その5「地下室と修行」
痛みは長くは続かなかった。
ヨーキが部屋に入って来たときには、痛みはほどんと引いていた。
ヨーダイは、よろりと立ち上がった。
ヨーキ
「ヨーダイ? だいじょうぶなのですか? さっきの声は?」
ヨーダイ
「問題有りません」
ヨーダイ
「実はハガネと一緒に、お芝居をしていたのです」
ヨーダイは、作り笑顔を母に向けた。
ヨーキ
「そうなのですか?」
ハガネ
「……はい」
ヨーキ
「少し、顔色が悪いように見えますけど……」
ヨーダイ
「お芝居に、入り込みすぎてしまったようですね」
ヨーキ
「いったい、何のお芝居をしていたのですか?」
ヨーダイ
(ええと……)
ヨーダイ
「弟に毒殺される、王子の役です」
ヨーダイは素早く、存在しない芝居を捏造した。
ヨーキ
「まあ! 縁起でもない!」
権力者にとって、命を狙われるというのは、絵空事では無い。
起こり得ることだ。
ヨーキには、それが分かっているのだろう。
彼女は架空のお芝居に対して、強い拒絶を見せた。
そして真剣な顔で、ヨーダイをたしなめてみせた。
ヨーキ
「たとえ遊びでも、そんなお芝居、するものではありませんよ」
ヨーダイ
「そうかもしれませんね。すいません」
そもそもが、存在しない芝居だ。
本来であれば、どうでもいい話だった。
だがヨーダイは、この話題を、自分の目的へと繋げることに決めた。
ヨーダイ
「ですが母上」
ヨーダイ
「ずっとお城にばかり居ては、力を持て余してしまいます」
ヨーダイ
「ハガネと一緒に、外に遊びに行っても良いですか?」
ヨーキ
「それは……まだ早いのではないですか?」
ヨーダイ
「そうでしょうか?」
ヨーキ
「あなたはまだ、3歳なのですよ」
ヨーダイ
「もう3歳です」
ヨーダイ
「そろそろ、外の世界を知るべきです」
ヨーダイ
「城にこもってばかりいたら、世間知らずになってしまいますよ」
ヨーキ
「ですが、外は危険です」
ヨーダイ
「それはだいじょうぶです」
ヨーダイ
「俺の身は、ハガネが命に代えても守ると、約束してくれました」
ハガネ
「えっ?」
ヨーキ
「そうなのですか?」
ヨーダイ
「そうなのです」
そんなことは無い。
ヨーダイ
「俺が傷1つでも負うことがあれば、ハガネが腹を切ってお詫びします」
ハガネ
「えっ?」
ヨーキ
「……そうですか」
ヨーキ
「そこまでの覚悟が有るというのであれば、止めることは出来ませんね」
ハガネ
(どこまでの覚悟?)
ヨーキ
「ハガネ。息子のことを、よろしくお願いします」
ハガネ
「アッハイ」
王妃に真剣に頼まれれば、迂闊な事は言えない。
ハガネはただ、頷くしかなかった。
話が終わると、ヨーキはヨーダイにキスをして、退出していった。
ヨーダイ
「母上の説得は、1番の難関だと思っていたが……」
ヨーダイ
「思ったよりも、あっさりといったな」
ハガネ
「代わりに私が、ハラキリをすることになりましたが」
ヨーダイ
「せいぜい気合を入れて守ってくれよ。教育係どの」
ハガネ
「はぁ」
ハガネ
「それで、いつから行動を起こしますか?」
ヨーダイ
「明日から……と言いたいところだが」
ヨーダイ
「今の俺は、呪文を1つも使えないからな」
ヨーダイ
「1ヶ月ほど修行をしよう」
ヨーダイ
「ダンジョンに出向くのは、それからだ」
ハガネ
「魔術に関しては、私は専門外ですが」
ヨーダイ
「教本は有る。なんとかするさ」
ヨーダイ
「だが、練習場を1つ、確保しておいてくれ」
ハガネ
「分かりました」
……。
2日後。
ヨーダイは、ハガネと共に城を出た。
魔術の練習場に向かうためだ。
ヨーダイはしばらく、自力で歩いた。
だが疲れてきたので、ハガネにおんぶをしてもらうことにした。
ハガネの肩の上で、景色を眺めていると、閑静な住宅街についた。
その片隅に有る家が、ハガネが用意した練習場だった。
ハガネはヨーダイをおんぶしたまま、家の庭に入った。
そしてヨーダイを、そっと優しく、地面に下ろした。
ヨーダイは、眼前の建物を見た。
特に大きくも小さくも無い。
レンガ作りのようだ。
ヨーダイの目には、それが普通の住宅のように見えた。
こんなところで魔術の練習をして、だいじょうぶだろうか?
ヨーダイは、少し不安になった。
ハガネ
「こちらへ」
ハガネは、家の玄関を開けた。
そして靴を脱ぎ、家の中へと入っていった。
ヨーダイ
(西洋風ファンタジー世界なのに、家で靴を脱ぐ不思議)
ヨーダイ
(この世界創ったやつ、日本人かよ)
ヨーダイ
(……そりゃそうだな。和ゲーだし)
さすがに、大勢が行き交う城は、土足禁止というわけにはいかない。
共用スペースでは、土足が基本だった。
城の個室でも、靴を履くのが普通だ。
王族の部屋は、人の出入りが多い。
半分は、共用スペースのような扱いなのかもしれない。
だが寝室に限り、土足は禁止となっていた。
本当にくつろぐ時は、誰でも靴を脱ぐというのが、この国の文化なのだろう。
ずっと靴を履いているというのは、元日本人には辛い。
寝室だけとはいえ、裸足でゴロゴロできるのは、ヨーダイにはありがたかった。
さておき。
ヨーダイも靴を脱ぎ、ハガネのあとに続いた。
家に入ってすぐ、廊下の右側に、階段が見えた。
2階への上り階段と、地下への下り階段も有った。
ハガネは下りの階段に向かった。
ヨーダイ
(地下室か)
ヨーダイは、ハガネのあとを追い、階段に向かった。
階段を下りてすぐに、木製の扉が見えた。
2人は扉を抜けた。
そこには、広々とした地下室が有った。
ヨーダイ
「広さは申し分無いが……」
ヨーダイ
「開口部は、あの出入り口だけか」
地下室に、出入り口は1つしか無かった。
ヨーダイたちが入って来た、木製の扉。
それだけだった。
ハガネ
「何か問題でも?」
ヨーダイ
「炎の呪文を使ったら、酸欠になるなんてことはないだろうな?」
ハガネ
「酸欠? どうしてですか?」
ヨーダイ
「炎が発生するってことは、空気中の酸素が……」
ヨーダイ
「いや……。そういうのじゃ無いんだろうな」
ハガネは馬鹿では無い。
この世界の常識を、わきまえているはずだ。
王子を酸欠死させるようなことは無い。
ヨーダイは、そう考えることにした。
ヨーダイ
「壁はレンガに見えるが、頑丈なのか?」
ハガネ
「見た目よりは」
ヨーダイ
「それなら良い」
ヨーダイは、床の方を見た。
板張りの床だ。
それなりに綺麗に見えた。
掃除は済ませてあるらしい。
安心して床に座った。
ヨーダイ
「しばらく瞑想する。静かにしていてくれ」
ハガネ
「分かりました」
ヨーダイは目を閉じ、瞑想を始めた。
クラスの加護を得たからといって、すぐに魔術が使えるわけでは無い。
魔術師や治癒術師は、瞑想によって呪文を習得する。
やり方は、教本の通りだ。
教本は、城の図書館に有った。
ヨーダイはそれを読破し、内容を暗記した。
あとは実践するのみだ。
瞑想は、2時間ほど続いた。
ヨーダイの目が、開いた。
ヨーダイ
「出来た。気がする」
ヨーダイは立ち上がり、手のひらを前に向けた。
前方には、壁しか無い。
頑丈な壁らしい。
遠慮はいらなかった。
ヨーダイ
「ほむら矢」
ヨーダイは、呪文を唱えた。
手のひらの前に、魔法陣が出現した。
そこから、小さな炎が放たれた。
炎の矢は壁にぶつかり、そして消滅した。
大した破壊は起きなかった。
ヨーダイ
「……こんなものか」
ヨーダイ
「これで魔獣に通用するものかな」
ハガネ
「杖が有れば、呪文の威力も上がります」
ヨーダイ
「うおっ!? 居たのか!?」
急に話しかけられ、ヨーダイはびくりと震えた。
ハガネ
「それは居ますよ」
ヨーダイ
「……気配を感じなかったぞ」
ハガネ
「ニンジャですからね」
ヨーダイ
「……そ」
ヨーダイ
「杖は手に入るか?」
ハガネ
「はい。もちろん」
ハガネ
「ですが、修行の段階では、杖は必要無いでしょう」
ハガネ
「地下室を壊してしまっても、困りますからね」
ヨーダイ
「頑丈なんじゃないのか?」
ハガネ
「ほどほどに」
ヨーダイ
「……まあ良い」
ヨーダイ
「しばらくは、これで練習するとしよう」
ハガネ
「ところで、そろそろ昼食の時間ですが」
ヨーダイ
「もうそんな時間か」
ヨーダイは食事を、母と共にすることになっている。
ヨーキを心配させるわけにはいかない。
城に帰る必要が会った。
ヨーダイ
「ハガネ。おんぶ」
ハガネ
「家を出てからにしましょう」
ハガネ
「頭を打つといけませんからね」
ヨーダイ
「分かった」
ヨーダイは、ハガネにおんぶをされて、城へと向かった。
町を歩いていると、やがて城が見えてきた。
ヨーダイ
「立派なものだな」
ハガネ
「王子?」
ヨーダイ
「城の話だ。純白で、大きい」
城の中に居るときは、その威容を意識することも無かった。
どうせ、ヨーダイが自由に立ち入れる場所は、城全体の半分にも満たない。
自室の周囲と、図書館などの施設。
それだけが、ヨーダイにとっての城だった。
案外狭い世界だ。
だが、こうしてそびえ立つ城を見れば、大したものだと思わざるをえない。
ヨーダイ
「しろいからおしろと言うのかもしれない」
ハガネ
「ふふっ」
ハガネ
「あなたの御城ですよ。王子」
ヨーダイ
「違うな」
ヨーダイ
「妹のモノだ。アレは」
……。
ヨーダイは、ハガネといったん別れ、ヨーキの部屋に入った。
そこでヨーキと共に、食事を始めた。
ヨーキ
「ヨーダイ。城下の様子はどうですか?」
ヨーダイ
「刺激的ですね」
ヨーダイ
「お城には無いものが見られ、勉強になります」
ヨーキ
「勉強熱心ですね」
ヨーダイ
「それでですね……」
ヨーダイ
「今後、昼食は、城下でとるようにしたいのですが」
ヨーキ
「えっ反抗期」
ヨーダイ
「反抗期ちがいます」
ヨーダイ
「城下の者たちが、どのようなものを食べているか、興味が有るのです」
実際は、修行のための時間が欲しいだけだ。
だが、ダンジョンに行くため修行をしています……とは言えない。
それらしい理由を、でっちあげる必要が会った。
ヨーキ
「あまり妙なものを食べて、体調を崩されても困りますよ」
ヨーダイ
「店選びに関しては、十分に気を遣うことにします」
ヨーキ
「……そうですか」
ヨーキ
「けれど、あなたと一緒に食事がとれなくなるのは、寂しいです」
ヨーダイ
「はい、俺もそう思います」
ヨーダイ
「ですが、虹髪を持つ俺が、甘えたことばかり言ってはいられません」
ヨーダイ
「今までどおり、朝晩の食事は、一緒にとることにします」
ヨーダイ
「どうか僅かな1人立ちを、お許し下さい」
ヨーキ
「……ついこの間まで、私のおっぱいを吸っていたのに」
ヨーキ
「子供が育つのは、早いものですね」
ヨーダイ
「…………」
ヨーダイ
(嘘ばかりついて、申し訳ありません)
ヨーダイ
(俺には、全てを話すような勇気はありません。母上)
それからヨーダイは、魔術の修行に対し、熱心に取り組むようになった。
地下室でひたすらに、瞑想と実践を繰り返した。
魔力が少ないので、あまり多くの呪文は使えない。
なので、地味な瞑想の時間が多かった。
その地味な時間を、ヨーダイは嫌がらなかった。
ヨーダイはみるみると、新しい呪文を習得していった。
ヨーダイ
「氷つぶて」
ヨーダイの手から、氷の石が飛んだ。
石は壁にぶつかり、砕けて消えた。
ヨーダイ
「こんなものか」
ヨーダイ
「一応は、全属性の攻撃呪文が、使えるようになったな」
ヨーダイ
「威力はこころもとないが……」
ハガネ
「杖を得て、クラスレベルが上がれば、呪文の威力も上がっていくでしょう」
ヨーダイ
「レベルか……」
ヨーダイ
「レベルを上げるには、実戦だな」
ハガネ
「そうですね」
ハガネ
「EXPを手に入れるには、魔獣を倒すのが1番です」
この世界には、EXPという、目には見えない力が存在する。
それを体内に取り込むことで、クラスのレベルを上げることができる。
魔獣は死の瞬間に、体からEXPを放出する。
それを吸収することが、もっとも一般的なレベルアップ方法だった。
ヨーダイ
「他の方法も有るのか?」
ハガネ
「そうですね」
ハガネ
「たとえば、魔石を砕けば、EXPが放出されます」
ハガネ
「良家の子女などには、魔石でレベルを上げている者も多いようですね」
ヨーダイ
「手に入れられるか?」
ハガネ
「少量なら」
ハガネ
「ハイレベルに達するには、予算が足りませんね」
ヨーダイ
「そうか」
ヨーダイ
「少しで良い。集めておいてくれ」
ダンジョンに行く前に、1つでもレベルを上げておいた方が良い。
そう考えたヨーダイは、ハガネに魔石の収集を命じた。
ハガネ
「分かりました」




