21、離れにある肖像画
それから一週間程、リオノーラは至って平穏に過ごしていた。
昼はドバイリー公爵家から馬車で行ける距離で街や景勝地を巡り、夜になれば帰宅したディナンドに愛される毎日である。
ただ、家族の安否がわからない状況であるのに、ドバイリーに来てからのリオノーラは基本的に幸せを感じてしまうことが多く、その温度差が彼女の心を苛んだ。
「では、行こうか」
「はい」
リオノーラは、すっと差し出されたディナンドの腕に自分の手を掛け、頭を下げる使用人達の間を抜けてドバイリーの邸宅を出発する。
行き先は、ドバイリー公爵家の離れだ。
離れと言っても歩くには難儀な距離なので、ディナンドの馬にリオノーラも乗せて貰い、乗馬を楽しみつつ目的地まで向かった。
「やあ、良く来たね」
「ご招待頂き、ありがとうございます」
ドバイリー公爵は、わざわざ離れの玄関から外に出て、リオノーラ達を出迎えてくれた。
離れはドバイリーの本宅に比べるとグッと小さく、二階建てのシンプルな造りの建物だ。小さいとは言っても街のレストラン以上の面積はありそうな、外から見ると一階部分を蔦が覆い、ところどころに花が咲いていて、とても落ち着いた雰囲気のある屋敷だった。
「ランチは外に用意させたのだが、その前にまずは私の妻を紹介しようか」
「はい、ありがとうございます」
屋敷の玄関が開かれると、左右から二階へ向かう曲がり階段の中心となる真正面に、ドバイリー公爵家の家族の肖像画が飾られていた。
中心に座っているのが故マーサルティ夫人、左側にドバイリー公爵、そして右側に少年の姿をしたディナンドが描かれている。
「これは十年程前に描かせた肖像画だ。私の妻、マーサルティだよ」
リオノーラは、吸い寄せられるように大きな肖像画の前に立った。
目の前には、何でも包み込むような優しい笑顔を浮かべた少し……いや、かなりふくよかな女性が描かれている。
てっきりゴッドウー公爵夫人のような美しいスラリとした女性を想像していたリオノーラは、目を丸くしながらも、ふくふくとした身体に過去の自分が思い出されて懐かしく感じ、逆に親近感が湧いた。
今はもう、リオノーラを「プクちゃん」と呼ぶ人はいない。
気の良い屈強な父の同僚は皆一様に瓦礫の下敷きになったことと、その後の環境の変化でリオノーラは周りの人間が驚く程……それこそ、名乗らないと同一人物だと気付いて貰えない程、痩せてしまったからだ。
絵だというのに、マーサルティの慈愛に満ちた眼差しは全てを許し、包み込むような安らぎを与えてくれる。
「面倒見の良い女性だった。我が家は、使用人に孤児を多く起用しているのだが、マーサルティは皆を可愛がっていたよ」
「母は女の子も育ててみたかった、といつも言ってたからな。きっと君も可愛がっていたに違いなかった」
どちらかと言うと取っつきにくいタイプのドバイリー親子が目を細めて話す様子から、心からマーサルティを慕っていたことが伺える。
「……はい、そうだったら嬉しいです」
もう叶うことはないけれど、リオノーラはマーサルティと会ってみたかった、と本心から強く思った。
「ところでディナンド、お前まで招待したつもりはないのだが仕事は良いのか?さては、一週間後と言っていたのは自分の都合だな?」
「……舅が妻に余計なことを言うかもしれませんから」
(……ん?)
ディナンドにリオノーラが視線を向けると、ディナンドは気まずそうにフイと視線を逸らす。どうやら、公爵の離れに行く日を自分の都合で決めたことは内緒にしていたようだ。
ただ、ディナンドがリオノーラを心配してついて来てくれたことは、明らかだった。
ディナンドが心配するようなことがなかったとしても、ドバイリー公爵と二人きりではかなり緊張しただろうし、上手く会話が続けられるとは思えない。
ディナンドはリオノーラと結婚してから家を何日も空けるような仕事はしていないが、毎日忙しくしていた。
その中、わざわざ時間を作ってくれたのだ。
リオノーラは、心配してくれるディナンドの気持ちが少しくすぐったく感じて、つい笑みが漏れる。
「余計なこととは何だ。……まぁ、いい。では中庭に向かおうか」
「はい」
マーサルティの肖像画にもう一度だけ目をやった。
変わらず凛々しく端正なドバイリー公爵と、その公爵にそっくりの、まだ背の低いディナンドの描かれた絵は、とても幸せそうな家族に見える。
(……あれ?)
ふと、背の低いディナンドをリオノーラは過去に見たことがあるような気がして、視線が止まる。
(……そんな訳ないか)
そもそも、リオノーラがアンジェニアに成り代わる前に見たことのある貴族は、ゴッドウー公爵夫人以外だと、領土を治めていた伯爵が鉱山の崩落事故後に馬車で何処かへ行くのを遠目に見た時位だ。
リオノーラはマーサルティにお辞儀をしてから、二人についていった。
***
「そうだ、忘れるところだった。これを君から、ゴッドウー公爵夫人に返しておいてくれないか?」
「……これは……?」
「ゴッドウー公爵夫人から、私宛に届いた手紙だ」
中庭に設けられたテーブルで美味しい昼食を頂いた後のティータイム中に、ふとドバイリー公爵は傍の使用人に何かを指示して持ってこさせた。
それらの手紙は、ざっと見たところ、十通以上はあるように見受けられた。書いた返事をリオノーラに渡すのではなく、手紙自体を返却するということは、ドバイリー公爵が明らかにゴッドウー公爵夫人を排除する姿勢であることを示している。
「……母は、公爵様に何を?」
リオノーラの問いに、ドバイリー公爵は肩を竦める。
「さぁな。妻がいた頃は開封したが、妻が亡くなってからは読んだことがない」
どうやら、何となく手紙の内容は予想がつくものの、リオノーラには話す気がないようだ。
丁寧で美しい字で認められた手紙は、手に取るだけでほのかに良い香りが漂ってきた。
あの、人を見下す姿しか見たことのないゴッドウー公爵夫人が気を遣いながら手配したということにリオノーラは驚愕した。
(そうか、手紙を送ってもなしのつぶてだから……ドバイリー公爵様は外へ出ないことで有名だし、ゴッドウー公爵夫人が自ら乗り込む訳にもいかない。だから、私にドバイリー公爵の状況を知らせろと命令したのね)
上質な紙の質感を指先に感じながら、リオノーラは中に何が書かれているのか気になって堪らない。
(やはり、マーサルティ様の毒殺はゴッドウー公爵家と何の関わり合いもないといったことが書かれているのかしら?それとも、頓挫しそうになったアンジェニア様とディナンド様のご結婚のこと?)
これを読めば、ゴッドウー公爵夫人が何を考えてリオノーラをドバイリーに送ったのかがわかるのかもしれない。
それがわかれば、リオノーラはここでのミッションをさっさと終わらせて、本当の家族に会えるのかもしれないのだ。
リオノーラは、今すぐ中身を確認したくなる気持ちと、他人のプライベートである手紙を勝手に盗み見るのは最低な行為だという気持ちに板挟みになりながら、結局、中を見たことがバレたら何をされるかわからない、という結論に至った。
「公爵様は母ともご面識がおありなのですか?」
手紙を盗み見ることは諦めたリオノーラは、こっそりとドバイリー公爵を通してゴッドウー公爵夫人の情報を集めようとする。
ドバイリー公爵は領土を出ないことで有名だが、マーサルティとゴッドウー公爵夫人は親友だから行き来をすることもあったのかもしれない。
ドバイリー公爵は、眉間にシワを寄せてため息を吐いた。
「……ああ、八年前の皇太子の誕生祭で王城に行った時、妻に紹介されて初めて会った。……今でも、あの時行かなければ良かったと日々後悔しているよ」
「……」
何があったのだろう、と思っても聞くことが出来ないでいるリオノーラに、ドバイリー公爵は語り出した。




