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8.墨痕鮮明


 少し、色々と考えようと思った。

 あの男に言われたからではないけど、このままじゃいけないっていうのもわかっているし一応ね。身の振り方ってやつ? を、改めて考えてみようと思うのよ。

 今までは流されるままに生きてきたけど、幽霊になって振り返る時間が増えた結果、もう少し自分から動く機会を増やしても良かったのかしらと思い至ったの。


 今までと言えば、王家から預けられた家格に恥じないよう……。いいえ、違うわね。与えられたものを再び剥奪されないようにとビクビクしていたわけよ。そして何をするにもあの男、オスカー様の機嫌を損ねないように顔色を窺っていたの。

 もちろん、そんなこと顔に出さないように必死に肩肘を張っていたわよ? でもやっぱり気付く人は気付くものなのよね……。だからこそ、私が「ハリボテの令嬢」なんて呼び勝たされていたわけだし。

 私なりに頑張っていたつもりだったんだけど。なんの功績も立てずに父が爵位を賜ったことへの含みもあっただろうけど、周囲からの評価はあまり良くなかったのは確か。元々伯爵令嬢なんてものの器なんかじゃなかったんでしょうね。

 まぁ、そんなことはどうでもいいわ。今は私の今後の人生について考えることにしたのよ。


 まずは今の状況を整理してみることから始めましょう。

 今の私の状況だけれど、簡単に言うなら私は幽霊になっている。一応まだ死んでいないみたいだけど、体の方は起きる気配がないしこのまま時間が経てば衰弱して死んでしまうらしい。

 何でこんな状態になったのかの原因はわからないけど、多分きっかけはオスカー様に婚約破棄を申し入れた後、ベットの上でクッションに八つ当たりをしてふて寝したことだと思う。やだ、もしかしてクッションの呪い? …… 慣れない冗談はいうものじゃないわね。

 とにかく。ふて寝した結果、幽霊になっちゃったのよ。


 本当、どうしてこうなったのかしら。別にそんなに心が弱いつもりもなかったし、精神的に弱って、というわけじゃないと思いたい。だって、そんなの、ねぇ?

 毎日のように他所の娘をとっかえひっかえしては私室と化している自分用の応接室に連れ込んでいるのも苛々したし、その上その娘たちとは別に本命がいたって言うんだから三行半叩きつけたってしょうがないじゃない?

 でも、だからってよ? だからって、浮気されたのがショックで寝込んで幽霊になりましたって、はっきり認めるのはちょっと癪でしょう?

 でも、それもこれも全部誠実さに欠けるあの人が悪いのよ。うん、そうに違いないわ。思い出したらまた腹が立ってきたじゃない。せっかく前向きになろうとしていたのに、これじゃ台無しだわ。


 気持ちを落ち着けるために一度大きく息を吐く。やめましょう。今は目の前の問題を考えるべきね。

 とりあえず出来ることと言えば壁をすり抜け自由に動き回れることくらい。幽霊だからか物にも人にも触れることは出来ないし、基本的に人には見えないし声を聞くことも出来ない。

 例外的に何故かハンス様だけは私のことが見えるし話せるのだけど、あの人のことはよくわからないわ。ハンス様のことが理解出来れば、より効果的にオスカー様を呪うことが出来るのかもしれないけれど、あの人ちょっと苦手なのよね。


 話が反れたけど、私に出来ることは本当にそれだけ。時間は、多分もうそんなにない。

まぁそんなものよね。だってもう幽霊になってから四日は経っているんだもの。人間って何日くらい飲まず食わずで生きていられるのかしら。先生が点滴は売ってくれると言っていたけど、それも限度があると言っていたし。そろそろ覚悟はしておかないとね。

 死にたくない、とは言い切れない。わりと散々な人生だったし。今だって殆ど死ん出るみたいな状態だし。

 生きていたい、わけでもないと思う……。一応オスカー様を不幸にしたいとは思うけど、別にそれが最優先事項というわけでもないし。

 主体性がないのは重々承知よ。でも、正直自分がどうしたいのかよくわからなかったの。


 ずっと周りの目ばかり気にして生きてきたわ。伯爵家の令嬢として相応しい振る舞いを。第三王子の婚約者として恥ずかしくないように。社交界で恥をかかないように。一度足を踏み外せば一瞬で転落してしまう世界。

 私一人ならきっと問題なかったわ。でも、一人じゃなかった。私が失敗すれば両親まで転げ落ちてしまうことを私は知っていた。きっと、お父様とお母様も同じ気持ちだったでしょうね。だから、私が本当に死んでも二人共上手くやるわ。

 死んだらどうなるのかしら。肉体の方はきっと埋められるわよね。ではいま幽霊をしている私は?

 このままなのか、それとも消えてしまうのか。正直怖くないと言えば嘘になる。けど、生きていく理由もなければ体への戻り方もわからない。


 ……ああ、ダメね。煮詰まって来たわ。少し気分転換をしましょう。大したことは出来ないけど、その代り今の私は何処にだって行ける。壁もすり抜けられるしいくら歩いたって疲れない。まぁ、多少気疲れはするだろうけど、それもほんの少しだけよ。

 部屋の窓から体を出して外の世界へとすり抜ける。何処へ行こうかしら。たまには街の方に行ってみるのもいいわね。


 今日は、雲はあるけれどそれなりにいい天気。

 風も強くないし空中遊泳には適しているのかもしれない。あんまりよくわからないけど。


 家からでも目立つ城に背を向けて街に向かってふよふよと飛んでいく。見下ろす街並みはとても小さくて、まるで玩具みたい。私が小さな頃過ごしたのはもう少し郊外の方だったけど、この街のことも存外気に入っている。

 暫くの間は屋根の上で空中に浮きながら人の流れを見ていたけれど、なんとなく自分でも歩きたくなった。ゆっくりと、慎重に体を下ろし爪先から確かめるように石畳に降り立つ。ああ、良かった。地面もすり抜けちゃったらどうしようかと思ってたのよ。


 突然空から舞い降りてきたみたいになったけど、相変わらず私のことが見えている人はいないらしく皆それぞれの生活に励んでいる。

 荷物を運ぶ人、物を売る人、何処かへ行く人。そんな人の流れに任せ目的もなく歩き出せば、活気のある声があちこちで聞こえてくる。いつもなら聞き流してしまうような会話が耳に入って来て、思わず笑みがこぼれてしまった。

 それにしても、やっぱりこうして見るといろんな人が居るのね。すれ違う人たちをぼんやりと見つめる。夫婦らしき男女や、仲の良さそうな子供たち。親子連れ、恋人同士、友達、色んな人がいる。


 そんな中に、目を疑いたくなるような二人組がいた。

 オスカー様と、あの女だ。


 少しずつ上向きかけていた気分がすっと下がるのを感じる。最悪だわ。どうして今日に限ってこんなところにいるのかしら。あの二人が隣に並んでいるだけで胸の中にどろりとしたものが広がる。

 オスカー様は、あの女には触れない。オスカー様は、あの女に甘い言葉をかけない。けれどオスカー様は、あの女に誰にも見せない柔らかな笑顔を向ける。

 大きく息を吐く。吐き出した息が酷く濁っている気がした。


 あの女は、穢れの無い白を纏っている。美しい刺繍を誂えた白い修道服。つい先月正式に信託を賜り、今代の聖女と相成ったマリアベルという女。そして、あの人の心の中に住むただ一人の女。

 本来は王都ではなく南の街に住んでいるけれど、巡礼でもしに来たのか数人の信徒たちの姿も見える。

 二人は楽しそうに何かを話していた。時折触れそうになる指先は、決して交わることはない。

 他の娘たちにするのとも、私に向けるのとも違うあの人の態度に苦しくなった。クリス様は、あの女のことを愛している。愛しているけれど、神に仕える女のことを尊重している。私、そんな扱いされたことあったかしら? なんだかもう、どうだっていいわ。


 昨日のアレは何だったのかしら。きっといつものオスカー様の気紛れね。嫌になっちゃう。本当は少しだけ、あの人が会いに来てくれたのが嬉しかったから。どうせまた裏切られるのが分かっていたのに。

 通りの向こうを連れだって歩いていく二人をぼんやりと眺める。街の往来の中に消える時、あの女と一瞬だけ目が合った気がした。


 体が重い。上手く考えがまとまらない。動く気力は湧かなかった。何もかもが億劫になってしまった。どうしたらいいかなんてわからないわ。

 未練は、多分ない。戻ったってどうせ未来もない。だったらこのまま消えてしまおうか。


 ……いいえ、いいえ。それを選んだらアニーが悲しむわ。その子、今のままでもずっと泣くのを我慢しているのに。

 でも、諦めた方がいいのかしら。その方があの子は悲しむけど、あの家を出るきっかけにもなるんじゃないかしら? それもいいかもしれない。

 あの子には幸せになって欲しいもの。私のことなんか忘れて、自分の人生を全うして欲しい。そのためにはあんな家早く出ていくべきだし、その踏ん切りがつかないのなら私がいなくなるべきだわ。


 最初はオスカー様に取り憑いて呪ってやる! なんて息巻いていたのに結局私はなんにも出来ないままなのね。生きていた頃だって大したことは出来なかったけど、改めて何も出来なかったって実感すると少ししんどいわ。

 本当は、マリアベルさんが羨ましかったのかもしれない。だって私、オスカー様にあんな風に微笑んでもらったことは一度だってなかったもの。

 どんなに一緒になれなくても、自分の意志を尊重して寄り添ってもらえるのはとても幸せなことでしょう? あの女の幸せそうな顔を見かける度に、どうしてあそこにいるのは私じゃないんだろうって、ずっと思ってた。


 色々と諦めたら少しだけ楽になった気がする。

 これからどうしようかしら。このまま体の方が完全に死んでしまったら、この幽霊の私もいなくなってしまうのかしら?

 もし、そうじゃないなら。このまま幽霊を続けられるのなら、少し遠くに行ってみたいわ。ずっと一人でいるのは寂しいけれど、それは最初から変わらないことだもの。


 一度だけ家の方向を見上げる。あの心優しいメイドに一言だけ、謝罪をした。ごめんなさい。それから、さよなら。

 行きたい場所があるわけではないけれど、それでもどこかへ行きたかった。ゆっくりと深呼吸して顔を上げる。さぁ、どこへ行こうかしら。頭の中で地図を想い浮かべる。今の私は幽霊で、何処へだって行ける。ああ、昔住んでいた郊外の辺りへ行くのもいいわね。

 何かを始めるには清々しい気分でもないし、はっきり言うと最悪だけどこういうことってきっと勢いが大事なのよ。

 地面を蹴る。少しだけ体が浮いた。そのまま屋根より高いところまで浮き上がってから移動しようと思った。そんな私を止めたのは、……なんというか、まぁ。あまりいい感じの人ではなかった。


「何やってるんですか」


 黒く短い髪に四角いフレームの眼鏡。振り返れば案の定眉間にシワの寄った不機嫌顔をしたハンス様。

 何よ。あなたには関係ないじゃない。せっかく勢い任せに何処かへ行ってやろうと思ったのに出鼻を挫かれるなんて。私が返事をしないからなのか、さらに表情を険しくさせたハンス様はそのままゆっくりと近づいてきた。


 ねぇ、ちょっと。

 お願いだから今は放っておいてくれないかしら。


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