001 巫女服女子高生『拝み屋』南雲モモ
新宿の街は大きくふたつに分かれている。繁華街とオフィス街。夜が深くなる頃、その境界線はくっきりと姿を見せる。
音の消えたオフィス街は、さながら黒くそびえるビルの森だ。はるか頭上にポツポツと残る明かりは、見る者によってはどこか寂しげでもあり、なにか恨めしそうでもある。
そんな街を走る影がひとつ。
その姿は大都会のなかにあって明らかに異分子だった。巫女服にスニーカーを履いた少女である。
歳の頃は一五か六か。薄桃色のリボンにまとめられた長い髪が、夏の風をはらんで宙を舞う。その色は白銀。白絹か白雪のような髪が、街灯と月明かりを薄く纏って煌めく。髪とは対照的な漆黒の瞳には強い意志が宿る。整った顔立ちは凛として気高く、孤高に咲く一輪の花を思わせた。
名を南雲モモという。
彼女はこの街で『拝み屋』と呼ばれていた。主な仕事は悪霊退治。個人の依頼から企業案件まで、安心安全明朗会計。出前迅速落書き無用。新宿という街は悪霊、怨霊に事欠かない土地だった。
「オジー! 無事ー?」
モモは走りながら話しかける。
『あんまり、無事じゃ、ないー! モモちゃんまだー!?』
イヤホンマイクの先から聞こえてくるのは、中年の男の声。だいぶ切羽詰まっているようだ。
「オジーがビル間違えたのが悪いんで、しょ!」
モモは驚異的な脚力で、ビルを囲む植え込みを飛び越えた。大きく開けたモモの視界が一人の男を捉える。車通りが消えた四車線道路の向こう側、ビルの脇を男が一人全力疾走していた。モモがオジーと呼んだ男である。中肉中背。あまり高くなさそうなスーツを着た前時代的なサラリーマン風の男は、モモを見て大きく片手を上げた。死にそうな息遣いが耳に届き、モモは通話を切った。
「見えてるっつの」
ため息をついて、モモは男とそのすぐ後ろを追っている存在を見据える。
男のすぐ背後に迫るものがある。闇より黒く、夜より深い。どこまでも空虚で冥いもの。
「うわぁ。なかなかグロいなー」
オジーを追っているのは見た目からして、怨霊で間違いない。たぶん飛び降りだろう。服装からすると男。死に様のまま化けて出たといったところだろうか。崩れた姿ではそれ以上はよくわからない。
「ま、いっか。よろしくヤクモ」
モモは左手の腕輪らしきものに話しかける。それはアクセサリーと呼ぶには異様な、茅で編まれた腕輪だった。神宝ヤクモ。南雲の家に伝わるモモの大事な相棒だ。
モモが半身に構えて左腕を突き出すと、腕輪が音もなく姿を変え、モモの左手のなかで七尺三寸の大弓を形取る。モモは何もつがえていない弦を引き、
「いっくよぉー! はーまやぁー!」
花火の掛け声よろしく声を張った。
モモの細い指が弦を離す。その瞬間、薄桃色の光の矢が顕現し、しなる弓から放たれた。
宵闇に鋭い鳴弦が響く。その矢は神速。桃色の閃光が一条の弧を描き、怨霊ごと夜の空気を貫いた。
中心を射抜かれた怨霊は桃色の光の粒となって霧散した。音もなく声もなく、静寂と静謐の夜に、文字通りこの世から去ったのだ。
モモはそれを見届け、長い息を吐いた。
「百発百中! ありがと、ヤクモ」
モモが微笑み弓に軽く口づけると、弓は再び腕輪に戻った。
「助かったぁ……ふひぃい」
幕引きの空気は、間の抜けた安堵の声で一気に締まりを失った。道路の向こうでオジーが地面にへたりこむ。モモはツカツカと近寄り、中年男を見下ろした。
「あのさ、オジー。やらかすのも大概にしてほしいんだけど」
モモは半眼で冷ややかに言い放ち、懐から首下げのスマホを取り出すと、汗に濡れた画面を拭いてからオジーの眼前に突きつけた。
画面にはこうある。『二十二時、小田電第一ビル』。
モモは八月の熱帯夜のなか、十五分前には現地で待っていた。巫女服でだ。二十二時を過ぎ、いよいよモモがイラついてきた頃、オジーからの電話はあろうことかヘルプコールだった。
「第一ビルだと思ったんだけどなぁ。第二ビルだったのね。あはははは」
オジーは締まらない顔で笑い、頭をかく。
「あはは、じゃない! さっさと帰ろ。暑い!」
モモはオジーの頭をひっぱたき、踵を返した。
新宿で有名な巫女服女子高生、拝み屋南雲モモ。これは彼女の物語である。