表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/36

19、抜け道

「街はどうだった?」

「とても活気があって、楽しかったです」


その晩、ディナンドは夕食に間に合わず、少し遅めに帰ってきた。

当初あれ程緊張していた食事なのに、ディナンドが食卓にいないのは大層退屈に感じられて、リオノーラは自分のその感情の変化に驚く。


ディナンドの帰りを待つリオノーラに対して、「待っていてくれたのか」と彼が見せる笑顔はやはり嬉しそうに見え、それがまたリオノーラには辛かった。


「遅くまで大変でしたね」

リオノーラが声を掛けると、

「今日は国境警備の現場まで行って来た。普段なら三日は滞在するのだが……」

ディナンドはそこで一度口を閉じて、リオノーラの額に口付けを落とす。彼の唇の温かさが離れていくのを寂しく感じながら、リオノーラは口を挟まずに聞く姿勢をとった。


「……大事なことを伝え忘れていたから、帰ってきた」

"大事なこと"と言われて、リオノーラの胸が押し潰されそうになる。

良いこと、悪いこと、どちらだろう、と思いながら、正体がバレたのかというひとつの可能性に、後退りそうな足をその場に必死で縫い付けた。


「夜に付き合わせて申し訳ないが、丁度良い。この屋敷から……この部屋から続く秘密の通路を君に伝えておかなければと思っていたんだ」

「……秘密の通路、ですか?」

リオノーラは、全く予想だにしていなかった話に目を丸くする。

「ここは国境に一番近い領土だからな。何か大事があった時にはここが砦となるし、逆に攻め込まれる恐れもある。その時、君はまずここから逃げ出さなければならない」

「……」


リオノーラは、何も発することが出来なかった。

今は戦時ではないこともあって、平民の自分は日々の暮らしにいっぱいいっぱいだった。それらの日々はもしかしたら、こうして常に国を守ってくれているドバイリー公爵家のような人達のお陰で、支えられ成り立っていたのかもしれない。


黙り込んだリオノーラに気付いて、ディナンドはその細い肩を抱く。

「大丈夫か?……怖くなったか?」

「……私、は……ゴッドウーから来ました」

リオノーラは、瞼を下ろした。

抜け道を聞いてしまえば、リオノーラはそれをゴッドウー公爵夫人に報告しなければならない。

どんな悪用をされるかわからないのに、それを伝えなければならない自分の立場が憎らしく、それをわかりきっているだろうディナンドが何故そんな大事な情報をリオノーラに告げるのかも理解出来なかった。


「勿論知っている。しかし、君は私の妻だ。教えなければむしろおかしいだろう?」

「けれど」

ディナンドは、リオノーラの顎に手をかけてゆっくり持ち上げ、唇に親指を這わした。

「……君に教えるのは、女性でも利用出来る三つの回廊だけ(・・)だ。安心していい」

「……」

そう言って、ディナンドは唇を合わせるだけのキスを落とす。

「君の靴を取ってこよう。歩きやすい靴を準備させていたんだ」

「ありがとうございます」

ディナンドの話ぶりからすると、抜け道はまだ幾つかあるのだろう。

けれども、それは険しいのか力がいるのか、リオノーラに教える気はないということだ。


ディナンドが、リオノーラに対して逃げ道を用意してくれたのを彼女は理解した。

リオノーラにはゴッドウー公爵夫人への報告義務があるが、それは彼女が知り得た情報に限る。


リオノーラが以前、トラウラにリオノーラかゴッドウー公爵夫人かを選ばずに済むようにしたのと同じで、ディナンドはリオノーラに抜け道を教え、かつそれがゴッドウー公爵夫人の耳に入ることを了承している。

リオノーラがそれを伝えることを心苦しく思わないように、他にも抜け道があることを示唆してまで。


(……何故、初めて会った筈のアンジェニアに、こんなに良くして下さるのだろう?)

自分が本物のアンジェニアではないとディナンドが知った時、彼は裏切り者と罵るのだろうか?

リオノーラはいずれくるであろうその時のことを想像してしまい、涙が溢れそうになる。

(私に……泣く権利なんてない)


ディナンドからどれだけ責められようと、自分の命と家族を守る為に彼を騙すことを選んだのは紛れもなく自分なのだ、とリオノーラは俯き歯を食い縛る。

ディナンドが「外は寒いかもしれないから、これを羽織るように」と、俯いたリオノーラの肩にブランケットをそっと掛ける。

「では、まずひとつ目、西側へ通じる回廊だ。途中で道を間違えると逆に危険だから、忘れないように必ず一ヶ月に一回は一緒に歩こう」

ディナンドが部屋の中に施された仕掛けの操作をリオノーラに説明し、教わった通りにリオノーラが手を動かせば、ガコン、と音がした。


ベッドの下に引いてあるラグマットを捲れば、床には収納のような扉があり、扉を引いて開ければそには人一人分が歩ける程の階段が続いている。

ディナンドは、ベッド脇にあるランタンを手に取り、リオノーラに手を差しのべた。

「さぁ、凄く暗いから足元に気を付けて。夜と昼に歩くのでは、全く道が違って見えるからな。実際に歩くのが一番早い」

「はい」


二人は夜の散歩に出掛けた。




***




「ここを右だ。よく見ればわかるが、この足元の紋様が微妙に違っているのがわかるか?これが目印となる」

「本当ですね。よく見なければ絶対にわかりませんが、蔦の向きが逆になっているのですね」

子供が抜け道を使うことも想定されているらしく、壁や岩に刻まれた模様に微妙な変化を持たせて、ドバイリーの者達が迷うことのないように工夫がされていた。

追っ手は走るだろうから、到底こんな小さな手掛かりに気付くことはないだろうと、リオノーラは納得する。


二人が結構な距離を歩くと、やがてそこにたどり着いた。

「……行き止まりに見えるのですが」

リオノーラが首を傾げながら言うと、ディナンドは悪戯に成功した子供のように笑った。

「ああ、行き止まりに見えるだろう?最後にこの仕掛けを動かせば、外に出られるんだ」

「成る程……」

ディナンドに教わりながらリオノーラが再び仕掛けを操作すると、二人は無事にドバイリー公爵家の西側の塀の外へと到着した。

「出たら、今度は外からこのレバーを引けば良い」

ディナンドが蔦に隠れていたレバーを引くと、再び壁が動いて回廊への道が閉ざされる。

「大分歩いたから疲れただろう?この先で少し休んでから、戻るとしようか」

「はい」


リオノーラがぐるりと辺りを見回すと、直ぐ近くに長い平屋の屋根が見えた。

「こちらには馬小屋があるのですね」

「ああ、そのまま馬に乗って行けるからな。東の回廊から出た先にもあるんだが……君は、馬に乗れるか?」

「いえ、やったことがありません」

アンジェニアは、運動が……というより、屋敷の外に出ることを極端に嫌う女性だ。だから、乗馬が出来る貴族女性も多いらしいがリオノーラは習わなかった。


「そうか。馬に乗れると何かと便利だ。では、今度私と一緒に乗ってみないか?」

「是非」

そんな会話を交わしながら、そう言えば、とリオノーラは懐に常に入れている薬の存在を思い出す。


実際のアンジェニアは病弱ではないが、タニアから始めに言われて毎日必ず薬の入った瓶を持ち歩いているのだ。

アンジェニアの病弱設定がもしドバイリーまで伝わっているのだとしたら、自分がこんなに長距離を歩いたにも関わらず発作が出ないのはおかしいと感じるのではないかと思われた。


ただ、自分は元気であるのに仮病を使えば、誘ってくれたディナンドは確実に気にするだろう。

慌てて医者を呼ぶかもしれない。

自分の仮病に医者が気付かなければ原因不明の病として騒ぎになってしまうかもしれないし、もし万が一にも医者が無能者と判断されでもしたら、リオノーラは居たたまれないだろう。


(……そんなことは出来ない……)

どちらにせよ、ディナンドや周りの人間を困らせることにしかならないのだ。



二百メートル程歩くと、人の手で植林された木々はなくなり、そこには小さな小屋と小さな原っぱが現れた。

「……可愛くて綺麗……」

名もない紫と白の小さな花がその原っぱ一面に咲いていて、月の光を受けてキラキラと輝いて見えた。

地面に広がるそれはまるで手にすることができる星々のようで、リオノーラは感嘆の声を漏らす。


「……母上も、この景色が好きだったことを思い出してな。きちんと咲いてくれていて良かった」

ディナンドは微笑み、リオノーラの手をひき一段上がった小屋に招き入れた。

それからしばらく二人は小屋のベンチに座って、自然が作り出す幻想的な風景をじっと眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ