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28、運命の夜

「ここのところ、寝不足のようだが……大丈夫か?」

「……すみません、ご心配をお掛けして」

「謝らないでいい。ただ、何か君にあったんじゃないかと思って……」


それが心配というものなのでは、と思いながら、リオノーラはベッドの上で寛ぐディナンドに背を向け、自分の身体で手元が見えないように隠しながら「では、寝酒にお付き合い頂けませんか?」と言った。


「君がお酒を勧めるなんて初めてだな。喜んで、付き合おう」

ディナンドの顔を見ていなくても、その瞳は優しく、蕩けるような微笑を浮かべていることが容易に想像出来てしまう。


ゴッドウー公爵夫人に目を付けられなければ、一生交わることのない筈だった人生。愛しい人。



──ぽとり。


リオノーラは、何も写さないような虚ろな瞳で、ワインに一滴、毒を垂らした。


ぽとり、ぽとり。


その虚ろな瞳から、つう、と一筋の涙が流れる。


(ごめんなさい、なんて言わない。そんなことを言う位なら、はじめからやらなければ良いだけだから)


リオノーラの脳裏に、偽りに塗り固められた、ディナンドとの幸せな日々が甦る。


(貴方はいつも、怯える私に優しかった。そして、私はそんな貴方をいつの間にか……愛してしまった)


しかし一方でまた、リオノーラには愛する家族がいた。

それは、嘘偽りない家族であり、リオノーラが人生を捧げて、守ってきたものだ。


(用済みとなった私は、どうせ殺される。でも、貴方を殺さなければ、家族は無事ではいられない。──だから、一人では逝かせない。それがせめてもの──)


家族とは二度と会えないけれども。

これから人殺しとなる自分にはもう、家族と一緒に幸せに暮らすという、そんな資格もない。



ぽとり。


リオノーラの頬から、そして毒の入った小瓶から。

最期の一滴が、滑り落ちた。




***




「どうぞ」

「ああ、ありがとう」

ディナンドは何の疑いもなく、リオノーラの渡したグラスを受け取った。

じっとその酒を見て、グラスを何度か回し、香りを楽しむ。

それはいつも通りの仕草なのに、リオノーラは緊張で手に汗を握る。


「……君に会えて、本当に良かった」

ポツリとディナンドが呟くのに、リオノーラは苦笑する。

「……私も、良かったです」


(貴方達貴族のゴタゴタに巻き込まれさえしなければ、私はずっと幸せだった)

リオノーラの目の前で、ディナンドがグラスに口を付ける。

(けれども、貴方と会ったことが不幸だったとは、どうしても思えない)


そのままゆっくりと、リオノーラの目の前でグラスが持ち上がっていく。


(……マーサルティ様が亡くなった時の犯人も、こんな気分だったのかしら。ディナンド様も同じ死に方をするなんて、ドバイリー公爵はどう感じるのだろう……)



──パァン!


気付けば、頭で考えるより先に、ディナンドが煽ろうとしていたワインをリオノーラは思い切り手で弾いていた。


目を見開くディナンドに、リオノーラはボロボロと大粒の涙を流しながら、泣き叫ぶ。


「……なぜっっ!!マーサルティ様が毒でお亡くなりになっているのに何故、偽物の私がいれたワインをお飲みになろうとするのですかっっ!!」

リオノーラが叫ぶと、ディナンドは困ったように眉を下げた。


──やっぱり、知っていた。知っていたのに、この人は……!!


リオノーラの胸中に怒りが沸き起こり、ディナンドの胸を、力いっぱいどん、どん、と叩く。

どんなに強く叩いても、ディナンドの身体はビクともせず、逆にリオノーラの手を心配するかのように、その手を包まれた。


「……すまない。母が毒で死んでから、全ての解毒薬がこの屋敷には常備してあるんだ。……ただ、君になら殺されても良いかな、なんて少し考えてしまったのも事実だが」

「何で……っ何で……っっ!!」

「はは。……君を縛り付けたかったのかもしれないな」

ディナンドは、リオノーラが自分の分として入れていたグラスを手にして、その中身をバルコニーから投げ捨てた。


リオノーラはふらふらとディナンドに近付き、その足元に座り込んで頭を伏せる。

「どうか……私はどのような処分も受けますので、私の家族だけは……保、いえ、見逃して頂けないでしょうか……?」

「リオノーラ」


ディナンドに初めて名前を呼ばれ、リオノーラは肩を震わせる。

「ああ、やっと君の本当の名前を呼べたな。君の家族は恐らく……」

ディナンドが何かを言い掛けた時、コンコン、とドアがノックされた。


こんな夜遅くに誰かが訪れることなんてことは一度もなく、リオノーラは驚いたが、ディナンドにとっては予定内のことだったらしい。

「やっとか」


ディナンドは跪いて、床に伏せるリオノーラの手を優しく引いてその場から立たせ、ガウンの合わせ目をしっかり合わせた。


「いいぞ、入れ」

「失礼致します。ディナンド様、アンジェニア様、夜分遅くに申し訳ございません。少々よろしいでしょうか?」

夫婦の主寝室を訪ねた執事は、ディナンドに何か耳打ちをした。

執事が「……西の回廊に……馬……男と女……」と話しているのが漏れ聞いて、リオノーラは震える。


ディナンドを毒殺した後、リオノーラは抜け道を使って西側へ向かい、そこの馬小屋で逃亡の手助けをしてくれるという人間と落ち合う手筈になっていた。


「ああ、直ぐに行く。先に行って待っててくれ」

「畏まりました」


執事が出て行くと、ディナンドはリオノーラに手を差し伸べる。

「さぁ、これから楽しい見世物が始まるんだが、是非リオノーラも一緒にどうだろうかな?」

「え……」

瞳を揺らすリオノーラに、ディナンドは安心させるように微笑んだ。


「大丈夫、私が付いている。……まぁ、その格好では許可が出せないから、着替えだけはお願いしたいかな」

「は、はい。直ぐに……」


何が起きているのかわからないまま、ディナンドの指示に従い簡単な着替えを済ます。


「お待たせ致しました……」

「わざわざ悪かったね。さぁ、行こうか」

「はい……」

足元がふわふわするような感覚で、リオノーラは前を歩くディナンドに付いて行く。


屋敷の外に出ると、二人をマルコムを含む十人程の護衛騎士が取り囲んだ。


「静かにね、リオノーラ」

「は、はい」

途中まで馬で駆け、西の馬小屋の近くで一度降ろされる。

歩く度にパキパキ、と何かに当たったり踏んだりして音を鳴らしてしまうリオノーラに、ディナンドは笑って横抱きにした。



「〜〜っ!〜〜……!!」

静かな林に誰かの怒鳴るような声が聞こえ、リオノーラは耳を済ます。


「……くない?怖気付いたんじゃないでしょうね、あの女!」

「家族を人質にされてますからねー、大丈夫じゃないですか?」

「やけにあの女の肩を持つわね、エドウィン?」

「ははは、そんな訳ないじゃないですか」


近付くにつれ、徐々に声がはっきりと聞こえるようになってきた。


「……アンジェニア様?」

思わずリオノーラが呟けば、ディナンドはしぃ、とリオノーラの耳元で囁く。

そしてそのままディナンドが護衛騎士達に目配せすると、護衛騎士達は音もなくバラバラに動き出した。


「他の女にうつつを抜かしたら、エドウィンでも……」

そう唸るように言う女の顔が、一斉に灯された松明で露わになる。


「きゃあ!!な、何……!?!?」

そこにいたのは本物のアンジェニアと、護衛騎士のエドウィンだった。


アンジェニアは目の前にディナンドと抱き抱えられたリオノーラを見ると、幽霊を見たかのように青ざめ……そして、エドウィンの後ろに隠れた。

「……何で、二人とも生きてるのよ……エドウィン!これはどういうこと!?」

「私達の動きがバレていた、ということでは?」

慌てるアンジェニアとは違い、エドウィンは笑顔で飄々と答える。


「楽しそうな話だな、私にも聞かせてくれ」

ディナンドが低い声で言うのを、リオノーラは置いてけぼりにされた気分で、聞いていた。

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