゃい。景気はどうだい?」
「まあまあかなー」
定型句のような挨拶に、モモはニッと白い歯を見せて返す。ユウミは「なら、よし」と言ってからオジーへ視線を向けた。
「キミも相変わらずみたいだな」
「まあ、はい」
目が合い、オジーの視線が少し逃げる。オジーがユウミと会うのは三ヶ月ぶりくらいだろうか。
既製品は通販で買えてしまうので、オジーが凪見堂を訪れるのは、モモに付き合うときか特殊な術具が必要な時くらいだった。一方のモモは、学校帰りにちょくちょく寄ってはユウミと世間話をしている。完全に常連客だ。
「例のモノは?」
「はい、はい」
ユウミに促され、オジーはバッグをカウンターに置くと、天球儀の入った紙箱を取り出した。ユウミは箱ごとそれを受け取り、蓋を開ける。白い手袋をして天球儀を取り出すと、裏やら側面やらを軽く観察してから、そっとカウンターへ置いた。
「やはり思ったとおり、アーミラリ天球儀タイプの術具だな。製造者の刻印はない。機能まではわからないが、中間。キミなら使えるんじゃないか?」
「俺ですか?」
オジーは意外そうな顔をした。オジーは基本事務担当で、実技はもっぱらモモの仕事だ。ユウミは少し呆れたように息をついた。
「キミの免許は占術だろう。星読みの術具なんだから取り扱いはできると思うぞ。この手の術具はだいたい似たような使い方だしな」
それを聞き、モモが嬉しそうに手を叩く。
「やったじゃん! オジーもたまには役に立たないと!」
退魔師免許はあくまで通称。オジーの免許は『占術』資格だ。モモは『退魔』、ユウミは『術具作成』といった具合に、免許と一言にいっても中身は細かく分類されている。ちなみにオジーは試験合格に一番見込みがあったのが占術だったというだけで、別に占い師ではない。
「こうやって、こう。で、霊力を込めれば起動する。あとは直感的に動かせると思う」
ユウミが手順を説明してみせる。柱についた宝石を順番に触れ、リングを動かすだけの簡単操作だった。実のところ、オジーが術具を使うのは二年ぶりくらいだった。若干の不安を覚えつつ、言われた通りの手順をなぞり、天球儀に両手をかざす。手のひらの内側に見えないボールを作るようなイメージで力を込めると、天球儀にゆっくりと霊力が流れはじめた。ほどなく、中央の宝石に蝋燭のような光がゆらめいた。起動したのだと理解し、オジーは小さく安堵する。
「とりあえず占いなんで、どっちか占います?」
「はいはいー! 私ー!」
ノータイムでモモが両手を上げた。ユウミは苦笑して、どうぞと両手を差し出した。
「わかりました」
オジーもまた苦笑し、モモを意識しながら、両手でリングを触る。
直感的に動かせると言われた意味を、オジーは瞬時に理解した。ラジオのチューニングか、カメラのピントか、はたまた金庫のダイヤルか。リングを動かし、指から伝わる感覚で”いい感じの場所”を探せばよい。
「お、いけそう」
ひとつ、ふたつとリングを合わせたところで、中央の石が光を放ち、プロジェクターのように天井へ何かを映し出した。
「ん? 私?」
モモの声はだいぶ不思議そうだった。映し出されたのは確かにモモだ。ブレザータイプの制服を着て、街を歩いている。街並みからすると渋谷だろうか。
「モモちゃんの学校ってブレザーもあるんだっけ?」
オジーも疑問を口にした。記憶の限りではモモのブレザー姿を一度も見たことがない。
「ないよー。中学からセーラー服しか着たことないー。うん。ブレザーも悪くないかも」
モモは呑気に感想を述べる。ブレザー姿のモモは同級生らしき女子二人と話しながら歩いているようだった。ほどなく声が聞こえてきた。
『えー! 南雲っち彼氏できたの!』
『声が大きい! まだ彼氏とかじゃないし!』
『でも告られたんでしょ? OKしないの?』
『そんなの急に言われたってさー……』
渋谷のカールズトークは続く。
店内の三人は無言のまま天井を見上げていた。
「モモさん、彼氏、できたんすか」
オジーが真顔で言うとモモは顔を赤くして怒鳴った。
「いないんですけど!? 私いつ告られたの!? てかこの子たち誰!」
モモは一緒に歩く女子にも、ましてや彼氏などまったく覚えがなかった。
「そういえば噂で聞いたことがあるな。並行世界を覗くことができる術具の話」
ユウミは冷静な顔で天球儀へと視線を落とす。
「並行世界……ってパラレルワールドのことですか?」
SFなんかであるやつだとオジーは記憶を辿る。
「実際に見るのは初めてだが、"あったかもしれない自分"を見ることができる術具という触れ込みだったか。占夢術の研究でたまたまできたとか。珍しいものを手に入れたな」
「占夢術って、これ夢なの?」
モモは半信半疑の表情だった。ユウミは「さぁね」と肩をすくめた。
「”あったかもしれない自分”に何かの救いを求めたのか。予知にでも使おうとしていたのか。ただ、その術具だとすれば他の並行世界も見られるはずだぞ」
仮に救いを求めたのだとしたら、そいつは現世によほど嫌気がさしていたのだろうと、オジーは名も顔も知らぬ製作者に少し同情した。しかしそれ以上に興味深いとオジーは思った。
「他のっていくつもあるんですね。モモちゃん、どうする?」
並行世界のモモという存在がオジーの好奇心を刺激する。しかし、それらが良いものばかりではないことくらい容易に想像できるし、何より勝手に覗き見るような真似はしたくない。モモはしばらく神妙な顔で天球儀を睨んでいた。
「うー……みる……」
モモは苦い薬を口に含んだような表情だった。悩んだ末、モモも好奇心が勝ったということだろう。オジーは軽く頷いて、再びリングを動かした。しかし直後、あまりに真剣な表情でモモが見つめてくるもので、必要以上に力が入り、オジーの指はリングを思い切り弾いてしまった。くるくると勢いよく回るリングが止まったとき、”繋がった”のは本当に偶然だった。
「あ、繋がった」
オジーの間の抜けた声とともに、再び映像が映し出された。
今度は一転、自然豊かな光景だった。森の中だろうか。よく晴れた空の下、舗装されてない土の道をふたつの影が歩いていた。
「……クマさん?」
モモが眉根を寄せた。
影のひとつは小さなシロクマだった。美しく白い毛並み。果物のような桃色の帽子を被り、首元をリボンが飾る。
てくてくと二本足でご機嫌に歩く様を見て、オジーは一目でそのクマがモモだとわかった。なんとなくだったが、間違いないという確信めいたものがあった。
「モモちゃんだよね。このクマ」
「え、ウソ!?」
当のモモはまったく想定外だったらしい。歩くシロクマをじっと見る。
「どこらへんが?」
モモは首を傾げるばかりだった。改めて聞かれると答えるのに難しく、
「顔とか?」
とオジーがお茶を濁すと、モモは目を細めてさらにクマを凝視する。
「いや、クマ可愛いけど。えぇ? うーん?」
唸るモモをよそに、映像がゆっくりと引いていき、もうひとつの影が明らかになった。隣を歩いているのは人間の男だった。
「おや、隣の男はキミじゃあないか?」
ユウミの言葉に今度はオジーが驚いた。
「えぇ!? どこら辺が!?」
隣を歩く男は中年で、中肉中背。西洋風の外套を纏い……頭は中途半端に禿げている。見るからに冴えない男だった。
「あー、うん。こっちはオジーだね。間違いない」
今度はモモが冷静な声で言った。オジーは急に頭頂部が気になりだすが、手を離すわけにはいかない。オジーが抗議をしようとするよりも先に、森を歩く男がシロクマに話しかけた。
『モモちゃん、今日はどこに向かってるの?』
『気分かなー! 旅する子グマだし。ねえねえ、オジサン、お水出してー』
『はいはい。モモちゃんは今日もご機嫌さんだねぇ』
『まーねー』
聞こえてきた会話にオジーはみるみる顔が赤くなり、無言でリングをずらしていた。 モモも顔を真っ赤して俯きプルプルと震えている。ユウミだけがクツクツ、本当に腹を抱えて笑っていた。
「キミらは、異世界でも、まったく変わらないんだな。運命的というか。あーおかしい」
酸素を求めるように息をついて、目尻に涙を浮かべながらユウミが言った。モモもオジーもしばらく会話なく、お互いの顔をなんとも言えない表情で見合っていたが、次の一言は二人同時に発していた。
「「これ、買取で」」
ユウミはいよいよ声に出して大いに笑い始め、二人はいたたまれない気分をしばし味わった。
「あー! 恥ずかしいー!」
店を出たモモの第一声はそれだった。にらまれたオジーは、モモに嫌そうな顔を返す。
「俺のせいじゃないでしょ」
「どうだか」
それだけ言って、モモはスタスタと先をいく。オジーからその表情は見えない。
オジーは軽く頭をかいた。ふと髪の毛がある感触を改めてありがたいと思う。それから炎天下をいくモモの後ろ姿が気になり、
「焼けちゃうよ。ほい」
声をかけオジーが日傘を山なりに放ると、モモは見ることもなくそれを頭上でキャッチした。モモの背中が日傘に隠れる。それから少しの間、モモとオジーは離れて歩いた。やがて赤信号が二人を隣に並べた。
「お昼、食べて帰ろうか」
「うん」
信号を見たままオジーが言い、モモは声で頷いた。二人の前を車の列がただ過ぎていく。真夏の信号待ちは長かった。
「ねえオジー」
青信号よりも早く、モモが顔を上げた。自然と同じタイミングでオジーも顔を向けていた。そこにあったのは恥ずかしがるでもなく、怒るでもない。いつものモモの顔だった。
「旅行いきたい」
モモは真顔で言った。
「いいね。どこ行こうか」
オジーは驚きもせず答えた。モモに言われるまでもなく、オジーもそんな気分になっていたのだ。
こことは違った空の下、ご機嫌そうなシロクマと禿げた男はどこからきて、どこへいくのだろう。そんなことをオジーは思った。
それから二人は、ランチから帰宅まで、延々と旅先を出し合った。海だ山だとまったくまとまらないやりとりは、ケンカをしているようでいて、お互いどこか楽しげだった。
そんな二人の旅先は、帰りついた直後、満場一致で秩父に決まった。
ある夏の話である。
シロクマ帝国物語・異聞録 いかがでしたでしょうか。
”凪見”さんも出てきております。某喫茶店店長の家系の方です。世代的にはご先祖様ですね。
モモとオジーのコンビは書いていて面白かったので、何かの折にまた書いてみようかな。
最後までお付き合いありがとうございました!