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31.合間の恩光


 空が青い。

 昨日までの鬱陶しい天気はどこへ行ったのやら、雲も少なく遠くまで見渡せそうなほど気持ちのいい天気。


 朝からアニーと二人でシーツを丸洗いし、午前中に一仕事終えてきた。

 雨季になると毎日の様に雨や湿った曇りが続くから今日みたいな日は有り難いとアニーが毎年言っていたけど、こういうことだったのね。今まであまり実感がなかったわ。本当に洗濯物が乾かなくて、着るものがなくなってしまうんじゃないかと思うほどだったもの。

 広くもない庭に並ぶ白いシーツは青空の下で眩しいくらいにはためいている。並んだ洗濯物たちに僅かな疲労感と達成感を覚えつつ家を出たのは数刻前だったか。今はほとんど空になったトランクを抱え、洗濯とはまた違う達成感に浸っていた。


 やったと言うべきか、やってしまったというべきか。妙な動悸に浮かされながらもなくさない様にトランクをしっかりと握りしめる。

 以前なら自分では行かない質屋で、いくつかのドレスを売った。どれも一、二度社交界に来ていったきりのもので状態も悪くない。綺麗なドレスは嫌いじゃない。でもそれだけじゃ食べていけない。少しでも状態が悪くなる前に手放してしまった方がいいと思ったの。

 別に後悔している訳じゃないけど、もう戻れないなと実感してドキドキする。

 ドレスを売ること自体は可笑しくないのよ。以前から流行りの過ぎたものを手放す機会はあったもの。ただ、その理由が生活の為にと言うのが私を今までと違う感情にさせているだけ。


 以前世話になっていたテーラーはもう行かないのかもしれない。少し寂しい気はする。けどそれを選んだのは私なのだからちゃんと受け止めていこうと思う。

 トランクの持ち手を握り込んだ手が少し痛い。


 以前なら馬車を使っていただろう道も今は歩かないといけない。そうなるとやっぱりヒールのある靴は石畳を歩くのには向いていないと実感するし、何ならヒールの無い靴でも歩きにくいと思う。

 トランクが軽いことだけが救いかもしれない。

 息を吐く。こうして自分の足で街の中を歩いてみると色んな音を耳にする。人の声に生活音。その中に交じって私のヒールが石畳を打つ音を小さく響かせる。不意に、私を呼ぶ声がした。


「シャルロットさん」


 柔らかい、落ち着いた女性の声だ。

 一瞬誰かわからなかったけど、振り返って納得する。エルザさんだわ。


「御機嫌よう、今日はいい天気ね」

「御機嫌よう。エルザさん」


 正直声をかけられるとは思ってもみなかった。私と彼女の関係はこの間、一度教会でご一緒しただけだったから。確かに彼女はたくさん私に話しかけてくれていたけど、前提として彼女はオスカー様が侍らせていた一人だしなんとも言えない感情を抱いていたわけで。

 もちろん。その後オスカー様のやりたいことがなんとなく理解出来たので私がずっと思っていたような関係ではないとはわかったけど。


「ねぇシャルロットさん、次はいつ教会に来られます?」

「いえ、特に予定はないのだけど」

「残念だわ。あの子たちも会いたがっていたのに」


 彼女は、教会へ行った帰りらしい。

 この間と同じ様に子供たちと洋裁の話をして来たという。刺繍が得意だと言っていたもの。あの子たちとそういう話で盛り上がるのもよく分かる。


「私、自分で服を作ってみたくなったの」


 クスクスと笑いながら少し驚く。

 だってそれは、私が言えたことでは無いけれど貴族の令嬢やることではない気がする。否定をするつもりはないけれど、そこへ飛び込むというのは、とても勇気がいると思うのよ。

 でもそれを、エルザさんは本当に楽しそうに私に話してくれた。


「あの子たちのおかげよ」

「そうなの」

「これで生きていくのはお父様に反対されそうだけど、言い訳をするのは得意だもの。頑張って説得してみるわ」


 エルザさんの表情は明るくて、つられて頬が緩む。きっと彼女の中では色々な葛藤があったんでしょうね。そしてあの人も、こういう結果を望んでいた。

 男爵子爵の次女三女の自立と言うのは、あまり進んでいない。だからオスカー様は貴族の娘たちに福祉を名目に声をかけていた。恵まれない子供たちに手を差し伸べると言えば聞こえはいいし、貴族が教会への寄付するのはよくあることだし抵抗もなかったのでしょう。


 福祉事業って奥が深いわね。子供たちに読み書きを教えながら令嬢たちへの社会自立を支援するなんて。

 まぁそういうことだってちゃんと説明しておいてくれないから、私はちょっとオスカー様を嫌いになりそうだけど。


「あなたはどう? 何か見つかりそう?」

「あなたは、オスカー様の目的を知っているんですね」

「なんとなくよ? あの人は私たちに詳しい話をすることはないもの。でもお優しい方だから、そうなのかなって」


 優しい、のかしら? いえ、そうね。きっと優しいのでしょう。

 だってあの人は皆のために心を砕き手を尽くしてくださっているんだもの。オスカー様のその行為が優しくないのなら、他の何を優しいというの? ……でも私は、あの人なりの優しさを上手く呑み込めないでいる。

 目の前の女性はやりたいことを見つけられた喜びに満ちている。表情も晴れやかで、きっと彼女たちにはオスカー様の方法があったのでしょうね。なら、それが合わなかった私はどうしたらいいのだろう。


「直ぐに答えが出ないのなら、回り道してみるのもいいわ」


 なんて、エルザさんは笑っている。

 そう言うのは余裕のある人のみが取れる方法だと思っていたのだけど。と、言いかけて言葉を呑み込む。どうしても突き返すような物言いになってしまうのかしら。彼女は全くの善意で言ってくれている。そこになんの含みもない。

 今まで貴族間で向けられてきた感情はあまりいいものではなかったから、つい悪くとらえてしまいそうになる。悪く言われるよりはずっといいはずなのに、そういう善意を向けられるのは、なんというかこう居心地が悪い。


「オスカー様とはその後どう?」

「あなたたちの方があの人に付いては詳しいと思うわ。今は頻繁に会っていないもの」

「そうだったのね」


 婚約を解消してすぐは手続きだとかで何度か城に呼ばれ会うこともあったけど、今の家に移って以降は家に来た二回ほどしか会っていない。ならきっと、福祉の一環として協力している彼女たちの方が私よりもオスカー様と会っているでしょう。

 そう言うことだとわかっていれば、若い貴族の娘を入れ代わり立ち代わり自分が使っている応接室へ招いているのにも納得が出来るのにどうしてあの人は最初から説明してくれなかったのかしら。そうしたら、変な誤解もせずに済んだのに。


 まぁ、全部今更ね。

 私とオスカー様の関係はあの日終わったし、今はもう別のものに変わり始めている。私がもう少し周りを見えていたら、とか。エルザさんたちの様にあの人の優しさを素直に受け止められたら。なんて、思わないわけじゃないけど、それこそ考えても仕方のないわ。


「ではハンス様とは?」


 そう言われて思わずドキリとした。


「どうして、ハンス様が出てくるの?」

「あら。文官のお勉強にハンス様からお話を伺っているのでしょう?」


 ああ、そういう話だったわね。

 オスカー様なりに私が悪く言われないように話を作ってくれたのでしょうけど、多分これはエルザさんとは違い含みがある方な気がする。嫌がらせとか、そういう意味ではないだろうけど、思うとところはある。みたいな。


「別に、ハンス様とは何もないわ」

「お勉強以外は何も?」

「なんにも」


 だってあの人、自分の中だけで完結してしまっているんだもの。

 私を好きだと言ったくせに、私からの感情は必要ないと言う。自分が好きなだけと、見返りを求めてはいないのだと。


「大丈夫?」

「何がかしら?」

「なんだかお辛そうだったから。無理に聞こうとしたわけじゃないのよ?」


 ああ、いやだわ。

 どうしてこうなのかしら。私が見て欲しいと思った相手では無くて、嫌がっていた相手の方が私を真っ直ぐ見てくれているのは。いつもそう。本当に酷い男よね、あの人たち。


「ずっと、わからないままなのよ」

「ハンス様のこと?」

「ええ。あの人のことをどう思っているのか。あの人とどうなりたいのか」


 愛とか恋とか。本当のところ、よくわかっていない。この気持ちがそうなのか。それともこれはまた別の感情なのか。

 生憎愛情なんてもの、生まれてこの方両親とオスカー様以外に向けた記憶が無い。そしてその両方とも歪な形になってしまったのだから、未知な存在と言っても差し支えないかもしれない。

 知らない、わからない、知りたい。けど、ほんの少しだけ知るのが怖い。あと一歩が踏み出せずにいる。


「きっと見つかりますよ、あなたなりの答えが」

「そうかしら」

「ええ、私で良ければいくらでもお話を聞きますわ」


 そうね。多分私よりもずっと、あなたの方がこういうことに関しては詳しいでしょうから。なんて言わずに、お礼を言うだけにしておく。

 少しだけ気分が楽になった。多分私は、私にも答えが見つけられるという言葉が欲しかったんだと思う。例えその言葉に何の根拠もなかったとしても。焦りや不安に隠れてしまっているこの感情を整理出来る日が来るのだと。


 風が吹いてエルザさんのスカートの裾が揺れる。晴れ渡る空に、雨の気配はない。

 それだけで随分と気分がいいだなんて、我ながら随分単純になったものね。なんて、照れ隠しの様に自分に悪態を付いた。


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