25、公爵夫人の忠告
報告書を花瓶の下に忍ばせた日、リオノーラは誰がゴッドウーの手の者か調べる為に、一日仮病を使って廊下を見張っているつもりだった。
しかし。
「も、もう何ともないので……!どうか、お仕事に向かわれて下さい!」
連日のリオノーラの体調不良を心配したディナンドが、当初の予定を変更してリオノーラの傍に付き添うと言い出したのだ。
「いや、きちんと仕事はしている。何、書類の処理を先にするように予定を入れ替えただけだから、仕事は何ら差し障りはない。だから君は、何の心配もせずにしっかり休んでいてくれ」
「……っっ」
そう言ってディナンドは、リオノーラが寝ている夫婦のベッドの横に、執務用の机を自室から持ち出して書類を捌き出した。
そんな状態ではドアに張り付いて聞き耳をたてる訳にもいかず、結果としてディナンドに心配させたばかりか予定まで狂わせる羽目になり、リオノーラは半泣きで反省する。
(嘘をついてごめんなさい……っ!もうしません!)
結局、翌日にはリオノーラの報告書は花瓶ごと消えていた。
そしてリオノーラはその日も、便箋にペンを走らせた。
***
トラウラの件もある為、侍女やメイドは止めておこう……と考えて、リオノーラは屋敷内を歩きながらさり気なく適当な人物を見て回った。
(あ、あの人なら……)
リオノーラは、中庭で剪定している庭師に声を掛ける。
「あの、すみません」
「ん?……これは奥様!失礼致しました」
まだ若そうな、けれども公爵家に出入りするにはもう少し身だしなみに気をつけた方がよい印象の庭師は慌てたように帽子を取り、ニコニコと愛想良く笑う。
「申し訳ないけれど、これを……手の空いた時で良いから、伝書所に届けてきて下さらない?」
リオノーラは、公爵夫人らしく命令しながらも、にこりと笑って手紙をそっと渡した。
庭師はキョトンとした顔をして、「これは……」と疑問を口にする。
公爵夫人の身の回りのことは、侍女が行う。まさか自分が手紙を託されるとは思ってもいなかっただろう庭師は、不思議そうにしながらも「畏まりました、お預かり致します」と言ってそれを内ポケットに仕舞った。
余計なことを聞かず、言われたことをそのまま引き受けてくれた庭師にリオノーラは感謝を伝えてから、その場を後にする。
手紙の宛先は、リオノーラの以前住んでいた家の隣に住む住人だ。
そこに住む奥さんは何処かの没落した貴族の末裔と自ら名乗り、噂話が大好きで、やたらと近所の動きに精通していた。
それこそ、どこぞの家が飼っていた昆虫が逃げただの、あそこの奥さんは可愛いからオマケして貰う回数が多いだの、些細な情報は勿論、自分で観察して手に入れる話題も沢山あった。
だからこそ、リオノーラの家族の行方の何らかの情報を掴んでいるとすれば、一番可能性が高いのがその奥さんだと考える。
おしゃべりの大好きな彼女が、双子の面倒を任された例の女性にあれこれ質問攻めをするシーンがリオノーラの脳裏に易易と思い浮かんだ。
行き先を知っているのが一番だが、どんな些細な情報でも構わない、今のリオノーラは藁にも縋る思いで返信用封筒を同封してその手紙を書いた。
とはいえ、リオノーラがこの屋敷の住所を明かすわけにもいかず、返信用封筒は以前訪れた街の伝書所預かりにしている。
(お隣さん……どこまで知ってるかな?流石に新しい居場所までは知らないよね。でも大まかな場所だったとしても、本格的に人を向かわせてお母さんと双子を何処か無事に過ごせるところへ移動させて……)
そう期待を膨らませながら、リオノーラは愕然とする。
リオノーラやその家族にとって、ゴッドウー公爵夫人の手が回らない安全な場所などあるのだろうか?
ドバイリー公爵の領土内ならまだマシかもしれないが、スパイがいる限りそれはマシというレベルだ。
そもそも、リオノーラには自分が自由に出来る財産などない。
ドレスや宝飾品は、全てどちらかの公爵家から借りたか頂いたかしたものだ。
(それでも……やらなきゃ)
今後、安全に過ごせる場所をまず確保する。
その為に、宝飾品を換金出来る場所の下調べをする。
母親の容態がどんな状態かわからないから、出来る限り身体に負担の掛からない馬車を手配して……
リオノーラは、考えれば考える程、自分一人ではどうにも出来ない状況であると気付いてしまった。
そもそも、家族のところに誰を向かわせるというのだ。信頼して任せられる人なんて、自分の周りには誰もいない。
ディナンドやマルコムは信頼出来る人達だが、彼らに真実を告げずに家族の安全確保を頼むのは無理だろう。
しかも、真実を告げたとして、自分の牢屋行や処刑は確定したとしても家族の安全は確定しないのだ。
(……先々のことを考え過ぎて心配しても仕方ない。まずは家族の行き先を突き止めることが最優先)
最悪、あれやこれや手配せずに二度とドバイリーには戻らない覚悟で失踪を装い家族の元に行き、皆で逃げ出すしかないかもしれない。
(お母さんの体調次第だけど、それしかないかも)
行き当たりばったりになってしまうが、あれこれ悩み過ぎるとタイミングを失う可能性がある。
隣人からの返事に一縷の希望を抱きつつ、リオノーラは家族との再会にあれこれ思考を巡らせた。
現実的に考えればどの手も不可能に思えてリオノーラを落ち込ませたが、それでも家族との再会への希望の方が彼女の心を弾ませた。
そして、そんな彼女をドン底に突き落とすのは、いつも決まって同じ人物なのだった。
***
庭師に手紙を預けてから一週間程した頃のこと。
リオノーラが夫婦の寝室から自室へ戻ると、待ち構えていたかのように丸テーブルの上に真っ白い簡素な封筒が置いてあった。
それを目にしたリオノーラは一瞬、隣人からの返信かと思って喜んでしまい、伝書所宛の手紙がこんなところにある訳がない、と思い直して咳払いをし、自らを落ち着かせた。
その封筒を手にして、ペーパーナイフで開ける。
手紙を送った相手への何の配慮もない、いかにも事務的な印象から、リオノーラはペーパーナイフを動かしながら何となくこの手紙を送ってきた相手が誰だかわかってしまう。
(トラウラが置いたのかな……)
リオノーラはため息を吐いた後、顎を引いて少し気を引き締め、二枚程の便箋をその封筒から抜き出した。
リオノーラの想像通り、それはゴッドウー公爵夫人からの返信だった。
その手紙に目を走らせたリオノーラは、口元に手を当てた。
力の抜けた指先から、支えを失った紙がひらりひらりと床に落ちる。
(……っ!!)
ゴッドウー公爵夫人から、簡単に次の指示が記されていた。
自分をドバイリー公爵と会わせろ、もし無理なら家に招待しろ、というものである。
因みにリオノーラは何らかの理由をつけて、若しくは外せない予定を入れて、ゴッドウー公爵夫人と鉢合わせしないようにということだ。
そして、この手紙は燃やしなさいと書いてあるのに、ドバイリー公爵から預かった手紙は直ぐに送りなさい、と指示が書いてあった。
手紙の開封確認をしたいのだろう。
開封如何によっては、リオノーラの指示もまた遠回しなものではなくより具体的になったりするのかもしれない。
そして最後に、一言。
「余計な詮索はおやめなさい。生きた家族と会いたければ」
と書かれていた。
前半の言葉だけならゴッドウー公爵夫人の手紙を読むなという忠告にも思えるが、それにしては続く後半の言葉がチグハグだ。
なので、
(……失敗した……)
隣人に届く予定の手紙は、何処からかわからないが、最終的にゴッドウー公爵夫人へ届いたのだとリオノーラは察した。
その考えを裏付けるかの如く、リオノーラがいくら待っても隣人からの手紙が伝書所に届くことはなかったのである。
 




