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2、公爵令嬢アンジェニアとしての一歩

リオノーラと公爵夫人が話をしていた場所は、リオノーラの自宅のある領土の中でも避暑地として人気がある高級別荘地に建てられていた、公爵家の別荘だったらしい。



「貴女が教育を受けたからと言って、下賎な平民の血が流れていることには変わりないの。必要最低限の使用人を付けてあげるから、しばらくはこの屋敷にいなさい。最後の一ヶ月位なら、公爵家の門をくぐることを許すわ。また迎えを寄越すから、その時まで精進なさい」

公爵夫人はそう言い捨て、リオノーラを置いて自分の領土に戻って行った。


公爵夫人の馬車を、途方に暮れた顔で見送るリオノーラの後ろから、少し年配の女性が声を掛ける。


「今日からよろしくお願い致します、アンジェニア様。タニアと申します」

「あっ……よろしく、お願い致します……」

リオノーラがペコリと頭を下げると、その女性から「私は使用人です。アンジェニア様が頭を下げてはなりません」と早速注意されてしまった。


その女性は、元々本物のアンジェニアの乳母だったと言う。元々アンジェニアには別の乳母が担当していたらしいのだが、アンジェニアが五歳の時に亡くなったらしく、それ以降アンジェニア付きの乳母となり、生活全般全てに渡り関わってきたらしい。


「よろしいですか?アンジェニア様は、毎日薬を飲まなければならない病弱なか弱い女性です。ですから、必ずこの瓶を持ち歩いて下さい。発作が起きた時の為に持ち歩かれているものですから」

「はい」

「使用人に対する返事は、"ええ"で統一なさって下さい」

「は……"ええ"」

「朝食は六時、昼食は十二時、夕食は十八時です。始めの一ヶ月は午前中にマナーの講義と実践を学んで頂きます。午後はこの国の成り立ちから公爵家、他の貴族や派閥について学んで下さい。夕食後は二十一時まで、淑女の嗜みとして人気のある刺繍をして頂きます」

「ええ」

「それぞれ専門分野の講師が代わる代わるこの屋敷にやって来ます。講師の講義を一通り習いましたら、最終的にその講師から知識を習得出来たかどうかの試験を行います。試験に合格したら次の講義に移りますが、もし試験に落ちた場合は、二週間に一度のお休みの日が返上となり、追試験となりますのでご注意下さい」

「はい……ええ」

「それでは、お部屋にご案内致します。こちらへどうぞ」


くるりとタニアは踵を返し、屋敷の中へ入って行く。

「あの……っ!タニアさん」

リオノーラは立ち止まったまま、その背に話し掛けた。

「"さん"付けはお止め下さい」

タニアは無表情で、振り返る。

「……何かご質問はございますか?」

くだらない質問はしないように、とばかりにむっつりとした表情で返されながらも、リオノーラは怯みそうになる気持ちをぐっと抑えて言った。


「……あの、家族達に一度、会いに行きたいのですが……」

「それはなりません」

タニアはピシャリとリオノーラのお願いを遮る。

「よいですか?貴女はアンジェニア様なのです。公爵令嬢が、有名ブティックが並ぶ訳でもない街を、ふらふらと歩くとお思いですか?」

「……いいえ」

「わかったのなら、さっさとお屋敷の中に入りなさい。それと、これから屋敷の外に一歩でも出たら……私への敬語は禁止です」

「は、……ええ」

その日から、リオノーラの教育漬けの日々は始まった。




***




十三日間、一度も休息を取ることなく勉強に明け暮れたリオノーラは、漸く一日の休みを貰えることになった。

「タニア、明日は街に出たいのだけど」

「……何をしに行かれるのですか?」

「ええと……茶葉を、買いに……」


リオノーラの街で、唯一国内で有名な特産品が、様々な種類の茶葉であることを勉強を通して知った。タニアは、どうやら勉強の延長上、リオノーラが自分の目でそれを確認したいと考えていると思ったらしい。


「それなら、よろしいでしょう。今、アンジェニア様は療養の為にこの別荘で過ごされていることになっておりますから、そのまま観劇をご覧になり、帰宅されて下さい」

「えっ……観劇ですか?」

「そうです。アンジェニア様であれば、茶葉の為だけに出歩くのは不自然ですし、観劇すら見たことのない公爵令嬢なんて、嫁ぎ先で偽物だと噂されてもおかしくありませんから」

「……わかりました、そうします」

「そうして下さい」


リオノーラの人生で、避暑地に来た貴族をターゲットにした高級茶葉を扱うお洒落なお店も、観劇も、一度も経験したことがなかった。

普通の街娘であれば、そのどちらか片方に足を踏み入れることが出来れば、とても幸運であると考えてもおかしくない出来事なのだが、リオノーラは一先ず外出許可を貰えたことに歓喜していた。


「護衛を三名つけます。一名は先に観劇のチケットを買いに行かせますので、最初は二名ですが」

「……ええ」

リオノーラの喜びが、少しだけしおしおと萎びて行く。

護衛二名を、自然を装って撒くことは出来るだろうか?

リオノーラはただひたすらそれを考えていた。



翌日、美しく着飾ったリオノーラは、慣れない宝飾類を落としたり失くしたりしたらどうしよう、とびくびくしながら、護衛三名とともに、屋敷から街の中心へと移動した。


街の外に出たことのないリオノーラにとって、本来馬車に乗ることは憧れだった。

それが、初めての馬車が拉致同然で乗せられ、次は見張り付き。あまり馬車という乗り物自体に良い印象を持てず、これからも好きになれそうにないな、と考えながらリオノーラは窓の外に目をやった。


行きはカーテンが締め切られて、見ることのなかった景色。

こんな状況でなければ、窓を開けて、そこから身を乗り出して、風も同時に感じたかった。

けれども、今のリオノーラは公爵令嬢のアンジェニアだ。

馬車に乗るのは退屈なのよね、さっさと街に着かないかしら?……という感じで気だるげな雰囲気を醸し出す。


つまらなそうな表情を窓から覗かせながら、リオノーラは他人(ひと)から見えない手元でフカフカの座席に手を滑らせる。

たった二週間水仕事をしなかっただけで、リオノーラの手は傷やすり切れが消え、とても綺麗になっていた。


(こんな素晴らしい手触りの椅子がうちにあったら、妹も弟もずっと座ってそうだわ)

二人が椅子を取り合う姿を想像して、クスリと笑う。


始め埃っぽかった屋敷は、リオノーラが住むようになってからそれなりに整えられ、普段使われていないベッドですら、自宅のベッドよりずっと寝心地が良かったのだ。

母親が、木の感触しかない冷たく硬い我が家のベッドではなく、こんなベッドでゆっくり休めたのであれば、少しは体調も快方に向かうのではないか……そんなことを、どうしても考えてしまう。


気付けば馬車は、街の中心街へと向かっていた。

窓の外へ目を走らせると、リオノーラが知っている街並みが続いている。

一度も足を踏み入れたことのない高級茶葉専門店まで辿り着いてしまえば、リオノーラの自宅までの道のりがわからなくなる可能性がある為、リオノーラは馬車と並走した馬に乗っていた護衛の一人に声を掛けた。

「あの、ここで下ろして下さらないかしら?少し歩きたいのだけれど」

「ここはあまり治安が良くありませんし、ここからですと店まで大分遠く、足を痛めてしまいます。もうしばらくお待ち頂けないでしょうか」

護衛は申し訳なさそうに答える。

リオノーラは、護衛の返事にがっかりとしながらも、その態度に少しだけ期待をした。


(もしかして、この護衛の方は私を本物のアンジェニアだと思っているのかしら……?)

有り得ないことではない。

リオノーラに講義をしに来る講師は大抵、酷く緊張していたり、丁寧な物腰だったりした。明らかに本物のアンジェニアだと勘違いしていると思われる振る舞い方に驚いてタニアに目配せをすると、深く頷かれたのだ。


もし、護衛達もそうであれば。

そうであれば、もしかしたら私の言うことを聞いてくれるかもしれない、とリオノーラは考えた。

(ああ、もう直ぐ私が配達を請け負っていた仕事場が……)


たった二週間しか離れていなかったにも関わらず、何ヶ月も前に過ぎ去ったことのように思えて懐かしさで涙が溢れてくる。

不可抗力とは言え、とんでもない迷惑を掛けてしまった。

(皆元気にしているかしら?)

目頭を綺麗なハンカチで押さえながら、少しでも職場の様子を見ようとして、リオノーラは次の瞬間、固まった。


「……停めて下さい」

「はい?」

「具合が悪いの、お願い停めてっ!!」

「は、はい。おい、ここで停めろ」


護衛が馭者にそう告げると、馬車は直ぐに路肩に停まった。

リオノーラは、護衛が扉を開けるとエスコートも受けずに馬車から飛び降りた。


(嘘……なぜ……)

リオノーラの目の前に、建物が焼け落ちたと思われる形跡の残る、仕事場の跡地が広がっていた。








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