22.幕間の告白
会場を彩る煌びやかな装飾。
すらりとした礼装を着こなす殿方たち。華やかなドレスを纏った令嬢たち。ホールの一角でクラシックを奏でる楽団。はちみつ色の液体が注がれたグラスが証明に照らされてきらきら輝く。
今日の為に準備してきた。綺麗なドレスも胸に付けた装飾も、全部この日のため。そして隣に立っているのはオスカー様。ああ、本当に嫌になるわ。
結局この日まで踏み込めずにここまで来てしまった。これでは今までと何も変わらないじゃない。このままずるずると続けるのは嫌だと言ったのは私なのに、どうしてあと少しのところで踏みとどまってしまうのかしら。
憂鬱な気分のまま彼の隣で王家に連なる貴族たちに挨拶をして回り、ダンスだって二曲だけ踊った。気分はすっかり落ち込んでいるのに張り付けた笑顔は崩れたりしないし、必死で覚えたダンスのステップだって間違えずに踊れてしまう。
いっそ最終手段として考えていたパーティー事態を台無しにする方法を試してみる?
……ダメね。多分私には出来ない。さっき挨拶をさせてもらった今回の主役の異国のお姫様の笑顔を見たらそんなことをする気はなくなってしまった。あの方何も悪くないのだもの。
いつもの様に笑顔を張り付けてじっと耐える。確かに宰相様に連れられたハンス様にご挨拶をした時は少しだけ笑顔が引きつりそうになったわね。でも表情が崩れそうになったのはそれくらいだわ。だから今だってなんの問題もない。
一切私に視線を向けない若い二人組の貴族の話を、オスカー様の隣でにこにこしながら聞き流す。
この人も大変ね。こんな毒にも薬にもならない話を聞き続けないといけないなんて。アピールするのがダメとは言わないわよ? でもこの態度は何とかならないかしら。
二人共絶対に私を見ないし、女の方は明らかに私を見下した態度を取っている。そんなにハリボテの称号が気に入らないのかしら?
まぁ別に私は慣れているからいいけど、こんな場でまでご苦労様ね。同じ貴族であるならもう少しうまく取り繕ってほしいところね。
小さく息を吐く。思い出すのは先日国を出ると言ったマリアベルさんのこと。あの人も時期にこういう世界に入るのかと思うとある意味感慨深いわね。
マリアベルさんは……、まぁ嫌な人だと思う。でも酷い目に合って欲しいわけじゃないし私の知らない場所で好きに暮らせばいいんじゃない?
あの人の相手は話を聞いてくれる人みたいだし、きっとそれなりに幸せになるんでしょうね。マリアベルさんが語った愛とか幸せとかとは、少し違うかもしれないけど、それでもあの人ならきっと上手くやるわ。
「ああ、すまないね。彼女が少し疲れてしまったようだ」
オスカー様の声に急に思考の海から引き戻される。
何よ、飽きて来ていたのはあなたも同じなんじゃないの? 私を理由にしないで頂戴な。そんな思いを込めて彼を見上げれば相変わらず完璧な笑みを返されてしまった。ムカつくくらい顔が良いわね。
二人組に軽い挨拶をしながらオスカー様が私の腰を引く。
「少し風に当たろうか」
彼に促されるままにバルコニーへ移動すれば、すっかり日の落ちた城下の街並みが広がっていた。
厚いカーテンに装飾されたガラス戸を抜け、一歩外に踏み出せば夜風が頬をかすめる。楽器の演奏や人の熱気に当たっていたせいか外の空気が気持ちいい。
手すりの向こう側はすっかり夜の景色になっている。街灯と家の明かりが小さく点在し星空が地面にまで続いているみたい。今日は少し雲が多いせいで余計にそんな風に感じる。
夜空に輝いていた半月に薄っすらと雲が掛かった。
「寒くはないかい?」
「ええ。大丈夫」
微かに楽器の音色が聞こえてくる。
異国から来られたという婚約者のお姫様はとても綺麗な方だった。健康的な褐色の肌に自信に満ちた笑み。明るい人で悪い印象はなかった。
本来なら義姉になるのだし仲良くしなくてはと気を張るところだけど、婚約を破棄した私としては気負わず話が出来たと思う。
「昔から思っていたけど器用だよね、君」
風に当たっていたオスカー様を見上げればいつもとは違って少し呆れたように私を見ていた。
「何がです?」
「何って、君の態度だよ」
そんなに変な態度を取っていたかしら。特に思い至るところがないのだけど。首を傾げていればオスカー様は小さくため息をついて私の隣に立った。
目の前に広がる光景に目を細めて、それからもう一度私を見る。
「僕と別れたいって言いながら、完璧な婚約者を演じている」
彼の言葉に思わず眉間に力が入る。
完璧、だなんて失礼ね。そりゃあ、確かに他の令嬢と比べても遜色ないように振る舞っている自覚はあるけれど、それは私だって必死で頑張っているのだもの。
これでも努力しているのよ。それを分かったような口ぶりをされると腹立たしいことこの上ないわ。じろりと睨めばオスカー様の表情はいつの間にか笑みが消えていて、私をじっと見つめていた。
「その姿を見る度に、許された気になってしまう」
許されたってどういう意味よ。そんな覚えなど全くない。むしろ割と根に持っている方なのだけど。
意図がわからず黙ったまま彼を見上げていれば、オスカー様はふっと表情を緩めた。その表情が妙に優しく見えて思わずどきりとする。もっと早くその顔を向けてくれたら何か変わったかもしれないのに酷い人ね。
彼の手がゆっくりと伸びてきて私の髪をすくい上げる。オスカー様の視線は、私の胸元に光るネックレスの宝石を見ていた。
彼の瞳と同じ色の石は王宮が抱えている職人が進めてきたものをそのまま選んだのだけど、彼はとても気に入ったらしい。
「僕を嫌いになったなら、もっと酷いことをすればよかったのに」
「酷いことってあなた……」
「例えばこのパーティーを台無しにしてしまうとか」
おかしそうに笑ったオスカー様の提案に目を見開く。
確かにそれも考えていたわよ? でも出来なかった。別にむやみやたらに傷つけたいわけじゃない。確かにオスカー様に対して思うところはあるけど、悲しいことに分別が付いてしまっているのよ。自棄になりたいのに、なり切れないのが私なの。
「出来るわけがないでしょう」
「どうして?」
「このパーティーにどれだけの人がかかわったと思っているのよ。それに正式なものではないけど一応祝いの日なのよ?」
オスカー様は苦笑いを浮かべると私の髪から手を離した。
「そういうの、気にするんだ。別れたいのに?」
「別れたいし、ちょっとくらいあなたには不幸な目にあってほしいけど、お義姉さんを巻き込むのは違うでしょう」
「……そうだね」
小さく呟いた声に驚いて隣を見れば、珍しく複雑そうな顔をして夜景を眺めていた。珍しい。いつもは何を考えているのかわからないくらい余裕のある笑みばかり浮かべているというのに。
彼もこんな顔が出来るのかとまじまじと見ていると、私の視線に気付いたのかすぐに笑みを貼り付けてしまう。まぁ、別にどうでもいいわね。彼がどんな顔を見せようと私は考えを変えたくはないのだし。
それよりもさっきの質問の意図は何なのかしら。
「因みに、どう不幸になって欲しい?」
「……定期的に紙で指を切るとか」
「そんなことでいいの? 僕はもっと君に酷いことをして来たのに?」
「あとは角で足の小指を打つとか」
「それは痛そうだね」
可哀想な人をみる目をやめなさいな。
心の中で悪態をつきながら私は再び夜空に視線を向けた。月を覆う雲は薄く、ぼんやりとした光が差し込んでいる。
背後のホールでは相変わらず楽器の演奏が聞こえてくる。それに合わせて踊る人たちの足音も聞こえて来るようだ。今日のためにわざわざ他国より招いた楽団の演奏はとても素敵だし、ダンスフロアでは皆楽しそうに踊っている。
「ねぇ、シャルロット」
オスカー様の声に顔を上げる。
こちらを見つめるオスカー様の顔は穏やかだ。一体何を言いだすつもりだろう。そもそも私に話しかけておいて私を見ていないような気さえしてくる。
「君が好きだよ」
「……嘘よ」
「嘘じゃない」
「だったらどうして今まで私の話をちゃんと聞いてくださらなかったの?」
「君を手放したくなかったから」
私の問いかけに答えるオスカー様の言葉はどこか甘い響きを持っている。
ああ、駄目よ。騙されてはいけないわ。そんな風に言われても信じないわ。だってそんなの今更だもの。
「意味がわからないわ」
「わからなくていいよ」
首を横に振れば、オスカー様がくすりと笑った。
そうね、きっと意味なんてないのよ。私だって彼に散々振り回されて来たのだもの。その気持ちはよく分かるわ。だから、これはただの意趣返しよ。
「……そういうところが嫌いなの」
「うん」
「自分だけで納得して何も話してくださらない」
「そうだね」
「あなたにとって、私は一体何なの?」
自分でも呆れるような疑問だったけれど、それでも言わずにはいられなかった。私を見つめるオスカー様は困ったように微笑んでいる。その表情がまるで愛しい人を見るように見えて、思わず目をそらしてしまいそうになる。
私が目を逸らさないのは、意地のようなものよ。ここで目を背けてしまったら、彼の思い通りになってしまうようで悔しいの。
少し長く外にいすぎたかしら。末端が冷たくなっているのを感じる。でもそんなの今はどうでもよかった。
暫く無言が続いた後、オスカー様が小さく息を吐いた。そしてゆっくりと口を開く。
「初恋の人だよ」
やっぱりそうなのね。薄々勘づいてはいたわ。だってあなたってば本当に酷いんですもの。
自分を棚上げにしている自覚はある。でも、あんなことをされて好きになれるわけがないわ。私の視線を受けてオスカー様は苦笑いを浮かべている。
少しだけ胸がちりちりする。
「何よ。なんなのよ、それ」
私を弄ぶのも大概にして頂戴。
そう言ってやりたいのに、何故か言葉が出て来ない。喉の奥が詰まるような感覚。どうして。今更過ぎる。
彼は私に何をさせたいの。ねえ、お願い。これ以上期待させないで。もう諦めさせてよ。あなたなんて、ずっと前から嫌いよ。嫌いでいさせて。
「やってることと、言っていることが無茶苦茶じゃない」
やっとの思いで絞り出した声は掠れていた。ああ、駄目ね。泣きそうだわ。こういうときに限って涙腺が緩むのは何故なのかしら。泣くもんですか。
「いい加減にしてよ。私だけじゃなく他の娘の人生まで変えてしまわないでよ」
好きだとか、初恋だとか。そんなことを言いながらあなたはずっと他の娘たちを侍らせ来たじゃない。あれは何だったのよ。結局私には何も与えてくれなかった癖に。
別に、見返りを期待していたわけではない。でも、あまりにも酷いと思うの。こんなのあんまりだわ。
オスカー様に出会ってからというもの、私はすっかり変わってしまった。
穏やかだった毎日はこんなにも荒んだ思いをする様になった。お父様とお母様も笑いかけてくださらなくなった。伯爵令嬢になんてなりたくなかった。私にはあの小さなお屋敷で家族三人で静かに暮らしていけたらそれでよかったのに!
「そうだね。僕は君の人生を変えてしまった」
あの日あなたに出会わなければ。あの時あなたの手を取らなければ。
そんな意味のない妄想ばかりが頭の中を駆け巡る。
「君を変えてしまった……」
「ええ。あなたが私をつまらない女にしたの」
あなたがいなかったら、私はもっと違う人生を送っていたはずなの。もっと明るくて、素直で、あなたの隣にはいない。普通の女の子になれたかも知れない。少なくとも、今の私とは正反対の人間になっていたでしょう。
「なのに、今更そんなことを言って。あなたは私にどうして欲しかったのよ」
隠れていた月が顔を覗かせる。
それと同時にオスカー様が一歩前に出た。反射的に後退りそうになるのを抑えて彼を見つめる。少し苦しそうな笑顔にどきりと胸が鳴る。ああ、この人はずるいわ。いつもこうやって私の心を乱すの。
「君と幸せになりたかった」
「っだったら!」
「でも、なれなかった」
「そうやってすぐ自分だけで決めてしまう!」
ああ、駄目だわ。
頭では分かっているのに感情を抑えられない。
だって仕方ないわ。だってずっと我慢していたのよ。それが今になって爆発してしまっただけ。溢れ出す気持ちに蓋をすることが出来ない。だって、だって。
ずっと聞きたかった言葉なのに。こんなにも苦しい。
「だって君は僕が嫌いなんだろう?」
「ええ、そうよ。嫌いよ」
いつの間にか握りしめていたドレスがくしゃりと音を立てた。爪が食い込んで痛い。でも、手を離せない。
今更何を言っているの? 嫌いに決まっているじゃない。私はあなたのせいで何もかも失ってしまったのよ。でも、でも!
「……でも、尊敬もしていた」
きっとあなたは知らないでしょうね。
私はずっとあなたが好きだったのに。あなたはずっと違う誰かを見ていた。
ああ、やっとわかった。オスカー様は私を初恋の人だと言った。あなたが好きなのは幼い日の私だったのね。だから私がレミントン男爵令嬢ではなくデュランド伯爵令嬢になった時、あなたは私を好きじゃなくなった。私が変わってしまったから。
酷い人、あなたが私を変えたのに。
「どんなに貴族の娘たちを侍らそうが、執務や国のことを真剣に考えていた」
あなたはそういう人だったわね。
権力を使って人を従わせるような人ではなかった。国の為に、民のために、そして私たち貴族が生活しやすいようにと尽力してくださっていた。
「私の知る誰よりも国のことを想っていた」
ずっと隣で見ていたの。それは私が一番よく知っている。
「あなたの真剣な横顔を私は好きだった」
あなたに惹かれていたのよ。
でも、あなたの目は別の方を向いていたわね。その事実が悲しくて、悔しかった。あなたはずっと隣にいた私を見てはくださらなかった。
「好きだったから、辛かったのよ……」
もう私たちは戻れない。でも、これでようやく区切りがつくわ。
あなたはもう自由になるべきよ。私なんかより素敵な女性を見つけて、その人と幸せな家庭を築いて頂戴。
ゆっくりと息を吸い込む。吐き出した時にはもう泣いてはいなかった。あなたを好きになって良かった。大好きだったわ、オスカー様。
どうか、あなたは別の誰かと幸せになってください。
小さく微笑んで彼を見る。
「私も、あなたと幸せになりたかったのに」




