27、情報屋の助言
「……え……っっ」
リオノーラは、ゴッドウー公爵夫人からの手紙を開いて固まった。
便箋を開いた時にするりと紙の間から滑り落ちたのは、誰かの髪の毛だと瞬時にわかったからだ。
嫌な予感がして、リオノーラの腕に鳥肌が立つ。
それは、柔らかい髪の一房……丁度、リオノーラの可愛い妹弟の髪色によく似た一部分のようだった。
勘違いであって欲しいと思いながら、震える手で手紙に目を通す。
(嘘……何故……)
そこには、次の指示が書いてあるだけだったが、その内容が問題だった。
(何故いきなり……ディナンド様に毒を飲ませて殺せって……どういうこと……?)
何度目を通しても、書いてある内容は変わらない。
手紙を燃やす前に、何かの暗号があるならばそれを読み解きたいと思っているのに、そんなものは存在しないことをリオノーラが一番よくわかっている。
手紙をテーブルに置いて、床に落ちた髪の毛の束を指で摘んで拾い上げ、掌にのせた。
少し癖のある、柔らかくて細い、ふわふわとした髪の毛感覚を久しぶりに感じて、涙が溢れる。
(……フェリアン……ウィネット)
ぎゅう、とそれを両手で握り締めて、瞳を閉じる。
可愛らしい双子が、瞼の向こうでリオノーラに手を振っていた。
ディナンドに毒を盛ったら、リオノーラは例の抜け道を使ってドバイリーの屋敷を抜け、用意されている馬車で逃げるようにとのことだった。
つまり、これでリオノーラはお払い箱ということだ。
(……後少しで、お母さんと二人に会える……)
当初の予定よりもずっと早く、自分は解放されるのだ。
──ディナンドの死と引き換えに。
リオノーラは濁った瞳で手紙を燃やし、ずっと持ち歩いている小瓶を取り出してそれをジッと見詰めた。
***
「……フラミルダ、行きたいところがあるのだけれど」
「はい、何方へ行かれますか?」
リオノーラは、フラミルダの耳元に顔を寄せた。
「──情報屋のところへ行きたいの。フラミルダなら、知っているでしょう?」
フラミルダは、朝から様子のおかしい主人の顔を見た。
「──存じ上げてはおりますが、ドバイリーも使っているところですよ?」
つまり、ゴッドウーの娘がどんな情報を調べたのか、筒抜けになるということだ。
「それは十分承知しているわ」
「……わかりました。では、家門の馬車は使用せずに途中で辻馬車を拾いましょう」
「ええ、お願い」
それは、リオノーラの最後の抵抗だった。
ディナンドの暗殺を指示されたリオノーラには、もう後がない。
家族を助ける為にはディナンドを殺すしかなく、ディナンドを殺せば次は自分がドバイリー家に狙われることになるのだ。
そもそも、ディナンドを殺した時点で、今度は自分が口封じでゴッドウー公爵夫人に殺されるだろう。
リオノーラが合流すれば家族も危険に晒されてしまうし、どっちみち、リオノーラには家族と幸せになる未来なんて存在しないのだ。
フラミルダに案内されたのは、ごくごく普通の宿屋だった。
フラミルダが受付にいる女将さんに声を掛けると、女将さんは「あっちから入んな」と従業員の通用口を指差した。
「一人で行くわ」
「しかし……」
「ごめんね、貴女を巻き込みたくないの」
フラミルダを宿屋のロビーで待たせ、リオノーラは足を進める。
辿り着いた部屋はドアノブがなく、内側からしか開けることの出来ない構造になっているようだった。
リオノーラがノックしようとした直前に、ドアが内側に開いた。
想像していたよりもずっと小さな男の子が、「どうぞ」とリオノーラを中へ案内する。
情報屋と一対一で向かい合って座り、リオノーラは出されたお茶には手を出さず、直ぐに話し出した。
「調べて欲しいことがあります」
「はは、ドバイリーの若い奥さんは随分とせっかちだなぁ」
情報屋はリオノーラの心を解きほぐすように軽く言ったが、時間がないリオノーラは眉間にしわを寄せる。
「私を知っているのですね。なら話は早いです」
「ああ、勿論知ってるよ、アンジェニア様。……いや、リオノーラと呼んだ方が良いかな?」
ニコニコしてそう言いながらお菓子を一口齧る男の子に、リオノーラは警戒心を顕にした。
(何、この子……!!何故そのことを知っているの!?)
表情を失くしたリオノーラに、その男の子はお菓子のついた指をペロリと舐めながら言う。
「はは、リオノーラはわかりやすいなぁ。そんなんでよく、身代わりなんて引き受けたね」
すっかり彼のペースに巻き込まれた、と悟ったリオノーラは、すかさずアンジェニアの仮面を被る。
「……人を、探して保護して欲しいの」
「ねぇ、リオノーラ。知ってるかな?君の情報は、ドバイリーとゴッドウー、どっちに売っても金になるんだよ」
「……っっ」
一度だけにっこり笑って、少年は真剣な表情をした。
「──もう少しだけ、我慢して」
「けれど……っっ」
その、時間がないのだ。
ゴッドウー公爵夫人から、ディナンドを殺すように日時を指定されているが、それは三日後だった。
それまでに家族の場所がわかるのなら、家族の保護だけでもお願いしたかった。
まさか、ディナンドを殺すなんてそんな恐ろしい指示を下されるとは思ってもいなかった。
それが、自分の最後の仕事になるなんて。
「……お願いするだけ、無駄なようね」
「察しが早いと助かるよ」
恐らく、この情報屋は既にドバイリーかゴッドウーか、どちらかの指示で動いているのだろう。
ふと、リオノーラは気付いた。
この情報屋は、ドバイリー公爵家がよく利用するのだ。であれば、ドバイリー公爵もディナンドも、既にリオノーラがアンジェニアではない、ということを知っていてもおかしくはないということに。
「……ドバイリーは、私のことを知っているの?」
情報屋は、リオノーラの質問には答えず少し眉を下げて言う。
「君のことは、同情するよ。とんでもない私欲にかられた人間に目を付けられ巻き込まれた、としか言いようがないからね」
「……」
そう言われたリオノーラは、不覚にも泣きそうになった。
二度と戻って来ない日常が、こんなに大切なものだなんて気付かなかった。
双子の面倒を見ながら、母を看病しながら、いつか王子様が現れて、自分を助けてくれないかだなんて思った日も、数え切れない程ある。
けれども、違った。
幸せというのは、大変で平凡な日常の中にこそ、あったのだ。
これ以上ここにいても無駄だ、と思って踵を返そうとするリオノーラに、情報屋はもう一度言う。
「リオノーラ、あと少し待って。もう少しだから」
「……何を?」
リオノーラの質問に、情報屋は肩を竦めた。
この情報屋は、リオノーラがディナンドを殺すように指示されていることを知っているのだろうか?
知っていて、殺すのを待てと言っているのであれば、家族を見殺しにしろと言われているのと変わりない。
「……邪魔したわ」
「役に立てずごめんね」
一縷の望みすら絶たれて、リオノーラは歯を食いしばる。
駄目だ、アンジェニアにならないと。
アンジェニアがリオノーラだと知っていてようが知るまいが、ドバイリーはリオノーラをアンジェニアとして扱っているのだ。
知っていても投獄せずに傍に置いておくということは、リオノーラに利用価値を見出しているのだろう。
(本当に、貴族なんて、信用出来ない……っ)
ドバイリーの方が、気を許しそうになる分、ゴッドウーよりも質が悪いと言えるのかもしれない。
(もう、後には引けない)
リオノーラはその後三日間、眠れぬ夜を過ごした。




