10、公爵家のメイド達
「では私はこれで一度失礼する。また夕食時に」
ディナンドは、風の悪戯でリオノーラの口元にかかった髪をするりと耳に掛けると、部屋を後にした。
ディナンドの指先が掠めた頬を押さえながら、リオノーラはドッドッドッと速くなった鼓動を何とか宥めようとする。
(え……?え?え?今の何……っっ)
男性に免疫のないリオノーラは、顔が真っ赤に染まるのを抑えられずにいた。温度の上がった頬に、冷たい風が気持ち良く感じる。
その時、荷物を片付けていたトラウラが室内から声を掛けてきた。
「アンジェニア様、ご覧下さい。凄いドレスが並んでますよ」
「……そうなの?」
好きなドレスを選べと言われたことを思い出したリオノーラは、トラウラが覗き込んでいるウォークインクローゼットの中を見た。
「えっ……」
そこには、女性用の可愛らしいドレスからゴージャスなドレス、そしてシックで落ち着いたドレスと様々なデザインのカラーバリエーションに富んだドレスが並んでいる。ドレスの下にはそれらのドレスに似合う靴が、そして上には帽子や小物類が並んでいた。
ゴッドウーから持参してきたドレスが一張羅になるだろうと言われていたので、これもまた予想外であり、リオノーラは目をしばたかせた。
「もしかして……」
トラウラが呟き、化粧台横にある鍵付きの引き出しまで行くのでついていくと、引き出しを引いたトラウラはわかりやすく固まった。
「アンジェニア様……」
「……」
そこには、ゴッドウー公爵夫人が身に付けていたような目映い宝飾品が、ずらっと整理されて並んでいる。
「それらは全て、アンジェニア様にとディナンド様が」
後ろから声を掛けられ、パッと二人が振り向けば、ニコニコとした笑みを浮かべるメイドとブスッと無愛想な印象のメイドという対照的な二人が立っていた。
そして、ニコニコと笑みを浮かべたドバイリー公爵家のメイドは、「貴女方、もうゴッドウー公爵家にお帰り頂いて結構ですよ。アンジェニア様のことは、これからは私達がお世話致しますので」と続ける。
その言葉にトラウラとリオノーラは、顔を見合わせた。
(ああやはり、ゴッドウー公爵夫人の予想通りだわ)
リオノーラは予定通り、
「彼女達は、私のお世話係……侍女なのよ。ゴッドウー公爵家では、仕事を与えられずに路頭に迷うことになるわ」
と答える。
けれども、そのメイドは全くぶれない。
「そう言われましても、ドバイリー公爵家としては、アンジェニア様をディナンド様のパートナーとして受け入れただけで、ゴッドウー公爵家のメイドまで面倒見るお約束はしていません。公爵家のメイドでしたら、そこそこの身分でしょうから他でいくらでも勤め先はございますわ」
と、笑顔を崩さずに言う。
「……では、三人ではなく、一人だけ……トラウラだけ残して貰えない?他の二人には、戻って貰うから」
リオノーラが二人のメイドに視線を送ると、二人とも深く頷いた。
「しかし──」
メイドが頑なに断ろうとするので、リオノーラは言葉を被せた。
「お願い。私も慣れない場所でたった一人では寂しいの。もし貴女達からディナンド様や公爵様に言えないのであれば、私が聞いてみるから、それまで」
待って、と続けようとしたが、リオノーラは笑っていたメイドが表情を無くしたことに驚き、一瞬言葉に詰まる。
けれども、無愛想だと感じた方のメイドが逆に、「……承知致しました。直ぐに執事に確認致します」と折れてくれたので、一旦この話はお開きとなった。
(公爵夫人はこうなるって言ってたな……)
元々、アンジェニアの侍女として連れて行けと言われたのはトラウラだけだった。けれども、トラウラだけ連れて行けば確実に返されてしまうから、他の二人を一度連れて行って交渉しろと言われたのだ。
もし、メイドが全員返されないのであれば、二人ははじめから最初の二、三ヶ月だけの予定だったことにすればいいと。
無愛想だと感じていた方のメイドが執事に確認しに行っている間、笑顔に戻ったメイドが「引き出しの鍵はゴッドウーの侍女には任せられないので、私がお預かりしております」と言って、首にぶら下げた引き出しの鍵を見せてくれた。
どうやら、リオノーラがディナンドに酷い扱いをされなくとも、メイド達は違うようだ。特に、リオノーラに付いてきたトラウラが苛めに合うようなことは回避しなければ、とリオノーラは心に留める。
「……ええ、よろしく頼むわ。そう言えば、貴女の名前は?」
「失礼致しました、アンジェニア様。私はマーリネッラと申します」
マーリネッラは、深くお辞儀をする。
「今、席を外したメイドの名前は?」
「彼女はフラミルダです。お見知り置きを」
「ええ」
「アンジェニア様、フラミルダが戻るまでお茶になさいますか?」
「ええ、そうね。お願い」
「畏まりました」
実はガチガチに緊張していたリオノーラは、マーリネッラの準備したお茶で喉の渇きを癒す。そして座ったついでに紙とペンを借り、ゴッドウー公爵夫人への簡単な手紙を書いた。
そして、その最中にフラミルダが部屋に戻ってきた。
「フラミルダ、どうだった?」
リオノーラに名前を呼ばれたフラミルダは、パッと顔を上げてリオノーラを見てから、「……侍女一人分だけ、許可がおりました」とハッキリと答える。
「そう。わざわざありがとう、彼女はトラウラよ」
「よろしくお願い致します」
トラウラがドバイリー公爵家の二人の侍女に頭を下げ、二人はそれぞれ頷いた。
リオノーラは残りの二人のメイドを手招きして、先程書いた手紙を渡す。
「貴女達はこの手紙を持って、乗ってきた馬車で気を付けて帰りなさい」
「畏まりました」
二人のメイドが出て行くのを見つつ、フラミルダがボソッと言った。
「それにしても、アンジェニア様が侍女の名前を覚えるなんて意外でした」
リオノーラはドキリとする。アンジェニアらしくない、と言われた気がしたからだ。
「……何故?」
「色々とお噂は伺っていたので。でも、想像していたような方ではなくて安心致しました」
どうやらフラミルダは、無愛想ながらも真っ直ぐな性格らしい。思ったことを直ぐに口にしてしまうのは、時と場合によって苦労するだろうが、裏表を感じないという意味ではリオノーラにとって好ましく感じた。
「フラミルダ、余計なことは言わないのよ。失礼致しました、アンジェニア様」
「いいのよ」
ドバイリー公爵家の夫人をゴッドウー公爵家が毒殺したと思われている割には、ここまでの待遇は悪くないどころか破格だ。だが、その裏にどんな罠が隠されているのかわからない。リオノーラは、緩みそうになる気を改めて引き締めなければ、と考える。
「ご馳走さま。明日のドレスを選びたいのだけど、一緒に見てくれないかしら?」
「勿論です」
フラミルダが食器を片付けている間、リオノーラとメイドの二人はウォークインクローゼットの前に移動する。
「マーリネッラ、明日ディナンド様は何色の服を着るのか知っているかしら?」
「ディナンド様は、アンジェニア様の選んだドレスに合わせるとのことでした。明日の歓迎会では、アンジェニア様の選んだドレスカラーに、飾る花やお出しする食器の色、全て合わせる予定でございます」
「……そう」
リオノーラはその情報に、内心ギョッとする。それではまるで本当に歓迎されているかのようではないか。
(それにしても、本当に凄い量のドレス……)
まるで衣料品店ではないかと思いながら、リオノーラのお給料一年分位かと思えるようなドレスをざっと見ていく。
そして、一つのドレスで手を止めた。
「……」
「そのドレスですか?御披露目の場としては、少し暗い色ではありませんか?」
マーリネッラがそう言ったが、トラウラは「素敵なドレスじゃないですか!絶対に似合うと思います!!」と着る前から絶賛する。
「これを試着させてくれる?」
「……畏まりました」
そのドレスを試着させて貰い、リオノーラは「これにするわ」と即決した。
「他のドレスも、合わせてみませんか?アンジェニア様にもっと似合うお色が沢山ございますよ」
マーリネッラが言った時に、フラミルダが戻ってきた。
「アンジェニア様、そのドレス……ディナンド様の瞳の色にぴったりの藍色ですね」
「ええ」
ドバイリー公爵家では、まだ公爵夫人を亡くしてから一年経過していない。その為元々明るい色味は避けるつもりだったリオノーラは、ディナンドの綺麗で吸い込まれそうな藍色の瞳を思い出させるドレスに決めたのだった。