24、定期報告
結局、その日以降、リオノーラがディートと会える日はなかった。
母親が一時双子の出産で命すら危うい状況となり、必需品の買い出し以外では、外に出てゆっくりする時間などしばらく出来なかったからだ。
そして、そんないっぱいいっぱいな状態のリオノーラに追い打ちを掛けるように、父親が鉱山のトンネル崩落により亡くなったと訃報が入った。
最悪なことに、崩落に巻き込まれた仲間を助けに向かった、父親と仲の良い同僚達も皆、今度は土砂崩れの二次災害に合い、亡くなったという。
父親の遺体と対面を果たしたのは更にもっとずっと後で、現実味を帯びないまま、そしてよくわからないまま、リオノーラは動くこともままならない母親の代わりに遺族の為の補償金の書類にサインをした。
そして父親を失ったリオノーラと家族は何とか遺族年金を受け取りながら、細々と貧しい暮らしではあるものの、必要最低限の援助を受けながらこれまで生きてきたのだ。
父親を失った悲しみに浸る暇なんてない程、双子の妹弟はいつもリオノーラを振り回し、そして何も知らない無邪気な笑顔とその明るさにリオノーラは何度も救われた。
***
「大丈夫か?」
「……すみません、ディナンド様……」
「いや、君が無事なら何の問題もない。過呼吸だったらしいが、こういうことはしょっちゅうあるのか?」
「……いえ、たまに、です」
リオノーラが目覚めると、そこは既に本宅の、夫婦の寝室だった。
ベッドの傍らに椅子を置いて座り、本を開いていたディナンドは、リオノーラのたてた微かな衣擦れの音で直ぐに顔を上げ、心配そうに覗き込んでくる。
「それよりも、ドバイリー公爵様に折角お時間を頂いたのに、私の体調不良で失礼な真似をして、大変申し訳ありませんでした……」
リオノーラが過呼吸に初めてなったのは、父親が瓦礫の下敷きになってからだ。トンネルや洞窟、狭くて暗く、先が見えない場所を目の前にすると発作的に出るようになった。
大雨の日も出やすい。
双子のお世話など目まぐるしい日々を過ごしている間に大分良くなったが、それがまた頻発するようになったのはゴッドウー公爵家の別荘に軟禁されてからである。
精神的なストレスが原因らしいが、ゴッドウー公爵夫人はリオノーラをそのまま使った。恐らく、病弱設定のアンジェニアの代わりとするなら過呼吸くらい何の問題もないと判断したのだろう。
「父上も、そんなこと全く気にしていないから気に病むな。それより、君の体調を心配していた。勿論、私もだが」
(優しい……声)
けれども、アンジェニアを迎え入れたディナンドの目的がわからないうちは、警戒する必要が十分にある。
リオノーラが公爵家を謀った罪で罪人となる前に、アンジェニアの代わりとして殺されるかもしれないのだから。
「……お気遣い、ありがとうございます」
「今日はもうゆっくり休むといい。お腹が空いているようなら身体に優しい食事を持ってこさせるが、どうする?」
ディナンドが椅子からリオノーラの寝ていたベッドに移り座り、そっと掌をリオノーラの頬に添える。
「は、はい、いえ、大丈夫です……っ!」
既に何度か身体を重ねているのにリオノーラは動揺してしまい、頬に熱が集まるのを止められなかった。
以前だったらそのまましばらく真っ赤になっていただろうが、この掌がそのまま下におりて、そのまま首を絞めるかもしれない──と、そう想像してしまったことで直ぐにその熱は冷め、逆にぶるりと身体が震える。
「寒いか?少し毛布を増やすように指示しておこう。君は寝てて良いから」
「……はい」
ディナンドは、リオノーラの額にキスを落とすとそのまま部屋を出て行った。リオノーラはその背中をぼんやりと見送りながら、
(……どちらの家にも属していない、私だけの味方を探さなければ……)
と、今度こそ決意を固めた。
***
決意は固めたものの、誰を頼れば良いのかわからないまま時間だけは過ぎ、リオノーラが公爵家に来てから一ヶ月が経過しようとしていた。
(もう一ヶ月が過ぎてしまった……)
いつ部屋の前に黄色い花瓶が現れるかわからないと思い、リオノーラはゴッドウー公爵夫人への初めての報告書をしたためながら眉を顰めた。
あれからもディナンドは変わらず優しく、ずっとリオノーラ……いや、アンジェニアを気に掛けてくれていた。
公爵と会う機会はないが、それでも穏やかな、穏やか過ぎる日々が過ぎていって、リオノーラが偽物だという問題点さえなければ最高の居場所になり得るだろうと思われた。
しかし、その問題が大き過ぎて今のままで幸せになれる筈がないのは百も承知であるのだが。
気が進まないまま、リオノーラはゴッドウー公爵夫人への報告書を認める。
はじめにドバイリー公爵について知り得た情報を書いた。居場所や対面時間、話した内容などだ。
次に、ドバイリーの屋敷の抜け道について書く。
そして最後に、ドバイリー公爵から手紙の返却を頼まれたことを書いた。
(マーリネッラのことは報告義務外よね……)
何度か内容を見直して、封をする。
落ち着かない気分でその手紙をそっと引き出しにしまい、鍵を掛けてから夫婦の寝室へと移動する。
ディナンドのリオノーラに対する態度は最初から変わらず、一貫して優しい。よくされ過ぎて、リオノーラの胸はいつも重たい石を乗せられている気分だった。
(……私の選択は、本当に合っていたのだろうか……)
リオノーラは窓の外に視線をぼんやり向けつつ、自問自答を繰り返す。
リオノーラが双子を育てながら母親の介助をしていた時、同じ学校に通う比較的裕福な家庭の男友達から求婚されたこともあった。また、愛人になることを条件に一回り以上年上の商家の男性からも援助を申し出て貰ったこともあった。
しかし、男友達はリオノーラが家族の元に通うのは良くても同居は考えられないと言うので断り、男性の話はリオノーラがまだ若かったこともあって、憤りにまかせて詳細を聞く前に断ってしまったのだ。
(あの時、どちらかの話を受けていたら……)
こんな、スパイのような真似事をすることはなかっただろうとリオノーラは窓に掛けた手をきゅ、と握り締める。
そして、ディナンドと出会うこともなかっただろうと。
(そうであればディナンド様は、アンジェニア様の身代わりとなった、私ではない他の女性に……)
優しく接し、日々気遣い、心をこめて歓迎し、夜は熱い抱擁を交わしたのだろうか?
そこまで考えて、リオノーラは自分の胸がきゅう、と痛んだのをハッキリと感じ、胸を押さえて蹲る。
ディナンドが笑むのは断罪する相手だけだったとしても、彼に強く惹かれてしまったことを自覚したリオノーラは、自分がディナンドに向けるそれが好意……恋であると認識出来ない程愚かではなかった。
ポロポロ、と床に落ちた涙が柔らかな絨毯に染み込んでいく。
人は常に選択をして生きている。
男性達の申し出を断ったのは自分だし、ゴッドウー公爵夫人の脅迫に屈したのも自分で。
ディナンドが本当に冷酷無比な性格であればこんなに辛くなかったかもしれないが、今のディナンドに出会わなければ良かったなんて思える筈もなく。
ガチャ、と扉が開く音がして、ディナンドが入室してくる。蹲るリオノーラを見るなり、傍に駆け寄った。
「……!?どうした?調子が悪いのか!?」
「大丈夫です。……少し、胸が……」
胸が、痛いのです。
涙が止まらないリオノーラをゆっくりと横抱きにしてベッドに寝かせ、「医師を呼んでくる」とディナンドは踵を返そうとした。
リオノーラはその服の裾を、くいと引っ張る。
「……?」
ディナンドは心配そうに覗き込みながら、リオノーラの小さな手を両手で包む。
「医師を呼ぶ必要はございません。……もう少し、傍に、いてくださいませんか……?」
「わかった」
ディナンドはリオノーラの横に横たわると、優しくその身体に腕を回した。
──その翌日、部屋の前の花は、黄色い花瓶に生けられていた。




