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37.明日の天光


 高く澄み渡るような空はどこまでも続いている。

 先日まで降り続いていた雨はどこへやら。今日は太陽の光が降り注ぎ、心なしか炉端の花も生き生きとしているように感じる。そろそろ雨季も終わりね、なんて。そんなことを考えながら石畳を歩く。

 少しは慣れたと思ったのだけど、相変わらず長年使われえてきた石畳は摩擦ですり減って歩き難いし、転ばないように注意して歩くので手一杯。

 なんとなく空気が澄んでいるような気がするのは気のせいで、私の精神的なもののせいなのかしら。また一つ、石畳をヒールで叩けばコツリと音が響く。


 屋敷の方に顔を出しお父様とお話をしてから約半月が経った。

 この期間で私自身に何が変わったとかはなかった。でも今日はその限りではないかもしれないわね。

 自分でも何がどうしてそうなったのかはわからないんだけど、エルザさんに頼まれて事務仕事の手伝いをすることになってしまった。


 自分でも服を作りたくなったと言っていた彼女は早々に、得意だと言っていた言い訳でご両親の許可を得て自分だけの店を作るための準備をしている。まるで行動力の化身ね。

 関心するやら呆れるやらの私に、彼女は文官の勉強をしていて事務仕事の心得があるのならと声を掛けてくれたの。

 文官の話は事実ではないけれど、オスカー様の元婚約者としてそういった勉強もしていたわ。それに私自身が手に職というか生計を立てるための仕事を探していたし断る理由もなかったのも事実ね。


 だから今日は店を構える上で必要になってくる書類の書き方を教えたり、細かな雑務を手伝っていた。でも結局は、最後には本格的に雇いたいと申し出があった。

 慣れれば書類仕事も出来るようになると思うのだけど、彼女は書類と向き合うよりも一つでも多く針を刺したいみたい。


 今はその申し出に了承の旨を伝えた帰り道。

 自分の足取りが軽くなっている気がして思わず苦笑した。それが彼女の熱意に浮かされているせいなのか、目下の不安が一つ解消に向かったからなのかはわからないけど、少しだけ新しいことにワクワクしている自分がいる。

 これから週に何度かエルザさんのお屋敷に通うのね。以外にも家との距離も近いので問題はないわ、この歩き難い石畳を除けば、だけど。


 石畳をコツリコツリと鳴らせて歩く。時折すれ違う人が会釈をしてくれるので笑顔と共に返しながら、見慣れてしまった道を家とは違う方向へ歩く。大きな通りを抜けて、道を脇に一本反れればそこは緑の芝と遊歩道が伸びる公園が広がった。

 今日はこの後、ハンス様と会う約束がある。以前はよくここで待ち合わせしていた。ここ最近は家に来てもらうことの方が多かったし、今日だってそうしてもよかったのよ。でも、なんとなく家に呼ぶのが気恥ずかしくてついこの公園を指定してしまった。


 あの時は週に二、三回は会ってたわね。一方的に私が色々と話して時折ハンス様が相槌を打つような関係だったけど。

 思えば、その頃からハンス様は既に他の人とは違う存在だった気がする。私のことを見ていないし、自分の中で完結しているような人だったけど。だからこそ私は何も求めようとしないあの人に何かを返したくなったし、もっとちゃんと私を見て欲しいとも思った。

 そしてこの間、ようやくちゃんと目が合ったのよ。初めてハンス様が私を見てくれたの。


 ああ。そのことに関して、やっととか、遅いとかそんな感情はないのよ? 別に全部が全部あの人が悪いわけではないのだし。ちゃんと私を見てくれないなんて思いながら、私自身それを口に出しもしなかったわけだもの。それを責めるつもりなんてないの。

 でもね。もし、あのままずっと私に目を向けてくれていなかったらどうなっていたんだろうって。きっとその内、マリアベルさんの様に私も諦めて別の人を好きになっていたのかしら。

 なんて、もしもの話は考えたって仕方のないわね。それに今はそうじゃないもの。


 エルザさん曰く、世の中は聞き分けというのも大事だけど、ある程度はごねないとダメらしい。私ももっと早くごねていれば何かが変わったかしら?

 ああ、でもダメね。もっと早くごねていたら、ハンス様と今の関係にはなれなかったんでしょうもの。確かにね。もう少し早く我儘を言えていたら、苦しかったり、辛かい思いをしなかったかもしれないわ。でもね、その。そうしたら、今日この後あるハンス様とのデートもなくなってしまうかもじゃない? だから結局、私にとってはこれがベストだったのよ。


 遠くのベンチにあの人の姿が見える。

 あの頃はこうして待ち合わせをすると三回に一回はマリアベルさんと遭遇していたんだっけ。好きにはなれなかったけど、きっとあの人もどこかであの人なりの幸せを探しているのでしょう。

 緩やかに曲がる遊歩道は比較的新しいせいか石畳より歩きやすい。ヒールがカツン、カツンと小気味良い音を立てる。今日はどんな話をしましょうか。


「御機嫌よう。お待たせしたかしら?」

「いえ、俺が早く来過ぎただけですから」


 相変わらず、彼は愛想が良いのか悪いのかわからない表情で答えた。

 今日は特にどこかへ行く予定はない。お互いに一つ用事を熟した後だし、何ならもうしばらくしたら日も暮れる。別に日を改めてもよかったんだけど、家に呼ぶばかりではなくたまにはこういうのもいいかと思って。


 隣同士に座って、何気ない話をぽつりぽつりと零す。ここ最近のこととか、エルザさんの所で働くことになった話とか。他愛のない話をして、ふとした瞬間に目が合って。今までは胸の奥底がむず痒いような感覚になって。

 そわそわして落ち着かない。多分私、こういう感覚が苦手でつい冷静になろうと気持ちが冷めてしまうのでしょうね。良くない癖だわ。好きになるのも、好きでいてもらうのにもそれ相応の努力が必要になるのかしら。

 そんなことを考えていたらハンス様が不意に口を開いた。


「色々考えたんです」


 相変わらず眉間にシワを入れた彼は静かに言葉を選んでいるように見える。私に視線を向けるけずに、ただ膝の上で組んだ指をじっと見ていた。この人はつい出てしまう失言に近い言葉もあるけれど、基本的には一度考えてから言葉を口に出す癖のようなものがある。

 彼との間に流れる沈黙は不思議と嫌じゃなくて、むしろ心地よいくらいで。

 続く彼の言葉を待ちながら一体何を言われるのだろうと、彼は何を考えているのか想像する。


 何を考えているのかは想像の域を出ないけど、きっと、彼なりに沢山考えているのでしょう。

 私は自分自身のことばかりで周りが見えていなくて。エルザさんやアニー達が背中を押してくれなければ、今もまだ私は一人でいたのかも知れない。だから、もし彼が望むのなら。あの時彼が手を取ってくれたように、手を引くことだってやぶさかではない。

 そうして、たっぷりと間を取った後ハンス様はようやく私を見た。


「この間話した通り、俺はあなたを幸せに出来る自信がありません」


 その瞳は真っ直ぐで、それでいて少しだけ苦しそうだった。

 本当に馬鹿な人ね。私なんて今のままでも手一杯なのに、その先のことまで悩み続けているなんて。悩みじゃなくて、私を選んでくれたんじゃなかったの?

 そんな気持ちを込めて見返せば彼の薄い唇がまた開きだす。


「それでも俺を選んでくれるんですか?」


 真剣な顔でなんてことを聞いているのよ。私は、あなたがいいと思った。あなたの言葉を聞きたいと思っていた。あなたが好きだと言ってくれたから、私は私の気持ちを理解出来たの。

 ゆっくりと、一つ一つの言葉を噛み締めるように答える。


「あなたが最初に傍にいたいって言ってくれたんでしょう?」

「……でもそれで、あなたは幸せになれるんですか?」


 そうね。幸せなんて人によって形が違うし、その時の環境や心境によっても変わってしまう。

 そんなものに絶対なれるなんて、口で言っても信じてもらえないかもしれないわ。


「あなたの考える幸せと私の考える幸せが同じなら、なれると思う」


 だから。


「あなたの幸せを教えて」


 私達の幸せが違っているのだとしたら、これから一緒に探していくしか無いじゃない。大丈夫よ。私達には時間がある。焦らずゆっくり見つければいい。きっとそれは二人でないと出来ないもの。

 ハンス様は何か言いたげに口を何度か動かしていたけど、やがて観念した様にため息をつく。ハンス様はようやく覚悟を決めたようで、深く深呼吸をし、そして、私に向かって微笑みかけた。

 その笑みは今まで見たことのないような笑顔で。私も思わずつられて笑う。

 なによ。あなただってそんなふうに笑えるんじゃない。そう思って、私もつられるようにして自然に頬が緩んだ。


「笑っていて下さい」


 彼は目を細めて囁く。

 その声はいつもより優しく聞こえたのは気のせいではないと思う。


「それで……出来れば俺にも笑いかけてください」


 ああ、本当に。野暮でどうしようもない人。まだ私が断る未来を心配しているなんて。

 返事の代わりに肩を寄せるとその手に彼の手が重なった。そうして、私たちはゆっくりと身を寄せ合う。視界の端で地面に落ちた影通しが重なり合うのが見えた。


 雨季の開けた空はまだ青い。ああ、嫌だ。もう少し早く西日が差していれば、この頬の色も誤魔化せたというのに。

 西の方から赤く染まっていくにはまだ時間が掛かりそう。気恥ずかしい思いを押し殺しながら、晴れ渡る空の下もう少しだけ肩を寄せ合った。


読んでいただきありがとうございました!

これにて完結です。


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