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13.此方に薄明


「あなたが好きです」


 薄いレンズ越しの瞳が、真っ直ぐに私を見下ろした。

 その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中にあの人の顔が浮かんだ。美しい顔立ちと自信に満ちた振る舞い。この国の第三王子にして私の婚約者。オスカー様。

 彼は、私を愛してはいなかったけど、私は確かに彼を愛していたから。だから、目の前に立つハンス様を見て、私は首を横に振った。

 わかってる。これからも彼が私を愛することはないことも、こんなことしていても何にもならないことも。それでも。私はあの人が好きだった。好きだったから、彼に嫌われたくなかったし彼の隣にいたかった。でも、結局は全部私の独りよがりな感情だったけど。


 目の前には相変わらず何を考えているのかわからない男が一人。何故、この人はそんなことを言ったんだろう。

 確かに私はハンス様の前で、オスカー様に婚約の解消を申し入れたわ。聞き入れてはくれなかったけど。


 でも、だからってよ? その話を聞いてすぐに自分が貰い受けたいって言うハンス様のことだって私は信用ならないの。確かにね、嫌いだとか、憎いとかそう言った感情はないわよ? でも、だからといって彼のことをそういう風に見たことはないわ。

 会って数日しか経ってないし、それにお互いに良い印象持っているとは言えない会話しかしてこなかったのだもの。いきなりそんなことを言われても、同情されているとしか思えない。

 息を吸う。目の前にはじっとこちらを見下ろすハンス様がいる。


「私は、好きじゃないわ」

「知ってます」

「知ってるならそんなこと言わないでよ」


 知っているくせに、どうしてわざわざそんなことを言うのかしら。本当に嫌な人ね。

 繰り返すけれど本当に私、貴方に好かれていた覚えもないの。むしろ嫌われていると思っていたくらいだもの。それがどうして求婚だなんて答えに行きつくのよ。

 今度こそはっきり断ろうと口を開く前に、ハンス様が続けた。


「ずっと好きだったんです。あなたに、笑っていて欲しいと思ったんだ」


 私の腕を握っていた手に力がこもる。大きな手だ。男性らしく骨ばっていて、それでいて繊細な作りをしている。

 痛いわ。離して欲しくて身を捩ってもびくりともしない。まるで逃さないと言われているみたい。

 そんなことを考えながらハンス様を見る。随分とまぁ真剣な顔をしていること。思わず息を飲む。思わず口を閉ざした私を見て、少しだけ表情を和らげるとハンス様は小さく微笑んだ。


「あなたが困るのは承知の上ですが、これは本心です」


 それは、とても傲慢な愛の告白だった。だけど不思議と嫌悪感はなかった。ハンス様の言葉が嘘ではないと感じてしまったからかもしれない。

 彼はもう一度繰り返した。今度ははっきりと。


「あなたの傍にいたいんです」


 ゆっくりと告げられた言葉。私の返事を待つように見つめてくる視線。握られている手の力強さ。全てが、彼が本気であることを伝えてくる。だからこそ戸惑ってしまう。

 ずっと好きだったって何よ。あなたは一方的に私のことを知っていたのかもしれないけれど、私があなたのことを知ったのはつい数日前なの。しかもあなたは遠慮なく言いたい放題言っていたし、私だって随分と酷い態度だったわ。なのに、なんでそこまで言えるのよ。


「私、あなたに好かれるような女じゃないわ」

「別に構いませんよ。ただ、俺はあなたの笑顔が見たいだけですから」

「私だって全く笑わないわけじゃないわよ?」

「それも知ってます。でも俺が見たいのはもっとちゃんとしたやつですから」


 ちゃんとしたって何よ、愛想笑いのこと? そういえばそうね。いつの間にか誰かの顔色を窺って笑顔を張り付けるのばかり上手くなっていた気がするわ。もう癖のようなものね。

 でも、貴族社会に馴染むためにも、オスカー様の隣にいるためにも。必死に取り繕って何もかも作り物で、後ろ指を刺されたってそれしかなかったのよ。


「オスカー様のことが好きだったの」


 ずっとそうだった。それしかなかった。でも、それすらも疲れてしまった。


「私はいつも、自分で何も決めることが出来なかった」


 子供の頃はもっと自由だった気がする。大きくなるにつれて、明確には爵位が男爵から伯爵になった頃から。何もかもが出来なくなってしまった。貴族であることから、多少の不自由は覚悟しているつもりだった。でもそれ以上に、がんじがらめになってしまった。

 別に貴族社会から外れた行動をとりたいわけじゃないの。ただ一人の娘として、当たり前に家族と笑い合ったり、友人と話し合ったり、あの人と愛を育んだりしたかっただけなのよ。

 でも伯爵令嬢として、第三王子の婚約者として。そうした見方をされるようになればなるほど、一つ踏み外せばどこまでも転がり落ちてしまう世界に怖くなってしまった。

だから必死に縋りついていた。


「でも、オスカー様を好きだって気持ちだけは私が自分で見つけた気持ちだったの」


 だから私は、オスカー様に婚約の解消を申し出た。正直言うと、まだ好きなのよ。でも、だからって彼の隣に立ち続けるのは嫌なの。これ以上惨めになりたくないのよ。


「本当に、好きだったの……」


 繰り返すように呟けば、ハンス様はそっと目を伏せた。その様子からは、どんな感情を抱いているのか読み取ることが出来ない。

 それなりに整った顔立ちの眉間には相変わらずシワが刻まれており何かを考え込んでいるようにも見える。薄いレンズの向こうの瞳は閉じられていて、長いまつげが微かに揺れていた。


「あなたの気持ちには答えられない」


 いつもより時間をかけて吐き出した言葉は、きっと彼にとってはとても酷いものだったんだろう。けれど、今の私にはこう言うしかない。

 こんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま、ハンス様にこたえることも出来ないし、なにより今は本当に何も考えたくないの。

 ゆっくりと彼が瞳を開ける。そうしてしばらく沈黙していた彼は、やがて何かを決意したかのように顔を上げた。

 真っ直ぐに見つめられて、思わず身構える。何を言われるのかしら。そう思って待っていると、予想に反してかけられた言葉はとても優しいものだった。まるで子供をあやすかのような穏やかな声音で、ハンス様の声が静かに響いた。


「あなたにムリをさせたいわけじゃない」


 同時に掴まれていた手が解放され、ようやく自由に動けるようになる。手首にはじんわりと熱が残っていた。思わず摩るけれど、一向に消える気配はない。

 そんな私の様子を見ていたハンス様は少し困ったような顔をしてみせた。


「でも、このままあなたが苦しみ続けるなら、俺があなたを幸せにしたい」


 それがどういう意味なのか、理解できないわけではなかった。だからといってすぐに受け入れることが出来るかと言えば否である。だって、あまりにも都合が良すぎるもの。

 思わず黙り込んでしまった私に頭の上でハンス様が小さく微笑む気配がした。そして再び口を開く。


「だから好きになってほしいとは言いません」


 それは意外な一言だった。思わずハンス様を見上げると、彼は穏やかに微笑んでいて。だけど、どこか諦めたような表情でもあった。

 どうしてそんな顔をするの? そんな疑問が浮かぶと同時に、彼が続ける。


「せめてあなたが心から笑える様になるまで、力になりたい」


 今度はしっかりと私と目を合わせて、まっすぐに向けられた視線に言葉を失う。どうしようもなくて、ただ彼の顔を見つめ返すことしか出来なかった。

 心から笑える様にって何よ。それがあなたの言うちゃんとしたやつなのね? そしてそれを、あなたは見たいと。

 なんともまぁ、好き勝手言ってくれるわね。私のことが欲しいだとか、笑顔が見たいだとか。好きになってほしいわけじゃないとか。勝手すぎるわ。皆自分のことばっかり。人のことを言えた義理じゃないけど、私のことを何だと思っているのかしら。


 浮気する癖に別れてくれない男に、自分が幸せにしたいというくせに一方的な男。私の周りってそんなのばかりね。

 そう思ったらため息が出た。頭が痛いのを通り越して腹が立ってきたわ。最近ずっと苛々してるのだけど、どうすればいいかしら。


「勝手な人ね」

「無茶を言っていることくらいわかっています」

「よせばいいのに」

「諦めきれたらオスカー様にあんなこと言いませんよ」


 呆れ混じりに告げれば、ハンス様は苦笑を浮かべた。その反応を見る限り、引く気は無いということらしい。

 一体何がそこまで彼を駆り立てるのか分からないけれど、私にもうまく呑み込み切れないものがある様に、彼にも何かしらあるのでしょうね。その対象が私であるというのが今一受け止めきれない理由でもあるけれど。


「あなた、私に構うなんてどうかしてるわ」

「一度打ちのめされたので自棄になってみようかと思いまして」

「何それ?」

「聞き分けのいいフリをしていたら、願っていたことさえ叶わなかったんですよ」


 それはなんとも、随分な話ね。

 思わず感心してしまった。いい子にしている人から割を食って、自分勝手にしている方が願いが叶いやすいだなんて。

 でもそうね、きっとそういう風に生きている方が心には優しいんだと思うわ。もしそれで願いが叶わなくとも好きにした結果なのだから自分に対しても言い訳が付く。

 もちろん世界中の誰もが自分勝手にしていては上手く回らないだろうけど多少のわがままというのは言った方がいいのかもしれない。


「自棄、か……いいわね、それ」


 私もそうしてみましょうか。そしたら案外、あっさりと気持ちの整理がつくのかも知れないし。

 そう言えば、ハンス様は嬉しそうな顔をした。よく見れば案外この人の考えていることもわかるのかもしれない。


「私幽霊になっていた間ずっとどうすればオスカー様を呪えるか考えていたのよ」

「ああ、それで付きまとっていたんですね」

「嫌いになれば、何か変わるかもしれないって思ったの」


 けれど、結局何も変わらなかった。呪いたくても呪い方なんかわからない。そもそも私自身が死んでいるわけだし。その内だんだん疲れてしまって、だから私は諦めた。きっともう、何をしてもダメなんだと悟ってしまった。

 そうして諦めた結果、きちんと婚約破棄を申し入れたわけだけど、結果は惨敗。どういうわけか受け入れてもらえなくて今に至る。

 どうしてオスカー様が婚約破棄を受け入れてくれないのかわからないし、底にどんな意図があるのかなんてわかりたくもない。


「今の私はあなたの思いにこたえることは出来ない。それでもいいなら……」


 正直に言ってしまえば、ハンス様が何故こんな私のことを好きだと言ってくれているのかは理解できない。こんな面倒臭い女のことを、本気で好いているとは思えないのだけれど。

 けれど、彼は私が笑うまで、と言った。


「私も一緒に自棄を起こしていいかしら?」


 だから少しだけそれに甘えてみることにする。だってこのままじゃ本当にどうしようも無いもの。だからこれは私なりの意思表示。

 ハンス様は、少し驚いたような顔をしていたけれどすぐにいつも通りの表情に戻った。そうして彼は私に手のひらを差し出す。少し節くれだった男の人の手だ。

 その手のひらに、今度は私から手を。




読んでいただきありがとうございました!

一先ずは一部完、二部に向けて準備していきます。次はもう少し王子や聖女に付いて掘り下げていく予定です。


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