虐げられた錬金術師は幸せになりたい
「リアナ! この詐欺師め! 君との婚約は破棄させてもらう! 代わりに僕は、真実を伝えてくれた彼女……カトレアと結婚する!」
愛する彼に、婚約者であるラルナ伯爵家のクライスにそう言われた途端、世界から音が消えたような気がした。
代わりに嫌な耳鳴りがキーンと響いて、自分の心臓の鼓動が今までにないくらい激しく打っている。
そしてクライスが抱き寄せているのは職場の後輩、カトレアだ。
彼女は「クライス様、嬉しい……! リアナ先輩ったら今まで本当に酷くて……!」とクライスの胸に顔を埋める。
けれどそれは泣いたふりで、小さく笑みを浮かべるカトレアの視線が私を射抜いた。
……一体、どうしてこうなってしまったのだろう。
私はただ、茫然とする他なかった。
***
私ことリアナ・ケルミーは錬金術師だ。
このウラルス王国王都の王城内に設けられている錬金部で働いている。
実家のケルミー家は公爵家であるけれど、私は使用人同然に育った。
理由は私の母が、当主である父の妾であったから。
というのも、母は元々、父の屋敷の使用人だったらしい。
……らしいと言うのは、母は物心ついた頃には既に病で亡くなっていたからだ。
そして当時若かった父はある時、酔った勢いで一晩の過ちを犯し……結果、私が生まれたそうだ。
当然ながら正妻にして、私の事実上の義母であるエメラルダ・アルケミーから生まれた兄や姉たちは、私へ強く当たった。
下賤な血の流れる半端者であると。
純血の貴族は魔力──生命に宿る神秘の力──が濃く、一般に平民とは隔絶した力を持っている。
その力とは、魔力を消費して行使する魔導の術こと魔術が並外れて強大であったり、生まれつき身体能力が高かったりなど。
でも私の母は平民の使用人だったので、私の魔力は家族の中で最も低く、身体能力も平凡なものだった。
……寧ろ「せめて男に生まれていたらもっと力仕事をやらせてやったのに」とさえ言われる始末だった。
そうやって私は家族から雑用ばかり押し付けられ、虫の居所が悪ければ叩かれ、虐められるような……家族でなく使用人と同じ、もしくはそれ以下の扱いを受けてきた。
しかしそんな私にも取り柄はあった。
錬金術だ。
土塊を金に変えるように、ある物質を全く別の物へと変貌させる術。
これも魔術であるので魔力は必要だけれど、それ以上に必要なのは知識と、物体の“声”とも呼ばれる特性を見抜く能力だ。
幸か不幸か、私には半分父の血が流れているので、魔術を使うための魔力は最低限ある。
それに実家の屋敷での私の居場所は、自室か静かな図書室──といっても蔵書は魔導書が大半を占めている──にしかなかった。
だから時間さえあれば私は幼い頃から図書室で魔導に関する本を読み、知識だけなら豊富だった。
それらが幸いし、私は十五歳の時に王国の錬金術師採用試験を受け、どうにか合格して実家のあるケルミー領を遠く離れて……ここ三年ほど、職場近くの寮で生活している。
今朝も早起きして窓を開け放ち、朝の冷たく爽やかな空気を部屋に取り入れる。
そして火の魔法石から熱を発させ、小鍋でお湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
それから窓際の椅子に座って朝日に照らされる王都を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを口にする。
これが私の毎朝のお気に入りのルーティーン。
実家にいた頃からは考えられなかった、静かでのんびりとした朝のひと時。
ああ、なんて幸せな時間だろう。
……私は、多くは望まない。
欲しいものもあまりないし、贅沢もこれといってしなくてもいい。
ただ、このまま錬金術師として働きながら、将来は小さな家で愛する人と静かに暮らせたらいい。
この王国では大人になれば大抵の人が掴む幸せだけれど、それ以上は望まない。
本当にただ……昔のことを忘れて、穏やかに過ごしたいだけなのだ。
***
その日もいつも通り、私は忙しなく働いていた。
錬金術師の仕事というのは、ただ治癒水薬といった魔導薬や、魔道具の素材を生成すればいいというものでもない。
それらを発注してきた王城の部署や、各地の王立工房に民間工房などへの手続きも行わなくてはいけない。
さらに使用素材の仕入れ先への交渉なども業務のうちだ。
他にも近年高騰する魔法石──特定の鉱山から採掘される魔力を帯びた石で、錬金術師は素材としてこの魔法石を加工する職でもある──の使用削減計画の推進やそれに伴う会議など、城勤めの錬金術師というのはともかく多忙なのだ。
しかも仕事は個人ごとにも割り振られるけれど、大まかには所属する班ごとに振り分けられている。
つまり「これらの仕事は班員で割り振って片付けてほしいけど、最終的には班員全員で全て終わらせてね」といった寸法だ。
すると何が起こるかといえば、仕事をスムーズに進められる人間が、遅れている仕事のカバーに入らざるを得ないのだ。
私は若手ながら錬金術師としての作業は知識面でカバーできたし、書類仕事も実家で押し付けられていたので慣れっこだ。
でも他の班員……私の所属するアルメジスト班の面々はそうもいかない。
実はアルメジスト班の面々は私を含めて全員が若手の錬金術師であり、錬金部にはそんな班が後三つもある状態だ。
ウラルス王国は近年、魔道具産業について急成長を遂げようとしており、そのために魔導具の素材を作り出す錬金術師が不足していたのだ。
当然ベテランの錬金術師たちは既に大忙しで、新人に構う暇などほとんどない。
故に経験不足の若手だろうと、錬金術師採用試験に合格した者だからと多くの仕事を任される……この錬金部は既にそのような状態にあった。
……さて、ここまでの話で何が言いたいかといえば……。
私ことリアナは日々、急いで自分の仕事を片付けつつ、仲間であるアルメジスト班の皆のフォローに回っているということに他ならない。
「リアナさん! この発注書類なんですけど、先日ガリア街の工房から上がってきたものなんですが……素材の数量に対して明らかに予算が多いんですが、ミスを指摘すべきでしょうか?」
「しかも納品予定まで後五日。改めて書類を作り直して先方に決裁をお願いしようにも、このままだと間に合いそうになくて……!」
今年入ってきた新人二人の悲鳴のような相談を受けながら、私は魔導素材の乗った調合卓の上に魔力を放出して魔法陣を展開する。
魔法陣は魔力で描く魔術の設計図であり、自身の魔力を編むような形で空間に展開するものだ。
円形の魔法陣の縁には錬金術用の規格に仕上げられた魔導式が並び、魔術起動と同時に幾何学模様を描きながら縁を回り出す。
──うん。魔導素材たちの“声”も安定している。魔法陣を拒絶していないね。
そして調合卓上の素材の合成が始まったのと同時、私は二人に話し出す。
「前も話した通り、錬金術の起動中は集中しているからあまり話しかけないでね……! でも急ぎなのは分かったよ、ちょっと書類を見せて」
私は二人が胸元で広げている書類を確認し、一つ頷いた。
「これは大丈夫、素材表の横に小さくチェックが入っているでしょ? これは特殊調合作業の印だから、その工程分の予算で数字が膨れているんだよ。分かり辛いけど、ちゃんと覚えておいてね」
すると二人のうち一人は「流石リアナさん……!」と声を上げた。
けれどもう一人は「でも特殊調合って……!」と焦った様子で声を上擦らせた。
「私たちの腕前だと、この数の品だと四日はかかります! 輸送には二日かかりますし、五日後の納品予定にはやっぱり間に合いません……!」
「大丈夫だよ。……私も一緒に手伝うから、ね?」
「でもリアナさん、今もカトレアさんの手伝いをやっているんじゃ……?」
後輩の言う通り、私が今、錬金術で作っている品は一つ下のカトレアのノルマ分だ。
彼女は何をしているのか度々職場から消え、納期間際になって手助けを求めてくる。
この二人のように、困ったら数日前にはちゃんと相談してほしいけれど……いいや、今はそんなことを考えている余裕はない。
「任せて。三人でやればきっと間に合うよ。ひとまず先方にはギリギリになりそうな旨を伝えて、後で竜便の使用申請を出そう。ガリア街なら陸路で二日でも空から行ければ半日だよ」
「それは……でもリアナさん、私たちのせいで前に竜便を使いすぎて上の方に怒られていたじゃないですか。リアナさんの責任じゃないのに、これ以上ご迷惑をおかけする訳には……」
竜便は竜騎士と飛竜を飛ばす都合上、多大な報酬というコストもかかるので、あまり使用しないようにと上司からも言われている。
しかし新人だけのアルメジスト班では仕事が納期ギリギリになることも多いので、度々竜便にはお世話になっている。
……そして毎回、班のまとめ役を務める私が怒られるまでが一連の流れだ。
でも納期を落とすよりは遥かにマシだ。
「遅れるかどうかはこれからの私たちの頑張り次第だよ。ともかく進めよう!」
私はカトレアの代わりに錬金術で進めていた作業を一旦止め、二人の仕事に手を貸すことにした。
カトレアの担当する品は納品まで後一週間はあるし、何よりここまで進めれば後はカトレアだけでも十分だろう。
私はそう思い、その調合卓から離れていった。
……それから夕暮れ時になるまで二人の作業を手伝った後。
少し座って休もうと休憩していると、錬金部全体に拡声の魔道具でアナウンスが入った。
「ウラルス王国王城錬金部アルメジスト班所属、リアナ・ケルミー。至急、八番調合卓まで来なさい」
「八番調合卓……? あっ」
私が後輩二人の作業を手伝う前、カトレアの代わりに作業を進めていた台だ。
カトレアの机に八番調合卓にて作業を途中まで進めておいた旨の書置きは残しておいたのに、もしや彼女は今日一日あの書置きを見なかったのだろうか。
となれば八番調合卓には作業中の品が置かれたままだ。
朝から夕暮れ時まで調合卓の一つを無人で占拠してしまっては、呼び出しがかかっても不思議ではない。
「カトレア、一体どこに行っているのかしら……?」
私は半ば呆れつつも調合室の八番調合卓へと向かった。
するとそこには当然の如く仁王立ちする錬金部長のウォルト・バルシルが待ち構えていた。
髪を剃ったスキンヘッドには青筋が浮かび上がり、大柄な体格もあってかなりの貫禄と圧力があった。
けれど驚いたのはそこにいたのがウォルト部長のみならず、誰あろうカトレアと……私の婚約者であるラルナ伯爵家のクライスがいたことだ。
クライスは長い影を落とす長身に、皺一つない白を基調とした騎士服を纏い、翡翠色の瞳を凛々しく輝かせている。
けれど整った顔立ちは今日は不思議なほどに歪んで見えた。
また、二人は抱きしめ合い、カトレアに至ってはくぐもった泣き声を発している。
これは何事かと思っていると、ウォルト部長が口を開いて怒声を発する。
「リアナ君ッ! 君には失望した……。そして何故君のアルメジスト班の仕事の進捗が毎度遅くお粗末であるのかもようやく理解したッ! 八番調合卓に一日中品を広げてあった件も問題だが、何よりなんだこの出来は! 素材も無駄にして、これでは新人以下ではないかッ!」
唾を飛ばす勢いで怒鳴るウォルト部長に、私は「いいえ!」と言った。
「違います、これは作りかけなんです! カトレアの作業を代わりに進めていましたが、後輩二人の別の作業を手伝うことになって、それで一旦後回しに……」
するとカトレアがヒステリックに叫び出す。
「クライス様! 聞きましたか! 言った通りでしょう、リアナ先輩はいつもこうなんです! 自分の失敗を人の、私の責任のようにいつも押し付けるんです!」
カトレアは泣き叫ぶけれど、全く違う。
いつもカトレアがさぼってばかりいるから、彼女の分を代わりにやっていたのに。
作業を中断したから中途半端な出来だけれど、ちゃんと仕上げれば今からでも完成品にできるのに。
反論しようとすれば、クライスがため息をついた。
「分かったよカトレア。……僕も半信半疑だったけれど、もう疑う余地はない。リアナ、君は偽物の錬金術師だろう? でなきゃこんな、騎士である僕ですら分かる駄作を生み出す訳がない」
「えっ……?」
私は思わずクライスに聞き返した。
彼は一体何を言っていて、私は一体何を言われているの?
毎日毎日、こんなに頑張って、遅くまで働いているのに……。
「リアナ、これまで僕を騙していたのか? 君は錬金術師で公爵令嬢、将来性もあるからと婚約を申し込んだが……腕前は偽物で実家とも事実上の絶縁では、いいところなんて何一つとしてないじゃないか!」
クライスの言葉で自分の心にヒビが入っていくのが分かる。
音が遠のいてめまいがするような感覚。
……やめて、それ以上言わないで。
私とクライスは同じ城勤めだから以前から何度か顔を合わせる機会があり、その末に親しい友人のような関係となり……遂に半年前には彼から婚約してほしいと言われた。
その時は心の底から嬉しかった。
実家で虐げられてきた私にも、遂に自分のことをちゃんと見てくれる人ができたって。
でも……彼は結局、私の持つ「錬金術師」という職と「公爵令嬢」という肩書にしか興味がなかったのだ。
どちらも意味するところは安泰だとでも思ったのだろうか。
思えば婚約後、私が実家と実質絶縁していると話した際、彼は一瞬痛みを堪えるような表情になっていた。
あれは私を思っての表情だと感じていたけれど……実際は「やってしまった」「こいつは外れだ」くらいの気持ちの表れだったのかもしれない。
人の気持ちって……ああ、どうしてこんなに感じるのが難しいのだろう。
どうしてこんなに簡単に、踏みにじられてしまうのだろう。
私は騎士として日々鍛錬を重ね、頑張り屋さんだった彼を……騎士でもない「彼」という個人を、心底愛していたというのに。
結局、彼は違ったのだ。
彼が好いていたのは「錬金術師をやっている公爵令嬢」であって、「私」という個人を愛してはくれなかったのだ。
「リアナ! この詐欺師め! 君との婚約は破棄させてもらう! 代わりに僕は、真実を伝えてくれた彼女……カトレアと結婚する!」
そのように彼が話した瞬間、嫌な耳鳴りがキーンと響いて、自分の心臓の鼓動が今までにないくらい激しく打っているのが分かった。
そしてカトレアはクライスの腕の中で「クライス様、嬉しい……! リアナ先輩ったら今まで本当に酷くて……!」と彼の胸に顔を埋めた。
けれどそれは泣いたふりだったようで、小さく笑みを浮かべるカトレアの視線が私を射抜いた。
……どうして、今まであんなに力になってあげたのに。
これまで職場からいなくなっていた時間は全部、クライスのところへ行っていたの?
どうして私から彼を奪ったの?
そうやって聞きたかったけれど、ショックで砕けた心ではまるで声が出なかった。
そして最後に、ウォルト部長が低い声で発した。
「この錬金術の結果を見れば誰にでも分かる。リアナ君、君はこの錬金部には不適格だ。……錬金部長の権限をもって命ずる。今日限りでリアナ・ケルミーは錬金部を解雇とする。寮も出て行ってもらうぞ、この給料泥棒めが」
こちらを睨むウォルト部長とクライスに、泣いたふりで私をあざ笑うカトレア。
本当に……なんでこうなったのかと、私はその場に立ち尽くし、震えで崩れ落ちないようにするので精いっぱいだった。
***
私はいつの間にか、王城の中庭にいた。
普段は昼食を食べにくる、噴水が湧き出るその場所でベンチに腰掛け、俯く。
時刻は既に夜に差し掛かる頃合いで、本来ならすぐにでも寮の荷物を纏めなければならないところだ。
でも……とてもじゃないけれど、そうやって何かをする気分ではなかった。
「……私、なんのために頑張ってきたのかな……」
実家から離れてやっと仕事にも慣れてきたと思ったらこのザマだ。
婚約者は奪われ、職は失い、住む場所も追い出されようとしている。
こんな仕打ちを受けるなら、カトレアの仕事を手伝わなければよかったのかもしれない。
そうすれば八番調合卓にあんな作りかけの品を放置することもなかったし、そもそもカトレアとあまり関わらなければ、今回のような事態にもならなかったかもしれない。
「静かに暮らせたら幸せだって思っていたのに、そんなことも叶わないなんて……」
ぼんやりと俯いていると瞼が熱くなってきた。
でも、ここで泣いてもどうしようもないし、実家ではもっと酷い扱いを受けてきた。
……ずっとここにいても仕方がないし、一旦寮に戻ろう。
そう思って立ち上がろうとするけれど、中々体に力が入らない。
やっぱり今日の件は、自分で思っていた以上にショックなようだった。
大きくため息をついてそのままでいると、これまで聞こえていた噴水の音に混じって、誰かの足音が聞こえてきた。
王城にある大抵の部署では既に仕事が終わり、職員は帰っているはずだ。
この時間帯にここに来るような人と言えば……もしやと思い顔を上げると、
「やあ、リアナ。久しぶりだね」
近くから明るい声が響いてきた。
恐らくは若い男性の声、けれど声の主は見当たらない。
一見して不自然な出来事ではあるけれど、私にとっては慣れっこだった。
「……こんばんは、スカーフさん」
そう、声の主についてはスカーフさん……と私は勝手に呼んでいた。
というのも彼は透明スカーフという魔道具で体を透明にしているそうで、初対面──といっても顔も姿も見えない──からそうだった。
彼について分かっている情報といえば透明スカーフだけなので、故に呼び方がスカーフさんなのだ。
城勤めの方なのか外から忍び込んでくる人なのかさえ定かではないけれど、数少ない私の話し相手として、既に二年ほど交流が続いていた。
「んー、浮かない顔だね。何かあったのかい? こんな透明人間でよければ話くらい聞くけど」
「実は……。前に私、錬金部に勤めているって言いましたよね?」
「うん、聞いた。というか気になったこちらが強引に聞いてしまったって感じだけれど。その年齢であのハードと噂の錬金部でガンガン仕事をこなしているのは凄いって思ったけれど……それがどうかしたのかい?」
「クビになりました。錬金部」
「……はい?」
スカーフさんは私の話を聞き、しばらく黙り込んでしまった。
姿が見えないのでどんな表情をしているのか分からないけれど、声の雰囲気から強い困惑を感じ取れたような気がした。
「その……詳しく聞いてもいいかな?」
「構いませんよ。すぐに寮からも追い出される身です、スカーフさんと話すのもこれで最後だと思いますから」
そうして私はスカーフさんにクビになった経緯を語った。
彼には定期的に悩みや相談ごとを打ち明けていたので、こういった話をするのにもあまり抵抗がなかった。
また、話しているうちにどんどん、これまで溜まっていたものが言葉として漏れ出ていく。
実家での扱いや、婚約者を奪われたこと、そしてそもそも婚約者は私を愛してなどいなかったことまで。
……クビになった件とはあまり関係ないことまで話してしまったけれど、その分、心に残った重たいものが少し軽くなった気がした。
話し終えると、私は目尻を指で拭った。
「……という顛末なんです。だから私、これから寮に戻って荷物を纏めます」
「その、リアナ。行く宛はあるのかい? 実家に戻るとも思えないけれど……」
私はゆっくりと首を横に振った。
「行く宛はありませんし、実家にも戻りません。でも使い道のなかった給金は大半を貯めていたので、しばらくは保ちます。貯金が尽きる前に次の仕事を探します」
「そうか……。仮にも公爵令嬢なのに、どうしてこんなに酷い目に……」
スカーフさんはしばらく唸った。
……彼は普段、私の話を聞くとあまり悩まず明るく率直な解決策を示してくれる。
だからこうやって彼が悩むのはどこか新鮮な気がした。
そうしてしばらく考えた後、スカーフさんは「よし」と言った。
「こうなったら俺が提案できる手はただ一つ。……リアナ、俺の元で働かないかい?」
「えっ?」
今度は私が聞き返す番だった。
「あの、スカーフさんの元で働くって具体的にはどういうことですか?」
「今まで通り、錬金術師として働いてほしいんだよ。当然、君の価値を理解していない錬金部からは離れてね。ああ、それと君をクビにした錬金部長には後で降格処分を下しておくから。全く、前にこっそり見た感じでも、リアナの錬金術師としての腕前はピカイチなんだけどなぁ。それを見抜けずクビだなんて……大きな損失だよ、この王国にとってのね」
いつも通り軽く明るい口調で話すスカーフさん。
しかし今の話に私は少しの衝撃を受けていた。
「あの、錬金部長を降格処分って……スカーフさん、何者なんですか?」
「まあ、そうなるよね。俺もそろそろ正体を明かす頃合いだと思っていたよ。……というか、二年くらいの付き合いなのに名乗らず姿も見せないって結構な不義理だもんね。いい加減、ちゃんと姿を見せてあげるよ」
するとスカーフさんは透明スカーフを首から外したようで、次の瞬間、その姿が露わになった。
月を照り返して輝く銀の髪に、澄んだアイスブルーの瞳。
顔はすっきりと細く締まっており、整った目鼻立ちをしている。
体は想像していたより長身であり、衣服の上からも引き締まった体躯であると見て取れる。
月を背にする長身は、風に吹かれて逆立った髪が角のようにも見え、伝承に出てくる銀竜をイメージさせた。
何より……その衣服の左胸には王国の紋章である、竜と魔法陣の意匠が刻まれていた。
それは即ち、王族の証。
「ア、アクセル第一王子……!?」
驚きのあまり、私はスカーフさんこと彼の名前をそのように口にしてしまった。
アクセル・イル・ウラルス第一王子。
このウラルス王国の第一王子であり、私も王城で行われた式典などで何度か姿を目にしたことがある。
噂によれば月の魔術の達人であり、ウラルスの月竜の二つ名で知られている御仁だ。
しかもそのクールな容姿と物静かな性格から近寄りがたい雰囲気を纏っているとも言われていたのだけれど……。
「……あの、失礼ですが本当にスカーフさんの正体、アクセル王子なんですか?」
すると彼は小さく噴き出した。
「いやはや、やっぱり意外だよね。二年間も正体を隠していた透明人間の正体が王子なんて。でも許してほしい、俺も姿を見せたままだとあまり自由には……」
「いいえ、その……性格的な意味です」
──あまりにもフレンドリーすぎて噂やイメージと違いすぎる!
するとアクセル王子は苦笑した。
「ああ、そっちか。普段の執務中は真面目にやっているからよく勘違いされるけど、プライベートはこんな感じだよ。寧ろ、悪ふざけでこれを着用している間も真面目にやっていたら馬鹿みたいじゃないか」
言いつつ、アクセル王子はスカーフを小さく掲げた。
「あの、ちなみにですがなんで王子が透明スカーフを使って悪ふざけを……?」
するとアクセル王子はどこか悪戯めいた笑みを浮かべた。
「王子がふざけたらいけないのかい? 俺にだって楽しみの一つや二つ必要なのさ。何より王子って立場だからあまり自由に遊べなくてね、それで透明スカーフを使っていたのさ。そんな訳で二年前から時たま透明人間になってこっそり王城のあちこちを巡っていたら、うっかりぶつかった君と知り合ったって寸法だよ」
思えば彼と知り合ったのは、ドン! と何かにぶつかったと思いきや、そこに何も見えなかったのが始まりだ。
当時驚いた私は「誰かいるんですか!?」と大声で発し、その声に驚いたと思しき王子も「うわっ!?」と声を上げ……透明人間スカーフさんの存在を知った次第だった。
「……さて、俺の正体もバラしたところで本題に戻ろう。俺はさっきもちらっと言った通り、リアナの錬金術師としての腕前は結構凄いと思っていてね。リアナがこのまま王城を去ってしまうのはちょっとどころかかなりの損失だと思っている。若くしてひと班を纏め上げ、次々に自分の仕事を済ませて他人を手伝えるその手腕。何より俺が発注した魔導杖も見事に生成してくれた。……俺の納得のいく杖を作ってくれたのは、実はリアナが初めてだ」
その話を聞き、私は「あっ」と思い出す。
かつて王城のとある部署から急ぎで魔導杖──特定の魔術の起動に必要な大きめの杖──作成の発注が入り、先輩方が多忙だったからと私が錬金術での生成を担当したのだ。
十日かけて完成させたけれど、あの時の魔導杖は部署を通してアクセル王子が発注したものだったのだ。
こうして納得のいく杖と言ってもらえて嬉しく思う。
「だからどうかな? 錬金部なんて離れて俺の元で働いてほしいんだ。給金は今の三倍出すしボーナスだって跳ね上げる。残業もほぼないし、リアナには自由に錬金術を扱ってほしいんだ。住む場所も提供できるけれど……どうかな?」
正直、願ったり叶ったりというか、今すぐ飛びつきたい条件だ。
でも……。
「アクセル王子、どうして私なんかにそんないい条件をくださるんですか? まだ若手の私なんかに……」
「そんな、謙遜しなくていいって。さっきも言った通り、俺の納得のいく魔導杖を作れたのはリアナが初めてなんだ。深い知識と物体の“声”を聴いて正確に魔導式を組み立てるセンスと実力……ベテランの錬金術師でもここまでの資質を持っている人間は滅多にいない。リアナの力がこのまま伸びれば、すぐにでも王国トップの錬金術師になれると俺は確信している。だからこそのあの条件なのさ。このまま手放すより、自由に錬金術を扱わせて育てた方が絶対にいいと俺は確信している。何より……!」
アクセル王子は私の手を大きな両手でぎゅっと掴んだ。
「付き合いのある友人が理不尽に職と婚約者を奪われ、実家からも酷い扱いを受けていたなんて……。そんな話を聞いて放置する方もおかしいだろう? リアナは大切な友人だ。だから少しでも幸せになってほしいし、好きに生きてほしいんだ」
そう語るアクセル王子の瞳は強くて、見つめれば吸い込まれてしまうと感じるほどに綺麗だった。
今まで姿は見えなかったけれど、二年間の付き合いで彼が信用できると私にも分かる。
だからこそ、私はアクセル王子に頷いた。
「分かりました。そのお話し、受けようと思います。これからよろしくお願いします!」
「よしっ! なら早速住む場所からだ。このままだと寮を追い出されてしまうし、そのまま居つくのも気分が悪いだろうし。早速手配するから少し待ってほしい。ひとまず……うん。今夜は城の客室に移ってもらおうかな、話はちゃんとつけておくから」
こうして私はスカーフさんことアクセル王子の導きで、失職の窮地を脱したのだった。
そして、これから彼の元でどんな生活が待っているのだろうかと、私は少しだけ胸を高鳴らせていた。
***
リアナに解雇が言い渡された翌日。
王城の錬金部では早朝から少しばかりの騒ぎが起こっていた。
それは錬金部の掲示板に張られた通達書によるものが大きく、その周囲には人だかりができていた。
第一王子の印が押されているその通達書に書かれている内容は主に二つ。
その一つ目は……。
【本日をもってウォルト・バルシルを錬金部長から解任する】
「えっ、ウォルト部長が解任!?」
「でも下に続いている文を見る限りだと、解雇ではないな。降格してヒラの錬金術師に戻るって感じかぁ……」
「一体何をやらかしたんだウォルトさんは。……しかし最近は横暴だったし当然の罰かな」
「後釜はバルトさんね。まあ、古株で一級錬金術師だし妥当かも」
そのように騒がれている時、錬金部のドアが大きく開く。
全員がそちらへ視線を向ければ、そこには生気の抜けた表情のウォルトが立っていた。
よろよろと人だかりへ、より正確には張られた通達書へと足を向かわせ、その内容を確認すると膝から崩れ落ちた。
「ば、馬鹿な……。本当にこんな、こんなことが……」
身を震わせるウォルトに、周囲からは憐みの込められた視線が送られた。
しかしその場にいた全員が真に驚いていたのはウォルトの降格処分ではなく。
【リアナ・ケルミーをウラルス王国第一王子アクセル・イル・ウラルス直属の錬金術師として任命する】
「流石はリアナさん……!」
「第一王子の直属だなんて大抜擢じゃない!」
通達書を見て、リアナに助けられた後輩二人は揃ってはしゃいでいる。
他にも「彼女は若手ながら実力はあったしな」「将来は大物かもな」とベテランの錬金術師たちは納得した様子を見せている。
しかし、その一方……。
「ど、どうしてあんな人が……第一王子の直属に……?」
唖然としているのはカトレアだった。
実は通達書には記されていないものの、彼女も昨晩、大幅な減給を総務部から言い渡されたばかりであった。
……騎士のクライスと共に。
そうして昨晩から腹を立てつつ、クライスからの慰めもあってどうにか錬金部へやってくれば……リアナの事実上の出世について知らされたのだ。
蹴落としたはずの女が一晩のうちに自身の手の届かぬ範囲へと飛び上がった事実に、一方自身は大幅な減給となった現状に、カトレアは唇を噛みしめた。
「どうして私が、こんな惨めな思いを……!」
完全な逆恨みであるものの、後にこの逆恨みがカトレア自身を破滅させ、それはクライスや錬金部すら巻き込むことを……彼女自身も錬金部の面々も、この時はまだ知らなかった。
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