33、不気味な集落
リオノーラが何も気の利いたことを言えず、シン、と屋敷が静まり返ったその時、ディナンドが一人、二階から降りてきて笑いながらリオノーラに声を掛けた。
「君達家族は恐ろしい程寝付きが良いな」
「えっ……と、もう寝たのですか?」
「ああ」
「ディナンド様、ありがとうございました」
「いや、これくらい何ともない」
後で双子を寝かしつけに行こうと思っていたのだが、どうやら顔を見に行こうに変わりそうだとリオノーラは微笑む。
一階まで降りてきたディナンドは、ドバイリー公爵に「ご連絡頂き、ありがとうございました」と頭を下げる。
「いや、大切な娘の役に立てて良かったよ。お前はともかく、リオノーラは疲れただろう?今日はゆっくり休むがいい」
リオノーラがディナンドを見ると、ディナンドは頷く。
どうやら二人共、リオノーラがディナンドを毒殺しようとしたことはなかったこととし、お咎めなしにするつもりのようだ。
しかし、リオノーラとしてはそんな訳にいかない、と俯く。
「……私に罰を、お与え下さい」
目をギュッと瞑り、絞り出すように言うリオノーラに、ドバイリー公爵とディナンドは顔を見合わせる。
「そうか。罰か」
「はい」
例え貧困に喘ぐ子供が窃盗を行ったとしても、罪は罪で裁かれるものだ。
そんな世界もあるのに、自分だけが罰せられないなんて不平等なことはない、とリオノーラは唇を噛んだ。
ディナンドは少し考え、やがて真面目な顔で言った。
「ならば、かなり辛いものとなるが……リオノーラには死んで貰おう」
「……っ」
貴族を毒殺しようとしたのだ。
死罪は当然だが、ディナンドの淡々とした様子にリオノーラはビクリと身体を震わせる。
「ディナンド、娘が誤解するような言い方をするな」
「え?……ああ、リオノーラ、悪かった。ずっと、この後のことをどうするかで私は悩んでいたんだ。リオノーラを死んだことにしてアンジェニアとして生きて貰うか、アンジェニアを死んだことにして、リオノーラを生かすか。アンジェニアを生かした方が都合はずっと良いんだが、それだとリオノーラの家族との縁を無理矢理切るようで、申し訳なくてな」
「……あ……」
リオノーラは、何を言われたのかやっと理解して、涙を浮かべる。
ディナンドがリオノーラに与えた罰は、これからもずっと、リオノーラがアンジェニアとして生きていくこと。
処罰というより、処遇と言った方がいいかもしれない。冷酷無比と言われるディナンドが、リオノーラに対してその一面を見せることは一度もなかった。
「……寛大過ぎる処罰に、感謝致します」
震える声でそう言えば、ディナンドは苦笑する。
「寛大なんかじゃないさ。書類上、リオノーラはあんなに大切に思っている家族と他人になってしまう。それに、これからは屋敷を一歩出れば、あの女の名前で呼ばれるようになるんだ」
辛そうな顔でそう言うディナンドに、リオノーラは思わずその手をとって、微笑んだ。
アンジェニアとして生きて行く運命が何だと言うのだ。家族と会えなかった期間、家族の無事すらわからなかった悪夢のような期間を思えば、ずっと幸せだ。
「──さあ、この話はもうここまでだ。私は先に、失礼する」
ドバイリー公爵が踵を返し、自室へ戻って行くのを、リオノーラは深々とお辞儀をして見送った。
***
「ちょっと、もう少しマシな馬車は見つからなかったの?」
「申し訳ございません、奥様」
ゴッドウー所有の馬車と違って座り心地の悪い馬車に揺られ、ゴッドウー公爵夫人はその美しい顔を顰めた。
「本日はもう遅いですから、こちらに泊まりましょう」
日が暮れ掛け頃、丁度田舎町に到着した。周りは田んぼだらけで何もなく、公爵夫人は憤慨する。
「公爵夫人の私が、何故こんなみすぼらしいところに泊まらなくてはならないの!?」
「高級宿ですと、身分証の提示が必要になって来ますので……」
「わかってるわよ、そんな事!偽の身分証を作るとか、もっとやり方があるでしょう、という話よ!」
「仰る通りです。気が回らず、申し訳ございません。ただ、明日にでもドバイリー公爵がこちらにいらっしゃるそうですので、入れ違いにならない方がよろしいかと」
直ぐに自分の非を認めて頭を下げるブロワールに公爵夫人はドバイリー公爵の名前を聞いて機嫌を直す。
「……まぁ、今回は許すわ。風呂に浸かりたいから、さっさと部屋に案内なさい」と言って公爵夫人が頷くと、「畏まりました。少々お待ち下さい」と言ってブロワールが馬車から離れる。
御者が「お荷物を運ばせて頂きます」と、片腕を伸ばして来たが、その手を見てゴッドウー公爵夫人は再び眉を吊り上げた。
「──ちょっと!汚らしい手で触らないで頂戴っ!!」
パシン、とゴッドウー公爵夫人はその手を扇で打ち付ける。
「私の鞄ひとつとっても、お前が一年働いても手に入れることが出来ない品だというのに、勝手に触るんじゃないわよっ!」
ゴッドウー公爵夫人が憤慨して叫ぶと、その御者はヘラっと笑いながら「それはどうも、気付きませんで」と言った。
その態度が気に食わず、ゴッドウー公爵夫人はブロワールが戻って来たら直ぐに御者を替えさせようと心に決める。
歯が何本か抜けているのも見ていて不愉快で、今直ぐ目の前から消えて欲しいと思う。
「遠いところ、わざわざ足をお運び頂きまして……ありがとうございます」
宿の女将らしき女性が挨拶に来たが、これにもゴッドウー公爵夫人はちらりと目をやり、フンと窓の方に目を向けた。
「お荷物をお運びしてもよろしいでしょうか?」
夫人がちらりと女将の手を見ると、先程の御者とのやり取りを耳にしたのか手袋が装着されており、公爵夫人は鷹揚に頷いた。
「ここは随分と辛気臭いところね」
「ふふ、すみません。この集落は最近出来たのですが、まだ三百人程しかいないのですよ」
にこやかに言う女将に、公爵夫人は鼻で笑った。
「ふーん……口に合うものは出そうにないわね」
「精一杯おもてなしさせて頂きます。直ぐにお夕食をご用意致しますね」
女将と入れ違いで執事が戻って来て、公爵夫人はホッとする。
「お待たせ致しました、奥様」
「遅かったじゃないの、ブロワール」
「申し訳ございません」
「そうだ、明日はドバイリー家の馬車に乗れるわよね?あの御者はもう、見たくないわ」
「御者だけですか?」
「……?」
どういう意味?と公爵夫人が聞こうとする前に、ブロワールの後ろに集落全員ではないかと思えるような人々が並んでいるのに気付いた公爵夫人は、姿勢を正した。
「ようこそいらっしゃいました」
人々は口々に、嬉しそうにそう言うのだが、公爵夫人は眉を顰める。
何故かこの集落の人々は、何処か普通とは違っていた。足が一本なかったり、顔を半分覆っていたり、まだ年若いのに殆ど毛がなかったり。
わざわざ出迎えられても何一つ嬉しくはない。
公爵夫人ははっきりとした口調で周りの人々に言う。
「見苦しいわ、私の視界から消えなさい」
すると、その集落の人々は、何故かざわざわと活気づいた。──嬉しそうに。
その様子に公爵夫人はぞっと寒気がして、逃げるように案内された部屋に引っ込む。
「……本当に、ディオドル様がこんなところにいらっしゃるの?」
「ええ、間違いなくいらっしゃいます」
「こんな薄気味悪いところ嫌だわ、ディオドル様が来なかったらお前の舌を引っこ抜いてやるからね」
「肝に命じておきます」
その晩、女将に出された料理はどれも、公爵邸で出されてもおかしくはない程に美味しいものだった。




