17、食い違い
マーリネッラのこともあり、その日の夜は歓迎会の後だというのにどことなく暗い雰囲気が立ち込めていた。
「ドバイリーの一員であった者が、君を危険な目に遭わせて本当に申し訳なかった」
ディナンドの謝罪に、リオノーラは首を振る。
ディナンドに落ち度があるとすれば、マーリネッラが自分に恋心を抱いていることに気付かなかったこと位だろうか?それとも、マーリネッラの思い込みが激しいという性格に気付かなかったこと?
どちらにしても、ディナンドが微笑めば大抵の女性は頬を赤らめてしまうだろうし、使用人の性格を全て把握しておけ、というのはディナンドの立場では難しいだろう。
マーリネッラに問題があるならば、メイドを纏めるハウスキーパーがしっかりと監督して人事の際に気を付けるべきなのだ。
今回、ハウスキーパーがアンジェニアにマーリネッラをつけたのは、マーリネッラの行動を見越して付けたのか、それともマーリネッラに現実を見させて諦めさせようとしたのか。どちらにせよ、残念な結果となってしまった。
最終的にリオノーラに怪我はなかったのだし、そこまで重たい罪には問われずに済むだろう。後は、自分のしたことを反省し、失恋の傷を癒してくれるのを待つばかりだ。
リオノーラはそんなことをするりと話してマーリネッラの話題はおしまいにしようとしたのだが、ディナンドが首を傾げて聞いてきた。
「足首ももう痛くはありませんし、大丈夫ですよ」
「……それでは、君の心の傷は?」
「え?」
「君だって、怪我は軽かったとしても心に傷を負っただろう。本当に大丈夫なのか?」
「……私の心、ですか?」
リオノーラは、ふと涙腺が緩みそうになった。
一年前までは、近所の人や学校の先生、職場の仲間、そして母親がいつもリオノーラを心配してくれた。だからこそ、「大丈夫です!」と言いながら懸命に日々を過ごすことが出来たのだ。
いつぶりに、自分を心配する声を掛けて貰えただろう。
……けれども。
(自分は、そんなディナンド様を騙しているだけの女に過ぎないのに……)
逆に、その気遣いが今は申し訳なくて泣けてくる。
本当は、目の前の人に事情を全て話して助けて貰いたい。けれども、それでは一生家族に会えなくなるかもしれない。
そもそも、彼が妻と認識しているのは自分ではなく、アンジェニアなのだから……投獄されたマーリネッラに自分の姿が重なり、ぶるりと震えた。
ふる、と首を振って、「私は大丈夫です。それより……」と話題を移した。
「ディナンド様に確認させて頂きたいことがあるのですが……マーリネッラとの会話でディナンド様がおっしゃっていたことは本当ですか?」
ずっと気になっていたことを、リオノーラは聞いた。
「どの会話のことだ?」
ディナンドは、些か緊張した様子でリオノーラに聞き返す。
「マーサルティ様は、ゴッドウー公爵家との縁談話を断りに行ったのですか?……勧めたのではなく?」
"ゴッドウーに断りを入れに行って"と、確かにディナンドは言った。
しかし、リオノーラはゴッドウー公爵夫人から"アンジェニアとディナンドの婚約話を、ドバイリー公爵夫人が持ち掛けてきた"と真逆の説明を受けたのだ。
「ああ、その話か……なら本当だ。母上は私の為に縁談を断りに行って……そして、しばらくしてから還らぬ人となった」
「そうでしたか。……すみません、母から受けた説明と違っていたもので」
ディナンドは、自分がそんなことをマーサルティに頼まなければ、毒殺事件は起きなかったのではないかと自責の念にかられたように顔色を暗くした。
悪いのはどう考えても毒を盛った人物、もしくはそうするように仕向けた人物だとわかっているのに、恐らく母親を亡くしてから何度も同じように自分を責めたのだろう。
塞がり掛けていた傷口をまた抉じ開けてしまったのだとリオノーラは申し訳ない気持ちになった。
(それにしても……)
ディナンドには嘘をつく理由がない。
初恋云々の話は仮に断る為の嘘だったとしても、ゴッドウー家が先に断っていたのならば、そもそもマーサルティがゴッドウーを訪れることもなかっただろう。
しかし、嘘をつく理由がないのはゴッドウー公爵夫人も同じであるように感じた。マーサルティが亡くなって何か得をするとも思えない。いや、リオノーラが知らないだけで、何かの利権が絡んでいたりするのだろうか?
(……何故、ゴッドウー公爵夫人は真逆の説明を私にしたのだろう?)
もし仮に、真実が「ディナンドとアンジェニアの婚約話をマーサルティが断りにきた後、亡くなった」のであれば、リオノーラにその事実を隠す必要はない。
必要はないが……。
(もし、ゴッドウー側が婚姻を結びたがっていたという事実があったとしたら、それを邪魔したマーサルティ様を殺す動機にはなり得るのかな?)
そもそも、ゴッドウー公爵夫人が自分達には殺す動機がないというその根拠こそ、マーサルティが婚約話を持ってきたのに亡くなってしまった為、破談になりそうだったという話から、ゴッドウーにとってマーサルティが死ぬのは何ら旨味がないということだった筈だ。
しかも、マーサルティとゴッドウー公爵夫人は親友だった。
同じ公爵夫人という立場であるのに親友を殺してまで得たいものなんて、あるのだろうか?
同じ公爵家といっても、ゴッドウーが経済に力があるのに対してドバイリーは軍司に力がある家系だ。経済力的にはゴッドウーの方が軍配があがる筈であるから、欲しい物をドバイリーが手に入れられるならば、ゴッドウーの手にも入りそうであるのに。
ディナンドの話が真実だとすれば、そもそも何故ゴッドウー公爵家はドバイリー公爵家と婚姻を結びたかったのか?
両家を結び付けるという王家の命に逆らえなかった?いや、もし逆らえないのであれば、そもそもここまで拗れるずっと前から王家がさっさと命令を下していたに違いない。
もっと別の何かがある気がするが、さっぱりリオノーラには見当がつかなかった。
(公爵様なら、何かご存知かもしれない……)
そう考えて、リオノーラは気付いた。
それが事実ならば、今度はドバイリー公爵の発言に、もう一つの食い違いが生じることに。
(……何故ドバイリー公爵は、あんな言葉を口にしたのかしら?)
ゴッドウー公爵夫人が一番始めにリオノーラに出した指令は、ドバイリー公爵について探ること。
ゴッドウー公爵夫人は、何が目的でその指示をしたのだろうか?
(私がこの屋敷にいる時間は、短くて半年、長くて二年……)
「……、ったか?」
「え?」
リオノーラは、ディナンドの声に顔を上げた。
ディナンドはリオノーラの様子に苦笑しつつ、会話を続ける。
「すっかり手が止まっている。すまない、そこまで考えこませるとは思わなかった」
「いいえ、私の方こそ、呆けてしまいすみません」
二人で食事をしているにも関わらず、リオノーラが黙り込んで物思いに耽ってもディナンドは不快な様子も怒る様子も見せなかった。
(やはり、恐ろしい人には見えない……)
「申し訳ないが、明日から私は滞っていた仕事を片付けなければならないのだが、君は好きなところに連れて行ってあげたいと思っている。何処か行きたいところはあるか?」
ディナンドに問われて、リオノーラは歓喜した。
他国との境界にあるドバイリー公爵領にはいくつもの景勝地があり、ディナンドが聞いているのはそれらのことを指していることは理解していた。
けれども、リオノーラは「公爵様の離れに行ってみたいです」と即答する。
戸惑う様子も見せず、「では、明日の朝一番に父上に確認しよう」と笑って言った。
食事が終わり、夜。
リオノーラが夫婦の寝室に向かうと、まるで昨日を再現したかのように、ディナンドはバルコニーで本を読んでいた。
「今日は疲れただろう」
そう聞かれて、リオノーラは反射的に「大丈夫です」と答えてしまった。
リオノーラの返事に、一瞬固まったディナンドを不思議に思っていると、ディナンドはそっと手を伸ばしてリオノーラの頬に自分の掌を添えた。
「……大丈夫、なら、今日、君に触れることを許して貰えるか?」
(……どういう……)
意味だろう、と思った時。リオノーラの視界の隅に夫婦のベッドが入ってきた。
今更、「やっぱり疲れた」なんて言うことも出来ず、リオノーラはこくりと頷く。
すると、ディナンドの整った顔が徐々に近付き、リオノーラに口付けを落とした。
──その日、リオノーラはアンジェニアとして、心身共にディナンドの妻となった。