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10.心情の溶明


 目が覚めた時、一番最初にするのは目を開けることじゃない。

 まずは出来るだけ丁寧に息を吸って、何処でもいいから自分の体に触れる。手と、触れた先の感覚を確かめてからやっと目を開けることができる。

 あぁ、今日もここにいる。


 幽霊からこの体に戻ってから三日経った。家で抱えている先生に診てもらったり大事を取って休まされたりで、結局丸々三日ベッドの上で過ごすことになってしまった。

 先生曰く、私はかなり危険な状態だったらしい。目覚めることがなければそのまま死んでいたかもしれないという。まぁそうなるわよね。正直あのまま幽霊として消えてもいいと思っていたんだけど、世の中そう上手くはいかないみたい。


 とにかく。私は何の因果か数日間幽霊になって、また生き返ってしまった。正確には死んでいたわけじゃないけど、そんなのは些細なこと。今の私にとって大事なのは今後どうするか、に尽きる。

 今まで通り、というのは多分もう無理だと思う。だから、きちんとしないと。


 オスカー様のことだからきっと私の言った婚約破棄のこともいつもの様に真面目に受け取ってはくれていない。なら、今度はきちんと書面に出した方がいいの? それとももう一度ちゃんと話をすればいい? でもそれで本当にわかってくれるかしら。

 ……そもそもあの人が何を考えているのかもわからない。すでに私以外の人を心に住まわせているのなら、婚約破棄の申し入れは受けてもらえると思ったのに。


 いえ、でもそうね。相手はあの聖女様だもの。神に仕える身、人に嫁ぐことはない。だから、彼女とあの人が一緒になることは、多分ない。だから、私の申し入れを断った? ないとは言い切れない。

 むしろあると思う。だって第三王子である彼の後ろ盾となるために、私の家は王家から改めて爵位を賜ったのだから。ここまでしてもらっておいて婚約破棄を申し入れる私も私だけど、これ以上こんなことを続けていてもお互いのためにはならないもの。


 ベッドの上から這い出して、カーテンを開く。見慣れた窓の外にはいつも通りの光景が広がっている。今日も朝が来た。以前と変わらぬ一日が始まる。

 家の様子は普段と変わらない。私が起きた時は多少アニーが走り回っていたようだけど、これと言って大きな変化はない。思い返せば私が起きなかった時に両親が様子を見に来てくれたことが奇跡のようにも思う。

 もちろんお父様とお母様が私をないがしろにしているというわけではないのはわかってる。私たち一家は、他の伯爵家よりもずっと立場が弱いから、虚勢でもなんでも張って振舞わないと簡単に足元をすくわれてしまう。

 その点も含めてオスカー様と話をしたかった。昨日のうちに予定を開けてもらえる様にと使いを走らせたのだけど、返って来たのは了承を伝える一言が記されたメッセージカードだけ。本当に、あの人にとって私って何なのかしら。


 部屋に響いたノックに返事をすれば朝の支度を手伝いに来たアニーが部屋の扉を潜る。幽霊になっていた私が言えた義理ではないけど、数日前よりもずっと顔色がマシになった彼女が楽し気に笑っている。

 さて今日のドレスは……、なんだっていいわね。婚約破棄を申し入れに行くのに特別聞かざる必要もないもの。

 クローゼットから目についたものを適当に選んで着替えを終えると、髪も簡単に整えてもらう。


「あの、シャルロットお嬢様」

「何?」

「今日、本当にお城に行くんですか? もう少しお休みしてからの方が……」

「大丈夫よ。もう三日も休んだもの」


 心配性のメイドを引き連れ食堂へと降りる。お父様もお母様も朝食は部屋で取られたらしい。結局この三日間お二人とは顔を合せなかったわね。同じ屋敷にいるから起きたことは知っているだろうけど、まぁお忙しい方々だしいつものことよね。

 食事を終えて細々とした雑務や勉強を熟していればあっと言う間に時間は過ぎて約束の時間になる。玄関を出て馬車に乗れば幽霊の時にも通った城へ向かう風景が続いていた。


 城に着いて案内されたのはいつものオスカー様の応接室で。そこには相変わらずどこかの貴族の娘を侍らせているオスカー様がいらっしゃっていて、彼の隣に座っている娘とは違い向かい合う形でソファに腰掛けるように促される。

 勧められるままソファに座り、ゆっくり息を吸う。

 大丈夫、ではないかもしれない。けど、もう駄目だからちゃんと話さないといけない。感情に振り回されてはいけない。落ち着いて、終わりにしないと。


「それで、今日はどうしたの? シャルロット」


 真っ直ぐオスカー様を見て、肺の中の空気を吐き出す。

 伝えるべき言葉は三日間ずっと考えてきた。何度も頭の中で繰り返し練習してきた。後は短く息を吸い、音を乗せるだけ。


「先日もお話しましたが、私と別れてください」

「嫌だよ」


 即答されて思わず眉根を寄せてしまった。

 なんとなく返ってくる言葉はわかっていたけど、即答されるとまでは思っていなかった。もう少し吟味した上での回答が欲しかったのだけど随分とあっさり答えてくれたものね。

 当のオスカー様は相変わらずいつも通りに笑みを浮かべている。軽く手を握り込んでから気が付いた。何よ、やっぱり震えてるじゃない私。しっかりしないよ。そう、自分に言い聞かせてもう一度口を開く。


「あなたとの婚約を破棄したいの」

「うん。だからダメ」


 ……なんか腹立ってきたわね。人の婚約破棄を却下するなんて一体どういう了見なのよこの男。まさか、私と別れたくなくて婚約破棄を断った? そんな馬鹿なことあるわけないでしょう。だって、オスカー様は私ではない別の娘が好きなはずだもの。

 オスカー様の隣に座っている本命でもない女はこの状況の何が楽しいのかにこにこしている。この娘も頭お花畑なの?

 あぁ、もう本当に理解できない。

 確かに今までズルズルと先延ばしにしてしまった私も悪かったと思うけど、他に好きな人ができたならはっきり言えばいいじゃない。その人と添い遂げられないからって私はキープってこと? そんなのごめんよ。


「……理由を、お聞きしても?」

「んー、そうだねぇ。強いて言うなら、俺が好きだからかな」


 嘘つき。

 言いたかった言葉を何とか飲み込む。ここで私がそれを口にするのは何か違う気がしたもの。オスカー様はいつの間にか私に近づいてきていて、そのまま私の手を取った。指先から伝わる温もりに、いつかのことを思い出した。

 初めて会った時の、あの眩しそうな笑顔を今でも覚えている。ただの一度しか向けられることはなかったけど。どうして私だったのかわからない。だけど彼が私を選んだことだけは事実だった。

 あの日があって、今がある。なんだかたくさんの物を失くしてきた気がするけど、得たものと比べてどちらが多かったかしら。


 私が黙り込んだことで、応接室に沈黙が流れる。

 オスカー様は変わらず微笑んでいる。何を考えているのかわからなかった。だってこの人は、いつもこうやって笑ってるだけだったもの。結局私の話は受け入れてもらえないまま。

 いつも通りだ。いつも通りのはずなのに、泣きたくなって俯いた。もうやめたい。終わりにしてほしい。私はあなたのようにきれいに笑顔を張り付けられない。あぁ、でもだめ。今日は、今日こそは伝えないと。

 顔を上げて、まっすぐにオスカー様を見る。まだ怖いけど、逃げ出してしまいたいけど。それをするとまた苦しいのが続くだけだから。息を吸って、吐いて、意を決して唇を開いた。


「私はあなたが嫌いです」

「……うん。知ってるよ」


 オスカー様の表情は変わらない。まるで、わかっていたみたいに。

 じゃあなんで、とは聞けなかった。きっと聞いたところでこの男は教えてはくれない。何がしたいのかわからない。終わらせたいのに、終わらせてはくれない。


「もう、終わりにしてください……」

「それは出来ない」


 こんなにも懇願してるのに。もうたくさん泣いて疲れたのに、涙は枯れてくれないし。オスカー様は聞く耳を持ってはくれなくて。もう嫌になって視線を落とした時。ふと、視界の端で扉が開いたのを見た。

 そこから現れたのは、一人の男性。背の高いすらっとした体躯に、眉間に刻まれたシワと薄い眼鏡をかけた黒髪の男性、ハンス様だ。出来れば今は会いたくない。


「来客中だよ」

「失礼しました。急ぎ頼まれていた書類が上がってきましたので」


 ハンス様はそのまま部屋に入ってきて、オスカー様に封筒を渡した。オスカー様もしょうがないと肩を落としながら立ち上がりそれを受け取る。

 これで一時的にでも解放されると思ったのも束の間、今度はハンス様がこちらを見ていることに気がついた。何なのよ、あなたまで。わかっているわよ、自分がどうしようもなくみじめだってことくらい。

 気持ちを落ち着かせるために少しだけ深呼吸する。


「戻ったんですね」

「放っておいて」


 よくまぁあんな別れ方をしておいて普通に話しかけようと思ったわね。しかもこの状況で。でも、おかげで少し落ち着いたわ。

 顔を上げれば興味深げにこちらを見ているお花畑娘と目が合った。その視線に、哀れみや嘲笑と言った感情が一切ないのが余計に腹立たしい。

 思わず睨みつけると、彼女は不思議そうに首を傾げた後、ぱちりと瞬きをした。


「知り合いなんだ?」


 頭の上から声が降って来る。見上げなくてもわかる。オスカー様の声だ。

 ゆっくりと見上げた先にはいつもの笑みを浮かべて私を見下ろすオスカー様と、それから私を挟んで立っているハンス様。ついでに真正面でソファに座ってにこにこしているお花畑娘。

 書類は確認がおわったのか、テーブルに放り投げられている。私とハンス様を交互に見たあと、オスカー様は小さく笑みを浮かべた。


 どういう状況なのよこれ。

 呆然としている私を他所に、お花畑娘は立ち上がって私達の方へ歩いてきた。何なのよこの娘。目の前に立ったお花畑娘は何故か名案であるという顔で笑ったままはっきりと言い切った。


「皆でお茶にしましょう!」


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