26、真逆の感情
手紙の一件はリオノーラを絶望させたが、ともかくゴッドウー公爵夫人の指示にしたがう他ない。
気持ちを切り替え、どのようにドバイリー公爵と会わせるか、リオノーラは思案した。
ドバイリー公爵に素直にお願い出来れば一番良いのだろうが、先日公爵に会う為だけに、ディナンドを介して何やら色々手順を踏んだ。
では、偶然を装うか。
偶然を装うには、ドバイリー公爵は別宅からほぼ外出しない、隠居した人間のような生活を送っている。
偶々散歩していたら、と言えるような距離でもなく、どう考えても不自然極まりない話だった。
(どうしたら良いのかしら……?)
ゴッドウー公爵夫人の要求は「ドバイリー公爵と二人きりの時間を設けさせろ」と極めてシンプルな内容であったが、それは考えれば考える程、想像以上に難問である気がした。
そしてリオノーラが毎日頭を捻っても良い考えなど到底思い浮かばず、一週間経過。
リオノーラはとうとうお手上げ状態となり、仕方なく執事にそれとなく聞いてみることにした。
「あの、ドバイリー公爵とお会いして先日のお詫びをお伝えしたいのですが」
リオノーラがそう言い訳をしながら、「ディナンド様にお願いすると仰々しくなるので、ちょこっとお邪魔して、ドバイリー公爵とだけお話したい」という趣旨の内容を相談すれば、執事はニコリと笑って、「アンジェニア様でしたら、こちらから連絡すれば直ぐにお会い出来るよう取り計らうようにと言い付かっておりますよ」と言う。
え?と呆けるリオノーラを置いて、執事はさっさと「直ぐに確認を取りますね」と言い、そして一時間程後に、「本日これからでも問題ないらしいのですが、いかがされますか?」とまさかの回答が返ってきた。
「こ、これから直ぐに伺います!」
「畏まりました」
以前はディナンドと一緒に行った道を、リオノーラは一人で馬車に乗って別邸へ向かった。
道中、緊張で喉が乾き、いつの間にかディナンドが傍にいることが、如何に自分を安心させていたのか身に沁みて感じる。
今回はゴッドウー公爵夫人からの指示に従わなければならないから、尚更だ。
その時、ディナンドを介せずに連絡が取れたことに浮かれて執事の話に飛び付き、肝心のドバイリー公爵へは何をどう説明するかを考えていなかった事に気付いたリオノーラの背中に冷や汗が流れる。
マーサルティが亡くなってから、ゴッドウー公爵夫人からの手紙を一切開封することなく隠居生活に入ったドバイリー公爵だ。
リオノーラが介入したところで急に態度を変えて会ってくれる訳はないが、お願いだけでもしてみなければ、少なくともそうした体裁だけでも保たなければ、何処にゴッドウー公爵夫人の命を受けた密偵が潜んでいるかわからないのだ。
リオノーラが指示に従う素振りすら見せなければ、家族がどんな目に合うかわからない。
(敵対している家門のアンジェニアを、ドバイリー公爵様から嫌われることなく……むしろ歓迎して下さっているというのに……)
「どうした、とうとうディナンドが何かやらかしたかな?」
ドバイリー公爵は無表情だが、気遣わしげにリオノーラを迎えてくれた。
もしかしたら、ディナンドとの間で何かあった時、頼る相手がいないリオノーラの話を聞けるように、何時でも会えるよう手配してくれたのかもしれない、とその第一声を聞いて感じた。
良くしてくれるドバイリー公爵の期待や善意を裏切るようなお願いをするのは心苦しい。
けれども、自分が公爵に嫌われることになったとしても、お願いだけはしなくてはならない。
リオノーラは、きゅ、と唇を噛み締めた。
「ああ、君からそうお願いされたら断れないな。わかった、会う時間を設けよう」
「──え?」
リオノーラが呆けてしまう程呆気なく、ドバイリー公爵は「どうか母と一度お会いして頂けませんか?」と一言リオノーラがお願いしただけで快諾してくれた。
「いえ違うんです」、と先日の自分の失態を侘び、ディナンドや自分の近況を話し、ドバイリー公爵から「それで、君の本題は何かな?」と促されて、「私がお願いするのもおこがましいお話ですが」と、やっと口にする事が出来たのだ。
「……よろしいのですか?」
あまりに呆気なさすぎて、ついリオノーラは確認してしまう。
「ああ」
「その……ありがとうございます」
「問題ない。会うだけだ」
ドバイリー公爵は、ずっとマーサルティ殺害がゴッドウーの指示によるものだと考えている為、ゴッドウー公爵夫人を避けているものだと思っていたリオノーラは、その後もふわふわと狐につままれた面持ちで帰路についた。
だから、気付かなかった。
ドバイリー公爵が快諾したのは、言葉通り、会うことだけだったのだと。
***
リオノーラを見送ったドバイリー公爵は、執事に「出掛ける準備を」と端的に告げる。
「わざわざこちらから出向くのですか?」
眉を顰めてドバイリー公爵に尋ねる執事の言葉には、紛れもなくゴッドウー公爵夫人への嫌悪が感じられた。
「あの女は、我が領土内に足を踏み入れられることすら、許したくはないのでな」
「……畏まりました、そういうことでしたら」
執事は、公爵の真意を測りきれなかったことに対して頭を下げる。
「まぁ、直ぐに帰宅することになる」
「左様でございますね」
ゴッドウー公爵夫人に会いに行く旨の手紙を出して、直ぐに出発をする。日時はこちらの都合で勝手に決めたが、会えないのであればそれは仕方ない。
何の配慮もせずに、一方的に約束を取り付けた場所に行けば、そこには派手に着飾り、自分の美しさを全面的に押し出したゴッドウー公爵夫人が笑顔で待機していた。
「お久しぶりです、ディオドル様」
綺麗な所作で自分を歓待するゴッドウー公爵夫人に、ドバイリー公爵は冷たい声で告げた。
「私達は、名前で呼ぶ仲ではない筈だが」
「まぁ、そんなこと仰らないで。少なくとも、私は以前、ディオドル様から求婚された過去があるではございませんか」
ニコリと微笑を浮かべるゴッドウー公爵夫人に対し、ドバイリー公爵はぴくりとも表情を変えることはなく言い放った。
「これでお前に会ってくれ、という娘の願いは叶えた。娘に感謝するんだな、そうでなければこんな時間の無駄遣いはしていないだろう」
「まぁ……そんな悲しいこと、仰らないで下さいませ」
ゴッドウー公爵夫人は、ドバイリー公爵に近付きその胸元に手を当てようとしたが、ドバイリー公爵はするりとそれを躱す。
「では、約束は果たした。もう二度と会うことはないだろう」
身体を翻したドバイリー公爵に、目を見開いて驚いたゴッドウー公爵夫人は、慌てて傍らに佇むブロワールに視線を送った。
立ち去ろうとするドバイリー公爵の前に、ブロワールがスッと立ち塞がり、その進路を防ぐ。
「ディオドル様」
今度こそ、ゴッドウー公爵夫人はドバイリー公爵の背中に縋り付いた。
両手と額を、その大きな背に当てる。
服を着ていても筋肉質で逞しい体付きであることがわかるドバイリー公爵を肌で感じ、最近見ていないぶくぶくと太る一方の自分の旦那に嫌悪感が膨れ上がった。
「どうか、私を助けて下さい。ゴッドウーはもう駄目ですわ。あんなにあった資産を、穀潰しの今の旦那が使い込んでいるのです。私の親友であるマーサルティは私を哀れんで、生前私をドバイリー公爵邸に呼んで保護して下さると約束してくれたのを、ご存知でしょう?」
ゴッドウー公爵夫人がそう言うと、ドバイリー公爵は「聞いてないな」とつれなく答える。
「もし、本当にゴッドウーが財政難であるという証拠を私に渡すのであれば、考えてやるが……」
ドバイリー公爵の返事に、ゴッドウー公爵夫人は瞳を輝かせた。しかし、次に続く言葉に、片眉を上げる。
「息子は何と言うかな」
その言葉の裏には、息子のディナンドは許さないだろうというニュアンスが如実に含まれていた。
「マーサルティを殺した女を裏で操った犯人がわからないうちは、息子の気持ちも変わらないだろう」
つまりは、息子のディナンドはゴッドウーが犯人だと思っているのだ、とも暗に伝える。
「わ、私の娘だって、ゴッドウーの者ですし、何の問題もない筈ですわ」
「さて、それはどうでしょう。まぁ、決めるのは息子ですから」
私はもう実質ドバイリーを動かしておらずに隠居したので、と続けたドバイリー公爵は、「いい加減、通して貰おう」とブロワールの横を通り過ぎる。
「ディオドル様っ!お待ち下さい!!」
その背中にゴッドウー公爵夫人は何度も声を掛けたが、ドバイリー公爵が振り向くことはもうなかった。




