7、護衛騎士との会話
「見苦しいところを見せたわね。あの子も以前は、あそこまでああではなかったのだけれど」
別宅からの帰り道、公爵夫人はこめかみを押さえつつ、リオノーラに言った。
どんな返事をしようと角が立ちそうで、リオノーラは軽く首を振るだけに留める。
そして公爵家の邸宅につくと、公爵夫人は二人についてきたエドウィンに、「この娘にドバイリー公爵の息子が夢中になる位、閨のことを指導しなさい」と言い捨て、使用人に気分が悪いから今日は休むと伝えて部屋に籠ってしまった。
「別にとって食いやしないから、そんなに固くならないでよ」
アンジェニアの部屋で、二人きり。
エドウィンに言われても、リオノーラは椅子に座ったまま、ティーカップから指を離せない。このティーカップを離してしまえば、自分が望まない何かが始まってしまう……そんな気がして。
(何故、公爵家に来て早々、初対面の男性と二人きりで部屋に籠る羽目になったのだろう……)
リオノーラは気が遠くなる。
「公爵夫人も随分怒っていたから、君に閨のことを覚え込ませてドバイリー公爵家をどうこうしようというより、どちらかと言うとアンジェニア様への罰として、お気に入りの僕を引き離したっていう意味合いが強いと思うよ」
だから気を楽にしてよ、そう言いながらエドウィンはニコニコと人好きのする笑みを浮かべてリオノーラから離れた場所に座る。
その気遣いが、リオノーラにとって有り難かった。
公爵夫人からは一夜を共にせよと指示を受けたのに、エドウィンは先程からずっと軽いおしゃべりをするばかりで、一向にリオノーラに触れようとはしない。
(もしかしたら、本当にアンジェニア様と恋仲なのかしら?)
そうだとしたら、少し好感が持てると思いつつリオノーラはエドウィンと会話を進める。
「アンジェニア様も、普通にしていれば十分可愛いんだけど。どうも昔から、公爵夫人は美人なのに娘は……って散々陰口叩かれていたみたいでね。更に社交界デビューした時、とても美しい洗練されたドレスを着て行ったら、服に負けてる、みたいなことを言われたらしくて。それ以来、人前に出るのがすっかり嫌いになってしまったんだよね。だから、君みたいな……公爵夫人ですらも認めるような美人は大嫌いだから、あまり気にしないでいいよ」
「お気遣い、ありがとうございます」
「まぁ、君が望むならいくらでも相手するけど?」
「いえ、結構です」
即答するリオノーラに、エドウィンはくすくす笑う。
(やっぱり恋仲ではなく、仕事上のお付き合いなのかしら?)
軽口なのか本気なのか、まだエドウィンという人間を知らないリオノーラには判断が付かないところだが、触れようとしないことで上がった好感度が微妙に下方修正された。
そして、下方修正された理由はもう一つあった。
(何故、アンジェニア様の情報を私にべらべらと話すのだろう)
リオノーラが少し警戒していると、漸くエドウィンがすぅ、と表情を無くして聞いてきた。
「──で。ここからが本題なんだけど。君は何処の誰で、何を公爵夫人から言われてここに居るの?」
頬杖をついたエドウィンが、じっと茶色い瞳でリオノーラを見る。
栗色の髪がふわふわと揺れるのをぼんやりと見ながら、何だか取り調べを受けている気分だ、とリオノーラは感じた。
アンジェニアの情報を寄越したのだから、リオノーラの情報を寄越せということだ。
けれども不思議と、リオノーラに嫌悪感は生まれなかった。
公爵夫人もきっと、既にリオノーラがアンジェニアではないと知っているエドウィンに、リオノーラがどんなことを話そうが構わないと思って二人きりにしているのだろうから、と思って素直に答える。
「私は、アンジェニア様に代わり、ドバイリー公爵家のディナンド様のところへ嫁ぐ為にここに来ました」
「うん。そうみたいだね」
何故か、を聞かないということは、両公爵家の確執については当然知っているのだろう。
「アンジェニア様の身の危険を案じた公爵夫人が、平民である私を十ヶ月間教育致しました。二ヵ月後に結婚式……はございませんが、ディナンド様と結婚致しますので、最後の仕上げとしてこちらで過ごさせて頂くことになりました」
「君も大変だったね」
そう言われてリオノーラがエドウィンの顔を見れば、苦笑を浮かべていた。ふと、彼も公爵夫人かアンジェニアから無理難題を言われたことがあるのだろうか、という疑問が頭によぎる。
「いつまで身代わりになるの?」
エドウィンに聞かれ、リオノーラは「一応、結婚してから最短で半年、最長でも二年と伺っています」と答える。
「どうやって戻るつもりか聞いた?」
「いいえ、そこまでは。公爵夫人から都度指示がある、と伺っています」
「ふーん……でもさぁ、普通に考えて、もし君がアンジェニアと入れ替わるとしてだよ?どう考えても、全く何の問題も起きませんって訳ないよね」
「そう……ですね」
リオノーラは言い淀んだ。
考えないようにしていただけで、当然そうだろうと思う。
如何せん、王家の次に位の高い公爵家を騙して平民の娘が嫁ぐのだ。
いくらゴッドウー公爵夫人の指示とは言え、リオノーラにはどれ程の罪が問われるのだろうか?
リオノーラが投獄されたとして、そこから何年経てば、家族と再会出来るのだろうか?
仮に再会出来たとして、既に死んだと思っていた姉が急に現れて、しかもその姉が罪人だったとしたら、その再会を家族は果たして喜んでくれるのだろうか?
考え出せば、恐ろしくて堪らない。
けれど、十ヶ月前に戻れたとして、また同じことを問われたとしたら、きっと同じ選択をするだろうとリオノーラは考えた。
自分があの場で殺され家族が路頭に迷うよりも、生き延びて未来に希望を託す方を、と。
「わかっているならいいんだ。ところで、君は何処の誰なの?」
最初の質問に戻るけど、とエドウィンは言う。
リオノーラは、答えに迷う。
公爵家に来たら、もうリオノーラという名前は捨てなさい、と公爵夫人から言われていた。だから、本物のアンジェニアへの挨拶の時も、自分の本当の名前は出さなかったのだ。
ただ、エドウィンに自分の名前を言ったところで大した問題ではないとリオノーラは判断した。アンジェニアの執着ぶりを見ると、エドウィンがリオノーラの護衛騎士として付いて来ることはないだろうし、二ヵ月後には、リオノーラはもうここには居ないのだ。
「私は、アルラン地方出身の平民で、リオノーラと申します」
自分の名前を名乗るのは実に十ヶ月ぶりだと思いながら、リオノーラは改めて頭を下げた。そして、次に名乗るのはいつになるのだろうとも思いながら。
「……リオノーラ?どこかで聞いたことある名前だな」
「よくある名前ですから」
「アルラン地方っていうと、ドバイリー公爵家の傍系の伯爵が治めている地域か」
リオノーラは、少し驚きながらも頷いた。
流石に自分の住む領土を治める伯爵の名前は知っていたが、それがドバイリー公爵家の傍系だなんて、今回アンジェニアに成り代わる為の教育を受けなければ一生知ることのない知識だと思っていたからだ。
「おっしゃる通りです」
「ってことは、君はドバイリー側のスパイ?」
「まさか!!違いますっ!!」
リオノーラは驚いて首と手をブンブンと振る。
エドウィンが笑っていることに気付いたリオノーラは、自分が揶揄われたことに気付いた。
「成る程ね、色々教えてくれてありがとう。お礼に、ひとつだけ忠告しておくよ。仮に、誰かに何かを聞かれたとしても、ここまで素直に話さない方がいい。後、向こうに行って、味方だと思っても……いや、味方だと思いやすい人程、信用しない方がいい。殺されない為にも、ね?」
口調は軽いのにエドウィンは暗い微笑を浮かべていて、リオノーラの背筋にゾクリと震えが走った。