16、犯人と投獄
「私の想い人が、何故お前だと思った?」
逆にディナンドに問われ、マーリネッラは戸惑いながらもその根拠を口にした。
「……私は父を亡くしておりますし……普段は見せない笑顔を私にはお見せになって下さいましたよね?それに、よく会いに来て下さいましたし……開催されるパーティーにほぼ参加されないディナンド様が身分違いとおっしゃったのであれば、相手は貴族でない筈ですから……」
それを聞いたディナンドは、ため息をつく。
「この屋敷に働く者であれば、父親を亡くしていても珍しくはないとは思わないのか?私が会いに行ったのは、お前ではなく母上だ。お前がその場にいてもいなくても関係ない。私が使用人に対して愛想を振り撒かないと、母上に怒られるから、母上の前では笑うようにしていたがな。他には?」
「……いえ……、けれども、アンジェニア様は妻に迎えたくないと……おっしゃっていたではないですか……!」
「ああ」
「だから、だから私は、アンジェニア様がさっさとゴッドウーに帰れば良いと思って……、ディナンド様の為に……」
「他人のせいにするな」
ディナンドに冷たく突き放されて、マーリネッラはその場に崩れ落ちた。
「自分の欲望を叶える為に、人の為であると言って凶行に及ぶ人間はドバイリーには不要だ。……やっとわかった、母上がお前に目を掛けていた……いや、傍で見守って心配していた理由が」
ディナンドは手で顔を覆って、天井を仰いだ。
「私、私はただ……ディナンド様をお慕いして……」
「迷惑だ」
「ドバイリーに、アンジェニア様は……その女は受け入れられないと……」
「お前、歓迎会での私の言葉を聞かなかったのか?私は、彼女に対して失礼のないように、と命じた筈だが」
「……何故ですか?ゴッドウーの女に何故……!!」
涙を流し入れてすがる美しい女性。その姿はディナンドの心を微塵も動かすことはなかったようだ。
「……それは、お前に教えないといけないことなのか?」
「え?」
「お前は、その理由を知らなければ私の言葉に従えないのか?私の……主人である者の言葉を、信じられないのか?」
「いえ、決してそんなことは……!!」
「もう良い」
ディナンドは、フラミルダとトラウラに「この女を解雇するように執事に伝えろ。そして処罰が確定するまで、牢に入れておくよう騎士団長に伝えておけ」と命じた。
***
マーリネッラが部屋から連れ出され、嵐が去った後のような静けさがアンジェニアの部屋を包む。
そして最初の沈黙を破ったのは、トラウラだった。
「アンジェニア様……あの、庇って下さり、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げるトラウラに、リオノーラは心の寂しさを隠して「貴女が罪に問われなくて良かったわ」と答える。
ただ、今回のことで、トラウラは公爵夫人の手先であり、リオノーラをアンジェニアではないとわかっていながら知らない振りを続けていたことが浮き彫りになった。
トラウラを味方に出来れば、と僅かな期待を抱えていたリオノーラはどうしても肩を落としてしまう。
ゴッドウー公爵夫人に弱味を握られているであろうトラウラを味方に誘ったとしても、今後トラウラを信じきることは難しいし、どちらか片方を裏切るような選択をさせたくないと思ってしまう。
(家族の為にはディナンド様を裏切るしかないのだけれど……)
まだ、二日。ディナンドと出会ってたったの二日なのに、この人を裏切りたくない、と考えてしまう自分がいるのは確かだった。
(いっそのこと、公爵夫人のように、冷酷で……暴力をふるってくる人であれば、こんな苦しみは感じなかったのかもしれない)
だから、トラウラのことは逆にわかって良かったと思おうと努力した。必要以上に優しくも冷たくもせず、あくまでお互いに公爵夫人の命令に従うのが何の摩擦も起きずに済むのだ。ただ、今回庇ったことをトラウラが勝手に恩に着てくれるなら、それに越したことはないというだけの話で。
「アンジェニア様が、マーリネッラを疑ったのは何故ですか?」
今度はフラミルダに聞かれ、リオノーラはうーん、と考える。
「……マーリネッラが、今日着ていたドレスに試着段階から何かと反対して他のドレスを選ばせようとしていたこと、がきっかけかしら」
「どういう意味ですか?」
リオノーラは説明を続ける。
「私もトラウラもフラミルダも歓迎会にぴったりだと感じたドレスなのに、マーリネッラだけはそのドレスに色々理由をつけて、他のドレスを着させようとしていたでしょう?その時、私はマーリネッラはそのドレスを私に着せたくないのかな、と思ったのよ」
「そしたら直ぐに、あの事件が起こった訳ですね」
「そう。その時も、他のドレスは選べるようになっていたし、やっぱりマーリネッラだけは他のドレスを勧めた。……私には似合うかもしれないけれど、ディナンド様と並ぶには可愛すぎて浮くようなドレスをね」
「何故その時、おっしゃらなかったのですか?」
「確信が持てなかったのと、理由がわからなかったの。だから、ドレスを直したらどう出るのだろうと思っていたら……」
「マーリネッラは、むしろ修繕に回っていたじゃないですか」
リオノーラは、複雑そうな顔をして首を振った。
「……いいえ。マーリネッラが直したところだけは、糸が甘くて直ぐにまた破けるような状態になっていたの」
「……そんな」
「流石に全部を直す時間はないから、部分的にだけどかなり頑丈に生地を縫い付けておいたのよ」
「そうだったんですね!」
生花を縫い付けたのは、マーリネッラの視線も縫い目から逸らす意味合いが強かった。
歓迎会でドレスをさりげなく踏んで破かせ、恥をかかせる程度の嫌がらせをするつもりだと思っていたから、まさか階段から落とされることは予想外で。
しかも、自分が手を伸ばしてドレスを掴み、"助けようとしたがドレスが破けた"と装うとは思わなかった。
「……すみません、私が始めからアンジェニア様に申し上げていれば。マーリネッラがディナンド様に想いを寄せているのは、大抵のメイドは知っていたのです。だから、何故アンジェニア様に笑顔を向けるのか、ずっと……気味悪いな、とは思っていて……」
フラミルダが俯き、懺悔した。
でも、その時は言えなかったのだろう。アンジェニアはドバイリー公爵家からすれば、天敵であるゴッドウーから来た女なのだから。
「いいのよ。私も、始めから違和感を感じていたのだからもっとしっかり考えれば良かったのだわ」
「え?」
「初めてマーリネッラと会った時、マーリネッラが私のことを"ディナンド様のパートナー"と言ったのよ。普通、"奥様"と言うのではないかと思って、引っ掛かったの。でも、人の表現なんて様々だし、ドバイリー公爵家ではそういうのものなのかと思ったのだけど」
「……はい」
「トラウラのことで、貴女達が聞けないならディナンド様や公爵様に私から聞いてみると言った時、明らかにマーリネッラは一瞬怒りの反応を見せた。その時は、単に貴女達の能力が低いと私が言った、と勘違いされたのかしらと思ったわ。ただ、ディナンド様と私が話すのが嫌だったのね」
思えば、ディナンドが昨夜一緒に寝ようとリオノーラに言った時は動揺して手元を狂わせ音を立てていた。
好きな人とその妻を視界に入れなければならないということは、どれだけ苦痛を伴ったのだろうとアンジェニアはぼんやりと考えた。