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11.茶会の宣明


 何がどうなっているのか意味が分からない。

 いえ、原因はテーブルの向こうで何が楽しいのか笑っているどこぞの貴族の娘。この状況で笑えるのってちょっと理解できない。というかなんで四人で仲良くテーブルを囲んでお茶菓子を摘ままなきゃならないの? 本当にどういう状況なのよ。

 私の内心なんてお構いなしに、目の前ではこの部屋の主であるオスカー様と脳内お花畑娘が何やら楽しそうに話している。私と言えばその向かいでなぜかハンス様と並んで座らせられている。……なんだろう。ものすごく帰りたいんだけど。


 皆でお茶にしましょう! なんてお花畑娘の一言でこの状況になっているんだけど、なんでそうなるのよ。婚約を破棄しに来たら婚約者と浮気相手と、おまけにたまたま来ただけの男と楽しくお茶できると思う? 私はムリよ。

 にもかかわらずテーブルを挟んだ向こうにいる二人はとても楽しそうだから余計に腹立たしい。……なんでそんな簡単に受け入れられるのよ? 私がおかしいの? ハンス様も隣で黙々と紅茶を啜ってないで何とか言いなさいよ。

 つい苛立ち紛れに隣のハンス様に視線を向けると目が合った。まぁ、すぐに逸らされてしまったんだけど。


 ハンス様とは結局、街の中で別れて以来ほとんど話をしていない。あんな別れ方をした後だもの、ハンス様はどうか知らないけれど私は間違いなく動揺していたわ。

 だってそうでしょ? あんな体の透けている状況で、何処か遠くに行こうと決めて、もう二度と会わないつもりで別れたのよ? それが何でこんな状況で再会しなきゃならないのよ!


 あの時、最後に見たハンス様の顔を思い出しながらため息をつく。何かを言おうとしていたけど、結局それが何だったのか見当もつかないしそんなこと考えたって今は現実逃避にしかならない。

 いい加減この状況をどうにかしないと話が進まないわね……。そう思って無理やり気持ちを切り替え、改めてオスカー様のことを観察する。相変わらず綺麗な笑顔を作っている。その笑顔が本当に楽しそうに見えないのは、彼の表情が消える瞬間を見てしまったからかしら。随分と前だけど、あのことは今でも鮮明に覚えている。

 この人にも何か考えがあるのはわかっているつもり。でも、これ以上私をその考えに組み込まないでほしい。本当はそんなこと言えない立場だと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。


 オスカー様が見出してくれたおかげでとても豊かな暮らしをすることが出来た。多くのことを学ぶきっかけを頂いた。けれどそれ以上に、何か大切な物を取りこぼしてしまったの。

 何もかも諦めた後の私としては、心の底から愛した人が神職で添い遂げられないことには少し同情する気持ちはあるけれど、他の人に心を奪われた時点で私のことを手離して欲しかったという気持ちもある。


「先ほどの続きですけど」


 確認の意味を込めて口を開く。


「別れてはくれないんですよね?」

「ああ。君と別れるつもりはないよ」


 相変わらずの即答に胸の奥がちくりとした気がした。

 そうよね。私が何を言ったところできっと聞いてくれることはないんだろうなって思う。それくらい今の彼は自信たっぷりに見える。だからと言ってこのままの関係が続いていくのは苦しすぎる。

 隣に座っているハンス様がこちらを見ている。それは気づいていたけど、今更彼と目を合わすことも出来なかった。

 私はそっと目を閉じると小さく深呼吸をした。それからゆっくりと瞼を上げてオスカー様を見る。そしてゆっくり口を開こうとして止めた。言葉の代わりに出てきたのは大きな溜息だった。


「そうですか……」


 自分の口から零れたとは思えないほど力のない声が出て来た。自分でも驚く程弱々しい声で、それだけ自分が追い詰められていたことに気づく。同時に涙腺まで緩みそうになる。今までのように感情に流されるのはやめようと思っていたのに。

 慌てて俯くといつの間にか膝の上で握り込んでいた手のひらが白く変色していることに気が付いた。

 どうしてこんなことになったのかしら。いつの間にか頭の中に疑問符ばかり浮かぶようになっている自分に嫌になる。


「よくわからないんですけど。シャルロット様はどうしてオスカー様と別れたいんですか?」


 落ち着け。目の前にいる女を睨みつけながら必死に自分に言い聞かせる。よりにもよってあなたがそれを聞くの? あなたが、あなたたちがその人の隣にいるのも原因の一つでしょう? 本命にも慣れないくせに図々しくもそこに居座って……!

 膝の上の握り拳の感覚がどんどんなくなっていくのを自覚する。感情のままに叫びたくなるのを必死にこらえる。


「みんなで楽しく暮らしましょうよ」


 ああ、本当に。頭おかしいんじゃないの? どこの世界に自分の婚約者とその浮気相手と好き好んで暮らしたがる人がいるのよ!

 オスカー様とこの女たちの間にどんなやり取りがあって今の関係に至るのかは知らないし、知りたくもない。大体楽しく暮らすって何よ。この人は本気でそんなことが出来ると思っているのかしら? どう考えたって無理でしょ。

 本当に意味が分からない。なんでこの状況で笑えるの? どういう神経をしているのよ? 頭の中でいろんな罵りの言葉がぐるぐる回る。


「ねぇ。シャルロット様も一緒に幸せになりましょう?」


 多分、この女と分かり合うことは一生ないと思う。目の前で微笑む女の顔を見ているだけで頭がおかしくなりそう。私が一体どれだけ悩んだと思ってるの? 私が一体どんな思いでこの部屋に来たと思ってるの?

 ずっと我慢していたものが一気に押し寄せてくる。なれるものならなりたかったわよ。けど、無理だったのよ。オスカー様と一緒じゃ、私は幸せにはなれない。

 私は、もう何もないから。だからせめて一番になりたかった。オスカー様の一番になれば失くした何かを取り戻せるかもしれないと思っていた。でもそうじゃなかった。

 視線を女からオスカー様へ戻す。相変わらず何を考えているかわからない。何がしたいのか、どうなりたいのか。この人は何も話してはくれない。いくら問いかけても、この人の求める何かになれなかった私の言葉は聞く気にもならないみたい。


 視線を落としてテーブルの上に置かれたティーカップの中を見る。紅茶の表面はゆらりと揺れて歪んでいた。いっそ角砂糖の様に溶けて消えてしまえたら、あの時本当に消えてなくなれたらよかったのに。

 そんなことを考えていたら、この可笑しなお茶会が始まってからずっと無言を付き通していた隣から声が聞こえてきた。


「少しよろしいですか?」


 ハンス様を見ると少しだけ眉根を寄せて真っ直ぐにオスカー様のことを見ている。何かを思案しているような、言葉を選んでいるような表情のまま彼がゆっくり口を開いた。


「シャルロット嬢を私にください」


 なんで。聞き間違いだと思った。何ならとうとう私の頭も可笑しくなったのかと。でも隣の男はいたって真剣なようで、こちらには目もくれずオスカー様に向き合っている。

 理解が追い付かない。くださいって何? そもそも私はこの人にとって好ましくない部類の人間だと思っていたのだけど。だから、まさか彼がこんなことを言い出すなんて思いもしなかった。だって、今まで一度たりともそういう素振りを見せたことはなかったもの。

 丁度この部屋のすぐ前、扉を潜った先で先日声をかけて以来、いつもハンス様が私に向ける顔には眉間にシワが刻まれていた。不機嫌そうなその様子は、好意を持っている相手に向けるものではないでしょう?

 なのに、今ハンス様は確かに欲しいと言った。本当に何がどうしてそうなっているのか因果わからない。


「あなたにはそちらの方がいるのでしょう?」


 私の話をしているはずなのに、こちらには一切目もくれずハンス様は言い放つ。

 蚊帳の外なのはいつものことだった。私になんの権限もなく、何も出来ないのだって諦めは付いていた。せめてちっぽけな私の自尊心くらいは守りたくて、それも出来なくて。

 何が一番嫌って、この場でちゃんと私のことを見て話をしてくれたのがオスカー様の隣に居座っている娘であることが一番納得できない。


 だってそうじゃない。この娘は、オスカー様が侍らせる貴族の娘たちの一人で、決して一番にはなれないという事実を受け入れてきた側にいる娘で。何が目的でそうしているかも、どういう気持ちで私に向かって「一緒に幸せになろう」なんて言ったのかもわからない。

 この娘たちの言う幸せって何? 幸せの定義は人それぞれだと思うけど、少なくとも今の私にとっては、このままの現状が幸せだとはとても言えない。

 オスカー様に出会って失くした物なら、オスカー様の一番になれば取り戻せると思ってた。それすら叶わないのなら、いっそ全部終わりにしたかったのに。


「私にシャルロット嬢をください」


 繰り返すようにハンス様が告げる。この人はどうしてそんなことを言うのだろう。私のことなんてほとんど知らないでしょう? 幽霊として彷徨っていた間の数日、本当にたった数回だけ話す機会があっただけの間柄なのだから。

 それにこの人は私いい感情は持っていなかったはずだし、この人はいったいどんな意図で、どんな心境で私をほしいと言っているか。彼が何をしたいのかわからない。


「ダメ。それは僕のだよ」


 オスカー様がやっと口を開く。いつもと変わらない、何を考えているか分からない声色で、それでもはっきりと拒絶を口にする。いつも隣にいる娘たちに向けているような甘さはない。

 隣でハンス様が息を吸い込む音がやけに大きく響いた気がした。オスカー様も何を言っているの? 勝手なこと言わないでよ。ねぇ、お願いだからこれ以上私のことを勝手に決めないでよ。放っておいてよ。もう傷つきたくないの。期待したくない。もう疲れてしまったのよ。

 結局何も得られずに変われない日々が続いていくのも。どれだけ心を預けても返ってくることはない虚しさにも。もう、うんざりなの。


「……勝手に決めないで」


 絞り出した声は震えていた。情けない。本当に何なの。私をかき乱さないで。

 上手く息も吸えない。何度も引っ掛かりそうになる喉に無理やり空気を詰め込んで呑み込めば臓の奥の方が締め付けられる感じがした。


 自分の意志とは関係なく身体が動き出して、勢いよく椅子から立ち上がる。視界の端でハンス様が驚いた顔をしたのが見えたけれど、今は構ってはいられない。

 視線が集まっているのを感じる。そんなことはどうでもよかった。

 私を見上げるオスカー様を睨みつける。少しだけ驚いた表情をしている彼と目が合った。あぁ、やっぱり私はこの人のことが分からない。

 ずっと好きだった。それは本当のこと。でも、だからって、ずっと好きでいられるわけじゃない。私から大切なものを奪っていった人。確かにオスカー様のおかげで暮らしは豊かになった。けれど本当に欲しかったものは与えてくれなかった。


「私は私のよ!」


 叫んでいた。怒りなのか悲しみなのか悔しさか寂しさか。それとも全部か。自分でもよく分からなくなっていた。ただ、何かが堰を切った様に溢れ出してくる。

 私は私のもの。誰の所有物でもない。誰かと幸せになりたかった。誰かの一番になりたかった。

 この願いは、きっと叶わない。


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