12、お酒と語らい
「今日はお疲れ様」
「ディナンド様も、お忙しいところわざわざお出迎えありがとうございました」
「いや、こんな田舎の知らない土地まで来て、気が張っただろう」
夫婦の寝室に入ると、ディナンドはバルコニーで夜風に当たりながら、ワインを嗜みつつ本を読んでいたようだった。リオノーラがノックをした上で寝室に入室すると、パタン、と本を閉じて立ち上がり、部屋の中に入って笑顔を見せる。
(本当に、何故この方が鉄面皮だとか冷徹無比だとか言われるのかな?)
今日だけで一体何回の笑顔を見せてくれたのだろう、とディナンドを見てリオノーラがぼんやりと考えていると、
「君も飲むか?」
ディナンドが手にしたワインを持ち上げ、リオノーラに見せる。
「ありがとうございます、頂きます」
「君と一緒に飲むのが夢だったんだ」
「……そうでしたか」
ご機嫌そうに言うディナンドに、リオノーラは罪悪感を覚えた。
やはり、ディナンドはアンジェニアに好意を抱いているようだ。もしかしたら、アンジェニアの気付かないところで、例えば通りすがった時に一目惚れされていたり、直接の面識はなくても遠目から見られていたのかもしれない、とリオノーラは推理した。
申し訳なさでチクチク痛む胸に蓋をし、リオノーラは曖昧に笑いながらディナンドの差し出したワイングラスを受け取る。この国では男女ともに十六歳からお酒を嗜めると法律で定められているが、お酒はとても高価なもので平民が簡単にいつでも飲めるようなものではなかった。
アンジェニアは、量は飲めないがお酒が好きだということでリオノーラも飲むようになったが、正直あまり得意ではない。ただ、アンジェニアのお酒好きという情報がドバイリー公爵家に渡っていたら怪しまれるので付き合うだけだ。
二人で室内のテーブルを挟んで椅子に座り、乾杯をした。
「いただきます」
「ああ」
一口飲むと、口の中にハチミツのような味が広がった。今まで飲んだことのないような、ジュースのような味わいにリオノーラは驚く。
「どうだ?これなら美味しいと思わないか?」
「……はい、凄く、美味しいです」
それはリオノーラの本心だった。
「飲みやすいが、飲み過ぎると酔いが回って明日に差し障る。今日は一杯にしておこう」
「はい」
本当にこれは、自分の苦手なお酒なのだろうかと思いながらも、飲み口の良いそれをリオノーラはぐいぐいと飲んでしまった。
──そして十分後。
顔を朱に染め、ふわふわとした心地の見事な酔っ払いがそこに仕上がっていた。
隣でディナンドが「……こんなに弱いとは……!」と頭を抱えているが、当の本人は上機嫌な様子でニコニコしたままおしゃべりが止まらない様子だ。
リオノーラがお酒を口にするのはいつも味見程度で、所謂アンジェニアの嗜好を知るためだけのものだった。その為、酔っ払うまで飲んだことはないし、酔っ払うと自分がどうなるのかもわかっていなかった。
笑い上戸でおしゃべりになる、というのは、リオノーラにとって今回は吉と出た。
ほろ酔いのリオノーラは、ディナンド相手にするすると会話を進め、その本心を吐露する。
「ディナンド様、明日お会いするドバイリー公爵様は、どんな方ですか?」
「父のことか?……以前は、どちらかというと情に流されず、公爵家を守る為に粛々と毎日仕事を真面目にこなすような人間だったらしいが、それを母が変えて、非常に人間らしい優しさを持つ人になったそうだ。見た目は私にそっくりだとよく言われる。……まぁ、私がそっくり、というのが正解だが」
「じゃあ、凄く格好良いってことですね」
リオノーラはそう言って、ディナンドにふんわり笑い掛けた。
「……っ、君がそう感じてくれるなら、嬉しいが」
照れ隠しなのか、ディナンドはワインを一気に煽る。
酔いが顔に出ないディナンドの顔が、心なしか赤くなっているのに気付く者は、この場にはいなかった。
「ドバイリー公爵夫人はどんな方だったのですか?」
「包容力のある人だった。人を疑うことを知らない性格で、いつも周りを笑顔にしていたよ。政略結婚で父と一緒になったとは思えない程に、父を大事にしていたから、いつしか父も母を深く愛するようになったらしい」
母を懐かしみながら話すディナンドの表情はとても穏やかで、家族がとても良い関係性を築けていたことがうかがえた。同じ公爵家とは言っても、ゴッドウーの家族とは対照的なようだ。
「そうなんですね。……公爵夫人にも、お会いしてみたかったです」
しんみりと言ったリオノーラに、
「そうだな。……母は、私の大切な人を早く見たい、といつも言っていたから……私も君に会って貰いたかったよ」
とディナンドも続けた。
「肖像画とかはございますか?」
「全て父の離れにある。落ち着いたら、一緒に見に行こうか」
「はい、是非。……けれども、私はゴッドウーから来たので、ドバイリー公爵様から顔を合わせるのも嫌がられているのではないかと思っているのですが……」
リオノーラは、自分の不安を正直に漏らした。
「そうだな……ドバイリーとゴッドウーの亀裂はそう簡単には修復出来ないだろう。だが、父はきちんと君の内面を見てくれると、私は信じている」
ディナンドがそう答えると、嬉しそうにリオノーラは安堵した表情を浮かべ、眠たそうに落ちてくる瞼を持ち上げながら「ありがとうございます」と言った。
「疲れているところ、長く話してしまってすまなかった。次は、君の適量を見ながらワインを注ぐことにしよう。今日はもう寝ようか」
「は、い……」
リオノーラは半分夢の中で微睡みながら、自分の身体がふわり、と浮いたような気持ち良さを感じた。
ゆらゆらゆら、と雲に包まれているような柔らかく優しい、それでいてしっかりとした安定感のあるそれにリオノーラが身を任せていると、そっと身体が寝かされた感覚がして一度覚醒する。
自分の身体はディナンドによって、ベッドまで運ばれていた。
「……ディナンド様、すみません……」
「いや、私の落ち度だから、気にしないで良い。そもそも、私は……初日から君がこんなに無防備な姿を私に見せてくれるのが、嬉しくて堪らないんだ」
「……は、い……」
「明日は遅めに起こそう。良い夢を」
「……おやすみ、なさい、ませ……」
すぅ、すぅ、とリオノーラが寝息をたて始めたのを確認すると、ディナンドはリオノーラに掛布をそっと掛けて、頬を撫でながら呟いた。
「……おやすみ、…………」
***
翌朝。
リオノーラは、部屋の外からざわついている声が聞こえて、目が覚めた。
「……」
上体を起こして周りを見たが、騒がしかったのはアンジェニアの部屋から聞こえてきた話し声であり、一人二人の会話であればほぼ問題ないのに、五人位が話しながらバタバタと右に左に駆ける音まで聞こえていた。
ゴッドウー公爵家のアンジェニアの部屋は外の音が全く聞こえない程重厚な作りだったが、ドバイリー公爵家はそうではないらしい。
アンジェニアのドレスをあんなに揃える位の財力があるなら、眠りの妨げにならないような防音の聞いた部屋にも出来そうだが……と考えて、ベッド脇にアンジェニアの部屋にはなかった刀掛けが設置されているのに気付いた。
(……そうか、襲撃に備える為か……)
刀掛けには剣はなく、ディナンドの姿は見当たらない。
(昨日は結局、酔っ払ってそのまま寝てしまった……)
ただ、そのせいか二人きりだと言うのに晩餐よりも緊張せずにいられた。
昨日の記憶がないということはなく、しっかりとディナンドとの会話をリオノーラは覚えていた。
今のドバイリー公爵の話は出来なかったけれども、少しだけドバイリー公爵家の家族の関係性がわかって良かったと思う。
ただその前に……今回の失態をどう挽回しよう、と頭を悩ませながらも、リオノーラは歓迎会の準備の為にドレスのある自室へ移動した。
「一体誰がこんなことを……!!」
「仕方ありません。今すぐ、他のドレスを選んで頂きましょう」
「けれども、もうディナンド様の服も邸宅の飾り付けも──」
「何事なの?」
「アンジェニア様!」
蒼白になったトラウラと難しい顔をしたマーリネッラ、そして憤怒した様子のフラミルダがその部屋の主人の登場にバッと振り返る。
(……ああ、成る程)
三人が騒いでいた理由がわかった。
昨日リオノーラが選んだ藍色の美しいドレスが、鋭利なもので切り裂かれていたのだ。