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5.彼方の黎明


 夢を見た。

 懐かしいあの日の夢。あの日から、私の人生は一転してしまった。私の意思とは関係なく、大きな流れに組み込まれて、そして私は何もできなくなってしまった。ただ望まれるままに与えられた役職を熟すだけの人形になってしまった。

 私の前にはあの日の姿をしたオスカー様がいる。目尻を下げ甘い表情のまま私に笑いかける。


「君の名前は?」


 まだ小さな手のひらを私に向けて問いかけた。私は、手を伸ばしたの。私は彼が誰か知っていたし、そうするしかなかった。手を取る以外のことを許されてはいなかった。でも、その時の私はオスカー様が将来どんな方になるかなんてわからなかったから。

 だから。とても美しい人に名前を聞かれて、舞い上がるような気持ちで手を。


「シャルロット・レミントンと申します」

「ああ、男爵家の」


 優しい笑みを浮かべたまま、彼は私の手を取る。ここから、何もかも変わってしまった。あの日、オスカー様の手を取らなければ何か変わったかしら。そんなことを考えてもどうしようもないんだけど。

 柔らかい手のひらの感覚と綻ぶ頬に少しの痛みを覚えながらゆっくりと、目を開ける。ぼんやりとした視界に広がったのはあの人と出会ったパーティーではなく、見慣れた自分の部屋だった。

 少し視線を動かせばベッドの上には抜け殻の私がいる。一応呼吸はしているのか胸元が微かに上下しているけどそれだけで、目覚める様子はない。


 ああ、嫌な夢を見た。

 ゆらゆらと浮いている内にいつの間にか眠ってしまっていたみたい。とんでもない悪夢を見たわ。昨日ハンス様とあんなことを話したせいかしら。

 小さくため息をつく。窓の外に目を向ければ遠くの空が白み始めていた。もうすぐ朝が来る。今日も変わらない朝だ。使用人たちが動き始め朝の支度の時間が始まる。きっと、ベッドの上の私は今日も起きない。幽霊の私は今日もこのままね。


 夜は気分が落ちるというけどどうやら本当みたい。昨日のことに加え余計なことを考えてたのも悪夢を見た原因かしら。

 疲れや眠気、空腹というのを差し迫って感じることはないけど、休むことは出来るのは精神的にもいいわね。まぁ、問題としては幽霊になっても悪夢を見ることがあるという点だけど。


 気分転換に伸びをする。腕を伸ばして息を吐き出た。浮いたままの体で移動し、するりと鏡台の中を覗き込む。髪を整えたかったのだけど、鏡は部屋の中を映すだけで幽霊である私の姿を見せてはくれない。

 仕方がないから簡単に手櫛で整えることにする。こんな風に髪を触るなんていつぶりだろう。いつもアニーが結ってくれていたから自分でするのは随分久しぶりかもしれない。

 それにしても、今日はなんだか気分が乗らない。きっと嫌な夢を見たせいね。


 あれは、確か七つの時だったわ。珍しく両親に連れられて参加したパーティーであの人に出会ったの。

 そこで……見染められたと言えばいいのかしら。あの時、大人たちの間でどういうやり取りがあったのかは知らない。けれど私はオスカー様に気に入られて、あの人の婚約者となった。

 上に二人いるとは言え、王子との婚約者になるのには足りない家格を釣り合わせるために途絶えた家名を国から譲り受け、伯爵令嬢として恥じない振る舞いをと必死に取り繕って来た。

 もちろん、ある日突然男爵から伯爵へとなった私たち一家に心無い言葉をかける者もいた。王家に取り入ろうと甘い言葉を囁く者もいた。


 私の人生は、間違いなくオスカー様と出会ってから変わってしまった。爵位を持たない家庭より少しだけ裕福な暮らしをする程度だった名ばかりの貴族に、身に余るほどの家格を与えられ私たち一家も、その周りも、何もかもが……。

 お父様もお母様も元々はとても穏やかな人だった。与えられた家名を守るため、事業に社交にと駆け回った結果、随分と心をやつしてしまった。

 貴族らしからず庭仕事が趣味だったお父様は厳めしい顔で厳格に振舞い、おっとりとして優しかった母は澄ました顔で社交勤しんでいる。


 二人にとって、あの日の幸せを奪ったのは私だったのかもしれない。あの日、私がオスカー様と出会わなければ二人の穏やかな日常は今も続いていたのかもしれない。

 そんなことを考えていても可笑しくないのに、それでもお父様とお母様は可能な限り私に多くのものを与えようとしてくれた。

 家族間での当たり前の風景を犠牲に、貴族としての在り方や教養。社交の場に出ても恥じない振る舞い方。それらを必死に身に着けて、与えられた家名を傷付けぬよう、ひいてはたった三人の家族を守るために必死に取り繕った。


 ただただ必死だった。私も、お父様とお母様も。

 人なんてそんなに優しくない。一度群衆と外れた行動を取れば槍玉に挙げて疎外する。貴族は特に顕著にそれを示す。


 ただでさえなんの功績もなく取り立てられた貴族だったから、随分と色んなことを言われて来た。その中でも、私が一番多く囁かれたのは『ハリボテの令嬢』という言葉。

 そんなに滑稽だったかしら。私、これでもずっと頑張って来たのよ? 他の貴族の子たちよりもずっと遅れたスタートから、お父様が雇ってくれた家庭教師に色々なことを教わって必死に伯爵家の令嬢らしく振舞ってきたの。

 私だって、なりたくて伯爵令嬢になったわけではないわ。叶うなら、あの穏やかな日常のままの男爵家の娘でいたかった。でも、そうあることは出来なかったから。だから必死に取り繕ったの。


 私が失敗することでお父様とお母様まで不幸にしてしまうかもしれない。そんな恐怖と戦いながら、二人と同じ様に、家族を守るために頑張って来たの。

 きっと皆そんな私のことを見透かしていたのね。表面だけ取り繕って中身の覚悟が足りていなかったのかしら。そんな私を、見透かされていたのかしら。


 なんとなく気の乗らない体を動かし窓の外に出てみる。

 遥か遠くの方が少しずつ赤く染まり、黒に近かった空が青みを取り戻し始めていた。いっそ赤い光で全部塗りつぶしてしまえれば、なんてできもしないことが頭の中に浮かんでは消える。

 こんな姿になってまで何を取り繕っているのかしら、私。もう死んじゃっているのに。格好つけることなんてないじゃない。


 そう、そうよ。私、本当はダメだったの。もうとっくの昔に失敗していてその結果が今なの。

 思い出されるのは私がシャルロット・レミントン男爵令嬢ではなく、シャルロット・ド・デュランド伯爵令嬢として改めてオスカー様に挨拶をした時のこと。

 一瞬のことだった。だから見間違いだって言われても可笑しくはない。けど、私は見てしまった。あの人が、オスカー様が。ほんの一瞬だけ表情を消したのを。すぐにまた、柔らかい笑顔を作ってくださったけど、あれはけして見間違いなんかじゃない。


 あの時、あの瞬間、私は確かに失敗したの。

 何が、とか。どうして、とか。そんなのわからない。けど何かを間違えたのだけは確かだった。

 オスカー様がどう思っているのかは知らない。怖くて聞けなかった。なんの気紛れか爵位を剥がれることも、婚約を破棄されることもなく今まで来てしまった。けれど、あの瞬間のことが私は忘れられない。


 だから怖くて、苦しくて、解放されたくて。結局あの日、やけになってしまったの。

 私の言葉に耳を貸してくださらないから、なんて尤もらしい言い訳をして。感情に振り回されるようにあの人を責めて、自分が一番臆病だっただけのくせに。


 ああ、夜は嫌だわ。どうしても感傷的になってしまう。もうすぐ朝が来る。使用人たちが起き始める時間。もう、戻ろう。部屋の中に戻ったところで扉の向こうからノックの音が響く。聞きなれたアニーの声。その声を聞いてなんだかほっとした。今日も一日が始まる。

 取り繕うように笑顔を張り付けたアニーがせっせとベッドの上で眠っている私の体を濡らした布で体を拭ってくれている。

 なんだか酷い顔ね。私もこんなのだったのかしら。触れられないのはわかっているけど、手を伸ばして身ぎれいにしてくれているアニーの顔を撫でる。あなたのせいじゃないんだから、気に病まなくていいわよ。

 そんな意味を込めて頬を一撫ですると、突然アニーの顔がくしゃりと歪む。あら、やだ。私ったら変なことしちゃったかしら。そんなつもりはなかったんだけど……。


「早く、起きてくださいね。お嬢様のこと皆待ってますよ」


 下手な嘘はおよしなさいな、ちゃんと知ってるわよ。悲しんでくれたのがあなたと先生だけなことくらい。でも、そうね。やっぱりありがとう。そんな言葉を伝えたかったけど、聞こえるわけないわね。私、幽霊ですもの。

 ふわふわと浮かぶ体で馬鹿なことを考えながらため息を付く。


 なんにも出来ないのはいつものことだし変わってしまったのだって仕方のないこと。けど、だからこそ。全部あの人のせいにして弱い心を守っている。例えハリボテと言われても、心を守るための虚栄とせめてもの八つ当たりをすることくらいは許してほしい。

 空中でうずくまる様に膝を抱える。視界の端で手入れをサボった毛先がふよふよと泳いでいた。今日はこうしてだらだらと一日過ごすのもいいかもしれない。

 今日はオスカー様を呪うのも休業。なんて、自分でもおかしなことを言い聞かせながら無為に時間を潰していく。


 世話をしてくれるアニーの様子を見たり、様子を見に来てくれた、かかりつけ医の先生の話を聞いたり。一人になった部屋で何もせず浮いていたり。そんなことをして一日が終わるのだと思っていた。

 ぼんやりとした私の意識を引き戻したのは不意に聞こえた扉を開ける音とよく知った顔。思わず見つめるそこには会いたいようで、会ってはいけない人がいた。その姿を見た途端、心臓が止まりそうになる。


 あのにっくき婚約者殿がそこにいる。

 オスカー様がどうしてここに? 今は王城で執務の時間のはずでは……? 聞きたくても声は届かない。それに、もし仮に届いたとしても本当のこと答えてくれるとは思えない。いつも彼はそうだったもの。

 相変わらず幽霊の私は見えていないようで、オスカー様は真っ直ぐにベッドの横までやってきて、眠っている方の私を見下ろす。そのままじっと見下ろしたまま動かない。ただ見ているだけで何を考えているのか全く分からない。


 彼がゆっくりと口を開いた。

 その言葉は私にとって衝撃的で、意味が分からなくて。何がしたいのかもどうして欲しいのかもわからず。

 やっぱり私はこの人のことが憎くてしょうがないのだと思い至った。


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