19.届かぬ啓白
城で行われる夜会まで後一週間と差し迫っていた。
相変わらずスケジュールは色々と詰め込まれているけど、全く休みがないというわけではなくそれなりに自由になる時間もある。だから今日は外に出た。これと言ってなにかするためではなく、気分転換になると思って。
もちろん気分転換と言ってハンスさまとやくそくがあるわけでもないし、毎回街に出たからと言って会っている訳じゃない。あの人もそこまで暇じゃないし、私だって一人になりたい時もあるのよ。まぁ、完全に一人での外出が出来るわけじゃないけど。
それでもアニーを引き連れて馴染みの店をいくつか巡って行けば次第と気分は晴れるもの。来週に差し迫った憂鬱なパーティーのことを一時でも忘れられるなら何でもよかった。
いえ、一つ訂正させて頂戴。
確かになんでもいいと言ったわ。でも、だからって別の問題を上に被せてかき消せばいいとは一言も言っていないのよ。
「あら。こんにちは、シャルロット様」
何でマリアベルさんと遭遇しなきゃいけないのよ。
折角気分よく散策していたというのにこの人と会ったら一気に気持ちが落ち込んでしまった。いえ、別にマリアベルさんが悪いわけではないわ。ただ、せっかくリフレッシュして帰ろうと思っていたところにこの人が現れたせいで気が抜けてしまったと言うべきかしら。
まぁ、それでなくても私がこの人を苦手であることには変わりはないんだけど。
「お買い物ですか? それともお散歩? ご一緒しても?」
「もう帰るわ」
「まぁ残念、馬車までお送りさせてくださいね」
にこにこと笑みを浮かべながら隣を歩く彼女に私はため息をつく。こうなってしまえば仕方がないわよね……。どうせ断ってもついてくるんだもの。
それにしてもこんなところで会うなんて偶然なのかしら。もし狙ってきたとしたら少し怖い気もするけれど、流石にそれは考えすぎかしら。
何が楽しいのか笑顔を絶やさないマリアベルさんは一体何を考えているのかさっぱり分からない。私だって笑わないわけじゃないわ。そんな風に邪険にされてまでにこにこできるなんてマリアベルさんは私とは見えている世界が違うのね。
別に見えている物が違うだけでこの人との接触を嫌がっている訳じゃないわ。ただこの人毎回同じことを言うから、それを言われるのが嫌というかなんというか、とにかく落ち着かないのよ。
「今日はハンス様はご一緒じゃないんですか?」
ほらきた。
予想通りの質問に思わず眉間にシワを寄せてしまう。この人はいつもそう。そう言う関係ではないと言っても聞きやしないんだわ。どうして貴方がいつもハンスさまと一緒にいると思うのかしら。
「いつも一緒なわけがないでしょう」
「そうなんですね」
巷で噂の聖女様を邪険に扱う私に後ろでそわそわしていたアニーを使いに走らせる。馬車を回させて早々に帰ってしまいましょうか。聖女様と楽しく談笑する気のない私は早く帰ってくれないかなと思いながら適当に相槌を打つ。
それにしても。この人最近王都に気過ぎじゃない? あなたの街はここではないというのに何故だか頻繁に遭遇してしまう。しかもこうして話しかけてくるのよ。正直言って迷惑極まりないのだけれど本当にやめてほしいわ。
一体何の用事があって度々王都に訪れているのやら。一人、顔が浮かんだ人がいたけど、考えるのはやめておきましょう。
「ねぇシャルロット様、幸せになりたくないですか?」
「生憎私は無宗教なの」
「まぁ大変。神様はいつでも見ていらっしゃいますよ」
いないわよ、そんなもの。
だって私が幽霊になっても、何もしてくれなかったじゃない。だからきっといないのよ。
「大丈夫、神様はあなたの愛も必ず祝福してくれます」
幸せだの愛だの、縋ったって何にもならないのに。
確かに世の中には自分の努力次第でどうにかなることは多いかもしれない。でも結局最後は運なのだと思うのよ。どれだけ頑張ったってどうしようもないこともあるし、努力したって報われないことはある。それが私、って言えばこの娘は理解してくれるのかしら。
まぁ世の中は不公平だと思うし、不平等だとも思う。そして私の人生もその不公平と不平等で出来上がっているの。今までの努力も、これからの頑張りも、全部無駄になる時が来る。それをもう少し先に自分で起こそうとしているだけ。
いくら祈っても願いを聞いてくれないならそんなの私はいらない。どうなるかわからないものに縋るなんて意味のない行動をするつもりもない。
最も、マリアベルさんも諦めるつもりはないらしく、私の手を握って微笑んでいる。やっぱりこの娘とは見えているものどころか住んでいる世界が違ったのね。
マリアベルさんは善意で言っているんでしょうね。でも私にとっては余計なお世話なのよ。だからと言ってはっきり言葉にして伝えるのもなんとなく違う気がする。
結局ただ私とマリアベルさんは違う人間だということなのよね。教会で育った彼女にとって神様や愛や幸福というのは尊ぶべきものだった。でも、私にとってはそうじゃなかった。
彼女の考えや教会の教えを否定したところで私は幸福にも不幸にもならない。ただ考え方が違うだけで、彼女が嫌いとかそういうわけじゃない。ただ少し、ほんの少し、なんというか、やっぱり苦手ね。
石畳を叩く蹄鉄の音が近付いて来る。
「時間切れ、ですね」
残念そうに笑いマリアベルさんが私の手を離した。
馬車が私たちの前で止まる。扉を開けたアニーが困ったように私を見ている。アニーには悪いけど、そのまま彼女の手を借りずに馬車の中に乗り込んだ。
「またお話ししましょうね、シャルロット様」
笑顔で手を振る彼女に一度だけ視線を送る。なんとなくここで言葉を返すのもおかしな気がしてそのまま目を反らしてしまった。
マリアベルの理由を悪いとは思わない。ただ私とは相容れないのよ。それだけのことだわ。全く違う環境で育って、全く違う考えを持っていて、ただそれを私の中に一つの手段としては取り込みたくなかっただけ。
私はマリアベルさんの考え方を受け入れるなんて出来ないけど、そういう考え方もあると認識しておく。
だって、あの娘の言う愛だの幸せだのって上澄みの綺麗な所だけを語っているようで本当にそう思っている様には聞こえないんだもの。
揺れる馬車の中でぼんやりと窓の外で景色が流れていくのを眺める。あの娘の考えや行動が理解できないわけではない。ただどうしても好きになれないのよ。それはきっと、私が彼女を……。いえ、やめておきましょう。不毛だわ。
この胸の内に抱えた気持ちが一体どういう名前なのか、それは私が一番知っている。だけどそれを表に出す気は無い。だから私は蓋をする。見なかったフリをして、無かったことにする。誰かに見せる必要もないし、見せるつもりもない。
本当はもう少し歩きたかったけど、考えごとをするのはやっぱり腰を落ち着けた方が捗るわね。あの娘の言葉に悩まされるというのはあまり気分が良くない。多分私はマリアベルさんが気に入らないんだわ。
そしてその理由の一つに彼女の言葉がなんとなく薄っぺらく聞こえるのよ。
愛とか、幸せとか。そんなに簡単に語れるものじゃないでしょう。もしそんなに簡単に語れるならきっと誰もそんなことで苦しんだりしないはずだわ。ええ、そうよ。簡単であってたまるものですか。
だって私はあんなに苦しんできたの。今まで私が我慢してきた多くの胸の痛みも、息が出来なくなってしまいそうなほどの苦しみも、無意味であったわけがない。意味があったのだと思いたい。
だって私は、たくさん我慢したの。きちんと自覚する前にたくさん失くしてきた。手を伸ばして強請る前に欲しかったものも諦めた。胸の奥に大事にしまっておいたものも、いつの間にか取りこぼしてしまった。
ぼろぼろになった欠片をかき集めて、必死に守って来たのはただもうどうにもならないという現実を受け入れたくなかっただけなのかもしれない。
愛とか、幸せとか。語るだけで守れるのなら、私はもっと多くの物を得ていたはずだし、守り切った大切だったものも、きっとこんなにも傷だらけじゃなかった。そしてこれから私は、守り切ったものを自分の手で台無しにしにするんだけどね。
背もたれに体重を預ければ、ぎぃっと椅子が小さく鳴いた。ああ、やだやだ。最近特にこんなことばかり考えている気がするわ。
自覚するのは確かに良いことよ。受け入れれば次のステップに薦めるようになる。でも、自分にとってマイナスの感情を自覚するというのは結構精神的に来るものね。
そう、確かに私は多くのもの失くしてきた。奪われて来たと言っていいのかもしれない。いいえ、選んだのは私だわ。私が選んで、私が手放した。
そうするしかなかったなんて言い訳にしかならない。まだ穏やかだった頃の両親を差し出して今の地位を手に入れた。あの二人の笑顔を奪ったのは間違いなく私。私が始めたのだから私が終わらせないと。
本当は私は何が欲しかったんだろう。何をしたかったんだろう。どう、なりたかったんだろう。わからないままここまで来てしまった。ただ、これしか道はなかった。
大きくため息を吐いた。私は今、オスカー様との婚約を破棄するための方法を探している。可能なら穏便に、それが無理でもいくらか方法はある。両親のことを考えたら出来ればやりたくはないわね。
もう苦しい想いをしたくない。そのために何もかも手放すというのはマリアベルさんにはどう見えるのかしらね。否定するかしら? それとも。
そろそろ、もっと先のことも考えた方がいいかもね。何もかも手放して、空っぽになった後、全部終わった後はどうしましょうか。そう上手く運ぶとは思えないし、その先というものが本当にあるのかもちょっとわからない。
オスカー様はどうしたら婚約破棄を受け入れてくれるかしら。その後、お父様とお母様の処遇はどうなるのかしら。……ハンス様は、悪い扱いにならなければいいのだけれど。
馬車の窓から見える空はちらほらと雲が浮かぶだけで薄い青いままそこにある。不吉な雲もなければ、澄み渡るような心に残るものでもない。なんてことない昼下がりの空。カタカタと馬車の車輪が回る音と僅かな振動に目を閉じる。
後悔はない。けどきっと未来もない。
自棄になるのも恋をするのも、正気になると途端にしり込みしてしまうもの。
うん。ダメね、私。自棄になる才能もないみたい。