11、初めての晩餐
「アンジェニア様、お食事の準備が整いました」
「ありがとう、今行くわ」
ドレスに合った宝飾品や小物類を選んでいるうち、やがて日が暮れ夕餉に呼ばれた。
(いよいよ公爵様との対面かしら……)
ディナンドとアンジェニアはほぼ面識がないらしいが、アンジェニアが小さな頃に王族の催しで首都に行った際、ドバイリー公爵とは顔を合わせたことがあるらしい。
ただ、アンジェニアはその時の会話をほぼ忘れたとのことで、参考になるような話は全く聞けていなかった。
(お久しぶりです、で大丈夫かな……)
リオノーラが不安になりながらダイニングに向かうと、そこには既にディナンドが腰を下ろしていた。
公爵の姿は見えないので、一番遅くなった訳ではないと安堵する。
「そこが君の席だ。……少しは休めたか?」
「ディナンド様、お待たせ致しました。はい、ゆっくりさせて頂きました」
本当はドレス選びに続いて採寸なども始まり、始めにお茶をしてから全くゆっくりしていないのだが、リオノーラは当たり障りなく答える。
ディナンドから指示されたのはディナンドの向かいの席で、使用人が引いた椅子に座ったリオノーラは、公爵が座ると思われる誕生日席に、食器類がセッティングされていないことを不思議に思って首を傾げた。
「では頂こうか」
ディナンドの言葉に驚いたリオノーラは、「あの、公爵様は……」と思わず聞いてしまう。
「ああ、父はこの屋敷ではく、離れに住んでいる。明日の歓迎会には顔を出すから、気にしないでいい」
「はい」
気にしないでいい、と言われても気になってしまい、リオノーラは運ばれてくる食事になかなか集中出来なかった。
ただ、ディナンドが何故リオノーラに良くしてくれるのかはわからないが、公爵の気持ちを考えればこの場にいないのも理解出来る、とリオノーラは思う。
(自分の妻を毒殺した家門の娘なんて、本来なら顔も見たくないよね……)
自分が今食べている物の中に毒が混入されていたら、と考えてしまい、油断すると手が恐怖で震えてくる。ナイフやフォークが音を立てないように気を付けていると、全ての食具が銀製であることに気付いた。
(……私が、安心して食べられるように……?)
それに気付くと、リオノーラは食事の味がふわりと口内に広がるのを感じた。
「……美味しい……」
ゴッドウー公爵家でも貴族が食べる食材には触れてきたが、マナーの練習が優先で味わって食べるという状況ではなかった。
また、どんなに美味しいものを食べていても、母や双子はきちんと食べられているだろうかと気になり味わうという感覚がなかった。
「口に合ったのなら良かった。確か君は牛より豚の方が好きだったよな」
「はい」
そう答えながら、アンジェニアとディナンドは面識がない筈なのに、何故そんなことまで知っているのだろう?とリオノーラは少し警戒する。
それは、ドバイリー公爵家もゴッドウー公爵家に内通者を忍ばせていることを示唆するからだ。
アンジェニアは豚より牛、むしろガチョウ派だったのであまり優れているとは言い難いが。ただ、アンジェニアではなくリオノーラは牛より豚派なので、相手が間違えたのをいいことに便乗してしまった。
(皆……元気かな……)
こんな豪華な食事を前にしたら、双子は目をキラキラ輝かせてがっつくだろう。口いっぱいに頬張って、美味しい美味しいと言いながら小さな手を伸ばすに違いない。
目に涙が溢れそうになってきたので、こみ上げてくる感情を抑えながら瞼をぐっと閉じてそれをやり過ごす。
デザートまで美味しく頂くと、ディナンドが「明日はランチを兼ねて簡単な歓迎会を行う予定だが、体調は大丈夫か?」と聞いてきた。リオノーラが「はい」と答えると、ディナンドはふわりと笑って、「では、今日から一緒に寝よう」と言った。
ガシャン!
「大変失礼致しました」
リオノーラがえ?、と口にしたと同時に、偶々マーリネッラがティーポットを落してくれて、そちらをチラリと見たディナンドには自分の間抜けな顔を見られずに済んだとホッとする。
(しょ、しょしょ初夜ということ……!?)
リオノーラは瞬間湯沸かし器にように真っ赤になりつつ、ガチガチに固まりながら裏返った声で「はい」と答えた。
(駄目、アンジェニア様ならきっとこんなに動揺しないのに……!平常心でいないと、おかしいと気付かれてしまう……!!)
嫁ぐのであるから覚悟はしていたのに、まさかそんなことを食事の場でディナンドからさらりと言われるとは思わず、リオノーラは羞恥心で半泣きになりつつ平静を保とうとした。
そんなリオノーラの様子を見て、
「今日は手出ししないから、安心していい」
とディナンドは吹き出しつつ笑う。
なんだ、と力の入った肩を落とし、胸に手を当て心が緩んだリオノーラを見て、ディナンドは口元を覆いながらそっぽを向く。
「……ディナンド様、まさかからかって」
「そんなつもりはない。というか、なかった」
被せ気味に慌ててディナンドが弁明し、一度無言で見つめあってから、二人は声を上げて笑った。
アンジェニアであれば、扇で口元を隠さなければ大きな口を開けて笑えない。そうはわかっていても、心から笑うこと自体が久しぶりで、楽しくなってしまったリオノーラはなかなか止めることが出来ないでいた。
***
(もっと気を引き締めなくては……)
リオノーラは、風呂上がりの髪をトラウラに優しくタオルで拭って貰いながら、鏡の中の自分を見てキュ、と口を引き結んだ。
ディナンドが思っていたよりずっと優しくて、ついアンジェニアの演技を忘れて地が出てしまいそうになるが、ディナンドにバレてしまえばリオノーラには破滅しかないのだ。
(でも、せめて家族の無事位は確かめたい……)
家族と連絡を直接取れずに、一年経過した。
リオノーラは、初めてアンジェニアに会った日の公爵夫人の「家族は無事」という言葉に縋ってここまでやってきたが、公爵夫人の監視から少しは離れたことだろうし、いい加減自分が生きていることを家族に知らせたいと願っていた。
そうでなければ、牢獄しか待ち構えていないこの立場を頑張って維持するだけの気力が続かないと。
家族を探すことを、ドバイリー側には当然頼めない。そして、公爵夫人が禁止していることをするのだから、ドバイリー公爵家に潜んでいるだろう内通者にも気を付けなくてはならない。
(誰か、中立の人を……金品だけで動いてくれる人を見つけなければ)
「アンジェニア様、難しいお顔をされていますが、夕食時に何かあったのですか?」
トラウラに言われて、ハッと現実に引き戻される。
リオノーラは微笑みながら、「いいえ、何もなかったわ」と答えた。
「ただ、明日のドバイリー公爵との対面の時のご挨拶について考えていただけよ」
それは事実だ。
ゴッドウー公爵夫人から一番初めに受けた命令が、ドバイリー公爵について知ったことを全て報告するように、というものなのだ。それを、一ヶ月後の最初の報告であげなければならない。
出来る限り情報を吸い取る為には、ドバイリー公爵本人の覚えを目出度くするしかないのだ。
会う回数があれば、必然的に情報も増える。
ただ、ドバイリー公爵が公爵家の邸宅にいないことはリオノーラにとって想定外であった。
ドバイリー公爵家に勤める者であれば誰もがその事実を知っているだろうから、恐らくドバイリー公爵が住んでいる離れの方にはゴッドウー公爵家の手の者がいないということだ。
(ゴッドウー公爵夫人は、ドバイリー公爵の何が知りたいのだろう)
ドバイリー公爵の現在の状況を報告しろ、と言われただけで、細かな指示までは受けていない。
ともかく、ディナンドは何か裏があるにせよ、少なくとも表向きは今のところとても丁重にリオノーラをもてなしてくれている。だが、ドバイリー公爵までそうだとは限らない。一度嫌われれば、離れにずっと引っ込まれて収穫ゼロということも十分に考えられるのだから、妻殺しの家門と言うレッテルによるマイナススタートを、どうプラスにしていけるかが今後の課題になる。
「いつも通りにされていれば、十分ですよ!」
「ふふ、ありがとうトラウラ。今日はもう休むわね」
髪をしっかり乾かして貰ったところでリオノーラは何度か深呼吸し、夫婦の寝室へと続く扉の前に立った。