スキップ機能
私の記憶では、この能力に目覚めたのは高校生ぐらいの頃だと思う。退屈な時間や早く終わって欲しい時間を強く願うと少しだけ時間がスキップした。ほんの少しだが未来に行けたのだ。但し未来に行けるといっても一〇分や十五分程度。使い道といったら、満員電車に乗る息苦しい時間やあまりにも退屈な授業時間をほんの少し飛ばすだけ。この能力が便利なのは、飛ばす前と飛ばした後で自分の行動に整合性が取られている点だった。残り一〇分で電車を降りるタイミングで十五分スキップしても、きちんと電車を勝手に降りていた。つまり映画の時間飛ばしに近い状態なのかもしれない。一〇分の映像を飛ばしても、一〇分間の映像は確かに存在する。視聴者はその内容を見られないが、会話はしっかり進んでいるしシーンも切り替わっている。つつがなく物語は続くのだ。それと同じで、私は私の人生を一〇分スキップしても、私の中の記憶が無いだけでこの世界において私は私として立ち振る舞っている。自分がこの能力を持っていると気付いた時は、本当に便利だと思った。苦痛、退屈な時間を全て感じないように過ごせるのだから。
しかし程なくして、大きな問題点に気付いた。この能力は、時間を巻き戻す事が出来ないのだ。高校1年の2学期末試験直前の出来事だ。保健体育の試験の点数は進級とは関係がなく、なおかつ試験前最終回となると大した内容はやらない。私はその授業時間全てをスキップした。これまでの内容を適当に振り返る程度で平均点はとれる、そういう算段で実際の試験に臨んだ。その結果は、学年最下位だった。最後の一回に授業した範囲がテストの大半だったのだ。もしこれを英語や数学といった教科でやってしまった場合、留年していたかもしれない。使い所を考えなければ恐ろしいことになると思った。
それから暫くは能力の使用を控えていた。使うとしても、満員電車だとかあまりにも冗長な校長の話だとか、ものすごく体調が悪い一日とか。
この後の大学生活は最悪だった。私はこの能力を乱用した、いや乱用してしまった。大学2年生のあたりで気づいてしまったのだ。出席しているだけで単位がもらえるような講義は、丸ごと時間を飛ばしても一切問題が無いと。その頃には二、三時間のスキップも可能になっていた。さらにはアルバイトもこの能力の使用に拍車を掛けた。飲食店のピークタイムであろうと、退屈な夜勤であろうと、時間を飛ばしても問題が無い。さすがにバイトの始めたての頃は仕事を覚えるためにスキップは一切しなかったが、何も変化がないルーティンワーク状態になると気分が乗らない日は簡単に能力を使用した。夜勤を連続させても全くしんどさが無かった。しかも連勤を嫌がらなかったので店長からも気に入られた。ただ、さすがに講義と夜勤を詰め込み過ぎた際はスキップを使う暇もなく大学に向かう電車で寝落ちしてしまい、大学を通りすぎて終点から始発まで一往復した。体は疲労をきちんと憶えているのだ。いくらどうでも良い時間でも、飛ばし過ぎてはいけないと気づいた。
その後、就職活動が始まり、その頃は能力の使用を控えた。考える事も覚える事も準備する事も多く、そもそもスキップが不可能だったのだ。しかし内定が決まると、またちょくちょく使うようになった。
私は、そこそこ大きくそこそこ安定した会社に就職した。またしても能力の使用を控えた。就職活動の頃と同じように、考える事も覚える事も多かったから。新人なので単純な業務に加え雑務も多く、ミスすれば説教も喰らう。それでも時間を飛ばす訳には行かなかった。説教された内容を覚えないと、またミスしてしまう。苦しくてもスキップしないように耐えていた。
そんなある日、私は気づいた。とある先輩の説教はスキップしても問題無いのだと。すぐに話は逸れるし、他の同僚も「あの人の話、長いし分かりにくくないか?」と愚痴っていた上、他の先輩さえも「あいつの説明って長くて頭に入ってこないよな」と言っていた。その人の説教はスキップすると決めた。そこからは、一年もしないうちにスキップしていい状況とスキップしてはいけない状況を選別出来るようになった。どうでもいい会議は議事録を見ればいいし、くだらない飲み会は席に座ってればいい。この頃にはスキップの時間も自由自在だったので、どんなイベントでもこの能力で乗り越えた。
こうして、能力に目覚めてからそれまでの中で辿り着いた結論は、「どうでもいいのに苦しい時はスキップしても問題ない」だった。
そこから2年が経とうとした頃の冬。仕事も殆どを理解し、平日は毎日同じような内容の繰り返し。土日は部屋でなんの生産性もなく過ごすだけ。同じような日々が続いて、かてて加えてこれから先大きな変化も起こりそうにない。私はこれから先の人生に何か起伏があるとは思えなかった。想像出来なかった。私はこれから先の人生はどうでもいいと思い、そして苦しい事が続くだろうと思った。
寝落ちするように五〇年スキップした。
そして今、私はベッドに横たわっている。白くシワのないシーツが敷かれ、そして暖かくて広いベッドである。あの頃より医療は進歩しているのだろうが、それでも人は七〇歳を過ぎた頃に死んでも普通なのだろう。日が高いというのに横になっているので、私はずいぶん衰弱し切っているらしい。左手には点滴の針が刺さっていた。ここは病院なのかとも思ったのだが、天井はなんだか若干高いし、周囲の壁紙も木目調が多すぎるし、大きなテレビや本棚、机、冷蔵庫、クローゼットと、色々揃い過ぎている。何より病院特有の薬品的な匂いがない。
私の右側には年老いた女性がいた。中年の男女がいた。足元側にも別の中年の男女、それと三人の子供がいた。左側には医者らしき白衣の者がいた。スーツを着た人間が何人かいた。
私は周囲の状況確認を続けた。花瓶がいくつか置いてある。額縁に飾られた写真や賞状? のようなものが壁に掛かっている。またスーツを着た男が部屋に入ってきた。その男は元々いたスーツの男と話している。
部屋の中の皆は、泣いているらしかった。あるいは、険しい表情を浮かべているか。しかしそんな中、右側の年老いた女性は優しい顔をしている。はっきりとは聞こえなかったが、彼女は何かをつぶやいた。
「今までありがとうね。ゆっくりおやすみなさい」
そんな口の動きだった。
知らない人に感謝を伝えられても、よくわからないのだが…。