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1、公爵夫人からの強制的なお願い

──ぽとり。


その女は、何も映さないような虚ろな瞳で、ワインに一滴、毒を垂らした。


ぽとり、ぽとり。


その虚ろな瞳から、つう、と一筋の涙が流れる。


(ごめんなさい、なんて言わない。そんなことを言う位なら、はじめからやらなければ良いだけだから)


女の脳裏に、偽りに塗り固められた、男との幸せな日々が甦る。


(貴方はいつも、怯える私に優しかった。そして、私はそんな貴方をいつの間にか……愛してしまった)


しかし一方でまた、女には愛する家族がいた。

それは、嘘偽りない家族であり、彼女が人生を捧げて、守ってきたものだ。


(だから、一人では逝かせない。それがせめてもの──)

家族とは二度と会えないけれども。

これから人殺しとなる自分にはもう、家族と一緒に幸せに暮らすという、そんな資格はない。


ぽとり。

女の頬から、そして毒の入った小瓶から。


最期の一滴が、滑り落ちた。




***




「ふーん。……まあまあかしら。磨けばなんとかなりそうね」

そう言われて、リオノーラは戸惑った。


そう扇で口元を隠しながら言った、誰かもわからない夫人は、リオノーラを頭のてっぺんから爪の先までじろじろと何度も見て、満更でもないように頷く。


「それは地毛よね?」

夫人に聞かれ、リオノーラは反射的に頷いた。

「は、はい……」

「良いわね。この髪も瞳も、娘の色にそっくりだわ」

「やっとお眼鏡にかないましたかね」

「ええ、この娘なら良いでしょう」


リオノーラの目の前で、本人の理解を置き去りにして、貴族らしき夫人が金品を男達に渡す。


「結構遠い街に住んでたんで、ここまで運ぶの大変だったんすよ」

「そうなんですよ、公爵夫人」

「……そう。それはお疲れ様」


夫人は傍で控えている執事らしき男に目配せをし、その男達に、更にお金を上乗せする。


リオノーラは、見たことも手にしたこともない金額が目の前で動くのを見て、呆然とすると共に恐怖を覚えた。


(公爵夫人……?どちらの、公爵夫人かしら……)

リオノーラの住む国で、公爵と呼ばれる家門は二つだ。

公爵家達の治める領土にリオノーラは住んでいないから、今まで一度も会ったことがないし、一生関わり合いになることもないと思っていた。



そもそも、リオノーラは半ば拉致されるようにして、馬車に乗せられやって来た。馬車の中では何かを警戒するかのようにカーテンがぴったりと閉められ、ずっと窓の外を見ることが出来なかった為に、連れて来られた場所が何処なのかもわからない。

馬車から降りる時は男達に目隠しをされて、降りた後は散々歩かされた。目隠しを外されると、目の前には貴族の格好をした、高慢な態度の女性が立っていた。


ただわかるのは、屋敷の一室に見えるリオノーラが通された部屋は、長年使われていないような埃っぽさがありながら、それが自宅の総面積よりも広そうなことと、埃を被ったままのいくつかの調度品も、自宅には到底置けないような高価そうな代物だと言うことだ。



(まだ仕事中だったのに……早く帰らなければ、お客様にもお店にも迷惑を掛けてしまう……)

リオノーラは、よく分からないまま連れて来られたことに対する危機感より、仕事中に起きた出来事に対しての焦燥感の方が強かった。

しかもリオノーラは仕事を掛け持ちしている為、配達の仕事の次は、飲み屋のホールスタッフの仕事も入っているのである。

更に、仕事と仕事の間には買い物を済ませて帰宅し、まだ幼い弟妹のご飯も準備する予定だった。



リオノーラの父親は、幼い双子の弟妹を母親が生んだ頃、鉱山の崩落事故により亡くなっていた。

仕事中に巻き込まれた事故だった為、きちんと調査が行われて、遺族にもそれなりの額の纏まったお金が入ったのだが、今度は母親が産後の肥立ちが悪く、心労も重なってそのまま寝たきりとなってしまったのだ。


弟妹が小さなうちは働けずに成長するまでリオノーラが近所の助けを得ながら学校に通いつつ面倒をみたが、弟妹が自分の身の回りのことが出来るようになる頃には、遺族に払われたお金も含め、貯蓄はすっかり底をついた。

その為、日々の生活費プラス母親の薬代を稼ぐためにリオノーラは三つの仕事を掛け持ちして毎日目まぐるしく働いていたのである。


そんな折に遭遇した出来事であった為に、リオノーラは早く戻りたくて堪らない。働き口からクビを言い渡されやしないだろうかと、想像しては頭を押さえた。



そんなこんなでリオノーラがどう公爵夫人へ切り出そうか一人悩んでいる間に、男達は部屋を出たらしい。残った公爵夫人は、美しい刺繍の施された真新しい手袋を脱いで執事に渡し、「嫌だわ、汚ならしいものに触れてしまったわ。どっちも(・・・・)始末しておいて」と冷たい表情で言った。


その台詞ひとつで、リオノーラは理解した。

目の前の公爵夫人は、単なる一人の街娘である自分を、如何様にも出来るのだと。



「……貴女に、相談があるのだけど」

にこり、とその公爵夫人は口角を上げて、リオノーラに話しかける。

けれどもその表情は笑顔とは程遠く、眼差しはとても冷たいものだった。

相談がある、と言いながらも、拒否することを許さないという威圧的な態度。


リオノーラは、縮こまりながら、「どういったご用件でしょう?」と聞いた。


「貴女には、私の娘の代わりに、とあるところへ嫁いで貰いたいのよ」

夫人は何でもないことのように言う。

「相手は……貴女でも知っているかしらね?喜びなさい、ディナンド・ドバイリーよ。イケメンで金持ちと有名でしょう?」


ディナンド・ドバイリー。

ドバイリー公爵家の後継者で、イケメンで有名なのと同時に無表情、無愛想、冷酷無比であることでも有名だ。


「私の娘の代わりに」という枕詞が付くと言うことは、目の前の公爵夫人は、ドバイリー公爵夫人ではなく、もうひとつの……ゴッドウー公爵家の夫人であると予想出来た。


単なる平民に依頼する内容ではない。必ず、裏がある。

……断ることは出来るのだろうか?

リオノーラの脳裏に、寝たきりの母親と、幼い弟妹の姿がちらついた。


(私が嫁いでしまったら……誰が家族の面倒をみるというの?)

リオノーラが断り文句を口にしようとした時、ゴッドウー公爵夫人は「ああ、そうそう」と再び扇で口元を隠す。


「残念だけど、この話は極秘事項だから、知ってしまった時点で貴女をそのままにしておくことは出来ないの。個人的には、断らない方をオススメするわ」

夫人は今度こそ、唯一見える目元を細めて笑った。

リオノーラは、戦慄する。

リオノーラが断れば、それは死を意味すると、遠回しに釘を刺されたのだ。……先程の、男達のように始末されたくなければ、と。


それでも、家族をそのままには出来ないとリオノーラは俯いて歯を食い縛る。

自分が戻らなければ、家族が路頭に迷うのは確実だ。

「……」

「貴女、お母様がご病気なんですって?」

公爵夫人の言葉に、リオノーラはパッと顔を上げた。

「それに、幼い弟と妹も貴女が育てているのですって?私の娘と殆ど年が同じなのに、本当に偉いわね」

全く偉いとは思っていなそうな口調で、淡々と夫人は続ける。

「貴女がこの話を引き受けてくれれば、お母様と子供達の面倒を見られるだけの人とお金は約束するわ。期間としては、そうね……最低一年半位かしら。長くても、三年位よ。どう?良い話だと思わない?」


リオノーラの瞳に、少しの希望と、大きな絶望が浮かんだ。

公爵夫人がリオノーラの家庭の事情や年齢を知っている時点で、はじめからリオノーラに選択権などありはしないのだ。


「……具体的に、私は何をすればよろしいのでしょうか?」

「あら、引き受けてくれるのね。助かるわ、ありがとう。貴女がこれからすることは、今日から私の娘……アンジェニアになることよ」

リオノーラの質問に気を良くしたらしい公爵夫人は、続けた。


「アンジェニアは今年十七歳。そして、ディナンドと婚約しているわ。来年十八歳を迎えたら、結婚よ。貴女には、今から一年間、みっちりと貴族としての教育を勉強して貰って、アンジェニアの代わりにドバイリー公爵家に嫁げば良いの」

「……それだけ、でしょうか?」

リオノーラは、仕事着のスカートをぎゅ、と握りしめて恐々と聞く。



この二つの公爵家は、犬猿の仲で有名だ。

昔から確執があったらしく、どちらの家門で死者が出れば、それは大抵もう片方の家門が絡んでいる、と噂される程に。


ただ、ここしばらくは、それぞれの家門に嫁いだ公爵夫人同士が元々姉妹のように仲良く育った親友同士の為、一時休戦状態になっている──と、元々男爵家に生まれて平民に嫁いだ、実家の隣に住む、噂好きのマルニカ夫人が教えてくれた。



「敏い()は好きよ。ただ、賢い()は嫌いなの。言っている意味、わかるかしら?」

公爵夫人にそう言われて、リオノーラは震えながら頷いた。


ようは、ただ言われたことだけを行う傀儡になれ、と言われているのだ。

考えてはいけない。ただ、命令に忠実に従えば良いのだと。


「一年後、貴女が使えそうなら、またその時に次の指示をするわ」

「……はい」

リオノーラはそう言って頷く以外に、何も出来なかった。

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